2023年2月12日メッセージ「嵐の時も」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、ルカによる福音書8章22節〜25節。

新共同訳新約聖書119ページ。

8:22 ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。

8:23 渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。

8:24 弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。

8:25 イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。

「嵐の時も」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

今日は、イエス様が、弟子たちと一緒に舟に乗っていた時の話です。

紙芝居を通して、もう一度、見てみたいと思います。

前を見てください。

題名は、「嵐の時も」です。

1、ある時、イエス様は、湖の向こう岸に渡るため、弟子たちと一緒に、舟に乗られました。

2、穏やかな波。静かな風。イエス様は、舟の中で、眠ってしまいました。

3、しかし、状況は一変します。突然、強い風が吹いてきました。

穏やかだった波は荒れはじめ、舟に襲いかかってきました。

4、「帆をたため!」「水を出せ!」、弟子たちは、船の中に入ってくる水を、一生懸命に、外に出そうとします。

でも、出しても出しても、水が入ってきます。

乗っていた小さい舟は、今にも沈みそう。

5、でも、そんな時、イエス様は眠っていました。

弟子たちは、イエス様を起こして言いました。

「イエス様、大変です。溺れそうです。」

6、起き上がったイエス様は、風と荒波を叱りつけて言いました。

「黙れ!鎮まれ!」

7、すると、どうしたことでしょう。

風はやみ、波も静かになりました。

不思議な顔をしている弟子たちに、イエス様は言いました。

「あなたがたの信仰は、どこにあるのか。

あなたがたの舟に、私がいることを、忘れてしまったのか。」

突然の嵐に襲われ、弟子たちはパニックになりました。

恐怖と不安の中で、「もうだめだ」って思いました。

そんな弟子たちに、イエス様は、「あなたがたの信仰はどこにあるのか。

あなたがたの舟に、私がいることを、忘れてしまったのか。」って、語りかけました。

荒れ狂う嵐の中、今にも沈みそうな舟に乗っていたのは、弟子たちだけじゃなかったんです。

イエス様が一緒にいた。

嵐に襲われている舟の中に、イエス様も、一緒におられた。

私たちの人生にも、時に、嵐が起こります。

コロナもそうです。

地震や大雨もそう。

病気に襲われたり、事故に遭うこともあります。

自分の力では、どうしようもない。

そんな時、つい私たちは、諦めてしまう。

もうだめだって思ってしまう。

そんな人に、今日イエス様は、「私が、あなたと、共にいる」って、語りかけています。

イエス様は、嵐の中におられた。

転覆しそうな舟に、一緒に乗っておられた。

もうだめだって叫ぶ弟子たちと、共におられた。

これは、嵐の時も、イエス様は共にいる。

「苦しみ叫ぶあなたと、一緒にいるよ」っていうメッセージです。

このイエス様のメッセージを信じて、生きていきましょう。

苦しみ悩む時、必ず、力になります。

嵐の時も、イエス様は、共にいる。

苦しみ叫ぶわたしと、わたしたちと、一緒にいてくださる。

そのことを信じて、生きていきましょう。

お祈りします。

・テーマの導入

今日の話は、嵐を沈めるイエス様の話です。

これは、マルコによる福音書にも、マタイによる福音書にも記されている、大変有名な話です。

ある人は、この話を、自分の人生に重ねて読みました。

この話は、私の人生の話だ。

困難の中を生きてきた、わたしの話だ。

そうやって読む人もいますし、またある人は、教会の物語として、

困難な課題に直面する教会の話として、読む人もいます。

あるいは、家族の物語として読む方もいらっしゃるかもしれませんし、夫婦の物語として読むこともできるかもしれません。

そんなふうに、弟子たちが経験した嵐は、時に私たちが遭遇する、危機と重ねられます。

私たちも、時に、危機的状況に置かれることがあります。

その時に、何を信じているかということが、とても大事だというのが、今日のテーマです。

危機的状況に置かれた時に、私たちが、何を信じているか。

・自分の力が役に立たない

イエス様は、弟子たちに「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われました。

「あなたがたの信仰は、一体どこにいってしまったんだ。

私を信じて従ってきたはずなのに、その信仰は、一体どこにあるんだ。」と言いました。

イエス様の言われた通り、嵐の中で、弟子たちの信仰は、どこかへいってしまいました。

イエス様こそキリストだ、そう信じて従ってきたはずなのに、不安と恐怖に、飲み込まれてしまいました。

そして、弟子たちは、イエス様に対して、「おぼれそうです」と言いました。

ここで使われている「溺れる」という言葉は、直訳すると「滅びる」という言葉です。

「先生、私たちは滅びそうです。もうだめです。」

そういうニュアンスの言葉です。

イエス様を前にして、弟子たちはそう言ったのです。

それだけ、弟子たちは、追い詰められていたということです。

弟子たちの中には、漁師がいました。

少なくとも四人は、つい最近まで漁師をしていました。

しかも、彼らは、今日の舞台であるガリラヤ湖で、漁師をしていました。

ですから、ガリラヤ湖のことはよく知っていたはずです。

ガリラヤ湖といえば、海抜がマイナス213メートル、死海に次いで海抜の低い湖です。

周囲を高い山々に囲まれており、ちょうどすり鉢のような形になっています。

そのせいで、山々から吹き下ろす突風によって、湖が荒れることが、よくあるそうです。

そういう情報は、弟子たちもすでにわかっていたでしょう。

実際、漁師をしていた時に、経験したこともあったでしょう。

対処の仕方も知っていたはずです。

そんな弟子たちが、パニックになったということは、相当、危険な状況だったということです。

漁師として培ってきた経験や知識が、全く役に立たない。

想定を超えたレベルの嵐だったということです。

そういう想定を超えた事態に直面して、漁師としての自信も、ポキッと、折れてしまったんじゃないでしょうか。

自分に強い自信を持っている人ほど、折れやすいものです。

自信というのは、自分を信じると書きますが、自分に寄りかかることです。

自分の才能とか、自分の力とか、そういうものに寄りかかるということです。

寄りかかる度合いが強ければ強いほど、失った時の倒れ方も激しい。

簡単に立ち上がることは、できなくなってしまいます。

弟子たちは、そういう状況にあったのかもしれません。

これまで持ってきた自信が、打ち破られた。

自分たちの力では、もう、どうしようもない。

どうして良いかわからない。

そのことが、余計、恐怖に拍車をかけていたのではないでしょうか。

・眠っているイエス様

そんな緊急事態に、イエス様は、一体何をしていたのか。

聖書には、眠っていたと記されています。

舟が沈みそうになっている。

なんとかしようと、弟子たちが一生懸命、水をかき出している。

それなのに、イエス様は眠っていた。

このことが、より一層弟子たちの心を、かき乱していたのではないでしょうか。

「こんな事態に、なんでイエス様は寝てるんだ。

どうして一緒に、水をかき出してくれないんだ。」

非常に不思議な場面ですが、

でも、現実問題、こういう場面が、私たちにもあるんじゃないでしょうか。

自分の力ではどうしようもないような現実に立たされて、イエス様に祈る。神様に祈る。

でも、何も答えがない。

「神様どこにいるんですか。

どうして、助けてくれないんですか。」

弟子たちがイエス様を起こしたように、必死に、神様を起こそうとする。

「神様、起きてください。

私たちは、今にも、滅びそうです。

寝てないで、私たちを助けてください。」

詩編にも、そういう祈りがたくさんのこされています。

「私の訴えを聞いてください。」

「呼び求める私に答えてください。」

「いつまで、わたしを忘れておられるのか。

いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。

いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか。」

そういう、人々の叫びが、記されています。

先日、トルコとシリアで、大きな地震がありました。

その大きさは、阪神淡路大震災の約15倍とも言われています。

2万人を超える方々が亡くなられ、今も、その数は増え続けています。

テレビのニュースを見ていましたら、

「家族が瓦礫の下にいるのに、自分には何もできない。

神様、助けてくれ。」

そう叫ぶ、男性がうつっていました。

本当に、心が、痛くなりました。

これが、私たちの生きる現実です。

今日の箇所には、風と波を叱りつけ、嵐を沈めるイエス様のことが語られていますが、こういう箇所を読みますと、

「じゃあ、なんで地震は止めてくれなかったのですか。」

「なんで命を助けてくれなかったのですか。」

そう、思わずにはいられません。

「イエス様、起きてください。

私たちは、今にも、滅びそうです。」

この弟子たちの叫びは、そんな現実に生きる私たちの叫びです。

危機に瀕している一人一人の叫びです。

・イエス様は共にいる

そんな一人一人に対して、今日、福音として言えることがあるとすれば、

それは、イエス様が、弟子たちと、共におられたということです。

沈みそうになっている舟に、イエス様も一緒に、乗っておられた。

弟子たちには、眠っているようにしか見えなかったかもしれません。

叫んでも、助けを求めても、なんの応答もない。

だから、眠っているようにしか、見えなかったかもしれない。

でも、確かにイエス様はそこにおられた。

嵐の中におられた。

そして、今もなお、イエス様は、嵐の中におられる。

荒れ狂う嵐の中、溺れかけている人々と共におられる。

そのことを、どうか、忘れないでほしい。

それが、今日、聖書から語られているメッセージです。

結末がどうなるかは、わかりません。

助かる時もあれば、そうでない時もあるかもしれない。

でも、結末がどうであれ、イエス様は共にいる。

溺れかけているわたし、

わたしたちと、いつも、共にいてくださる。

その信仰だけは、手放さずに、歩んでいきましょう。

危機的状況において、最も危険なのは、パニックになることだと、言われます。

信仰は、不安や恐怖から私たちを守り、希望と、そして冷静さを与えてくれます。

信仰を持っていても、環境そのものを変えることはできません。

嵐を沈めたり、地震を食い止めることはできません。

でも、信仰は、その中を生きる私たちを、変えてくれます。

恐怖や不安によって、波立つ私たちの心を、しずめてくれます。

そして、生きる希望を、冷静な判断を、与えてくれます。

それは、困難の中を生きる私たちにとって、最も重要なことではないでしょうか。

イエス様が共にいる。

嵐の時も、共にいてくださる。

この信仰をもって、生きていきましょう。

お祈りします。

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