2023年3月12日メッセージ「持ち運ばれるイエス様」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、ルカによる福音書8章49節〜56節。

新共同訳新約聖書120ページ〜121ページです。

8:49 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」

8:50 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」

8:51 イエスはその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母のほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。

8:52 人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」

8:53 人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。

8:54 イエスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。

8:55 すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食べ物を与えるように指図をされた。

8:56 娘の両親は非常に驚いた。イエスは、この出来事をだれにも話さないようにとお命じになった。

「持ち運ばれるイエス様」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

おはようございます。

今日も、一緒に聖書から、メッセージを聞いていきたいと思いますが、

今日の話は、先週の続きです。

先週は、どんな話だったかというと、12年間、出血が止まらない女性の話でした。

彼女は、その病気によって、みんなから、「汚れた女」って言われていました。

触るな、近づくな。

触ったらただじゃおかないぞ!って、みんなから言われていた。

でも、イエス様が来たって聞いて、彼女は、覚悟を決めたんです。

みんなから怒られてもいい。

罰を受けてもいい。

イエス様に触れたい。癒してもらいたい。

その一心で、彼女は、イエス様に近づいていきました。

そして、イエス様に触れ、癒されました。

その姿を見て、イエス様は、彼女のことを、褒めました。

「よくぞ諦めず手を伸ばしたね。よく頑張ったね。あなたの信仰が、あなたを救った。」

そう言ってイエス様は、彼女を褒められました。

そのお話から、チャレンジすることの大切さ。

私たちも、信じて手を伸ばそう。

信じて、チャレンジしていこうという、メッセージを聞いていきましたけれども、

でも、今日は、反対のことを言いたいと思います。

「信じられなくても大丈夫」、ってことです。

信じて手を伸ばす。

信じて、諦めずに、挑戦していく。

とても素晴らしいことだと思います。

イエス様は、そんな私たちの姿を、喜んでくださる。

でもね、そうできない時もあると思うんです。

信じたくても、信じられない。

手を伸ばす元気も勇気もない時が、あると思います。

今日の話に出てくる、ヤイロさんもそうでした。

ヤイロさんには、一人娘がいました。

大切に大切に育ててきた一人娘。

その娘さんが、死にかかっていたんです。

ヤイロさんは、必死にイエス様にお願いしました。

「イエス様、娘が死にそうです。助けてください!」

イエス様は、彼と一緒に、娘がいる家に向かっていきました。

でも、そこに、悲しい知らせが届くんです。

「たった今、お嬢さんが亡くなりました。」

恐れていた知らせでした。

「遅かった。間に合わなかった。娘は死んでしまった。」

悲しみに沈むヤイロさん。

でも、そんなヤイロさんに、イエス様は言われたんです。

「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」

ヤイロさん、どう思ったでしょう。

娘は救われるって、思ったでしょうか。

とても、そんなこと、できなかったと思います。

「この人何を言っているんだ。

娘は死んでしまった。これ以上何を信じたらいいのか。」って、そう思ったでしょう。

でも、そんなヤイロさんに、イエス様は、「信じろ、諦めるな」って呼びかけるんです。

そして、家に向かっていくんです。

もう遅いのに。家に行ったって無駄なのに。

それでも、イエス様は、家に向かって進んでいく。

ヤイロさんは、立ち上がる気力も、元気もなかったと思います。

でも、イエス様は、呼び続けたんです。

「信じろ。諦めるな。」、声をかけ続けた。

そして、ヤイロさんを連れて、娘のもとに行き、救いの業を起こされたんです。

そのように、イエス様は、私たちを呼び続けてくださる。

信じる気力も、元気もない私たちに、声をかけ続けてくださる。

そして、連れて行ってくださり、救いの業を起こしてくださる。

このイエス様を、今日は覚えておきたいと思います。

お祈りします。

・願い出たヤイロ

会堂長のヤイロは、一人娘の救いを、心から願っていました。

助けて欲しい。救って欲しい。

その一心で、イエス様のもとにきました。

そして、足元にひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願いました。

その姿を、周りの人たちは、どう見ていたでしょうか。

中には、面白くない顔で見ていた人もいたと思います。

彼は、会堂長です。

会堂長というのは、その地域、ユダヤ教共同体のトップです。

「長老」と呼ばれる、指導者たちの中から選ばれた人で、非常に位の高い人物です。

そんな人が、イエス様の足元にひれ伏す。

長老たちの中には、イエス様を、危険視する人たちもいました。

その自由な振る舞い、罪人たちと積極的に交わる姿は、彼らの目に余るものでした。

一方で、その言葉の力や癒しの力によって、イエス様を支持する人たちが増えている。

そのことを、長老たちは、危険視していたわけです。

このまま野放しにしておいてはいけない。

なんとかして、イエス様を訴えようと、罠を仕掛けた人たちもいました。

そんなふうに、長老たちというのは、いわば、イエス様の敵対勢力だったわけです。

会堂長は、そのトップです。

そのトップが、イエス様の足元にひれ伏すというのは、非常に問題のある行動だったわけです。

でも、ヤイロは、そのことを承知で、それでも、イエス様にひれ伏して、願ったんです。

先週の女性と同じです。

ヤイロもまた、覚悟を持って、イエス様のもとにきたんです。

裏切り者と言われても、かまわない。

会堂長を、辞めさせられても、かまわない。

娘の命が助かるならば、自分はどうなったっていい。

会堂長としての立場を投げ打って、一人の父親として、イエス様にひれ伏していったんです。

・ただ信じなさい

それなのに、「お嬢さんは亡くなりました。」という知らせを受けるわけです。

遅かった。

願いは叶わなかった。

誰もがそう思ったでしょう。

知らせにきた人も、「この上、先生を煩わすことはありません。」と言っています。

先生というのは、イエス様のことです。

もうイエス様がきても遅い。

亡くなってしまった今、もう何もできることはないと、そう思ったんです。

でも、そんな状況の中でも、イエス様は言うんです。

「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」

そして、ヤイロを連れて、家にいる娘のもとに行くのです。

もう遅いのに。

家に行ったって無駄なのに。

それでも、イエス様は、家に向かって進んでいく。

家の中には、娘のために嘆き悲しむ人たちがいました。

イエス様は、彼らに、「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」と言いました。

でも、そんな言葉、まともに聞く人はいませんでした。

イエス様はの言葉を聞いて、人々は嘲笑ったと、記されています。

嘲笑うというのは、馬鹿にするということです。

彼らは、イエス様の言葉を馬鹿にしたんです。

ちょっとこの場面で、馬鹿にするって、想像しにくいですが、

でも、それだけ、人々は、イエス様の言葉を受け入れなかったということです。

それでもイエス様は、語り続けます。

「娘よ、起きなさい」そう呼びかけるのです。

すると、娘は起き上がりました。

その光景を見て、「両親は非常に驚いた」と記されています。

・持ち運んでくださるイエス様

イエス様は、ヤイロに、「ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」と言いました。

そして、実際、娘は救われたわけですが、しかし、ヤイロは、信じたのでしょうか。

娘が起き上がった時、彼は、非常に驚いたと記されています。

「正気を失うほど驚いた」と、そう書いている聖書もあります。

それほど驚いたのは、そんなこと起こるはずがないと、思っていたからです。

つまり、ヤイロは、信じてなどいなかったんです。

この場面で、信じていたのは、イエス様だけです。

ヤイロは、そのイエス様に引かれて行ったんです。

本当は、一歩も動く力なんてなかったと思います。

死んだ娘と会う。辛くて、立てなかったと思います。

でも、「ただ信じなさい」と呼びかけるイエス様に、手を引かれるようにして、娘のもとに、連れられて行ったのです。

そして、そこで、救いの業を見たのです。

ヤイロが信じたから、娘が救われたのではありません。

ヤイロは、信じることなんてできなかった。

信じたのはイエス様です。

イエス様だけは、望みを捨てなかった。

「信じろ、まだ希望はある」

そう呼びかけながら、娘のもとまで、ヤイロを連れて行った。

そして、そこで、救いの業を起こされたのです。

どんなに私たちが、希望を失っても、

どんなに私たちが、終わったと諦めても、

イエス様は、希望を捨てない。

イエス様は、希望に向かって、進んでいく。

信じることもできず、座り込んでいる私たちを励ましながら、ゴールまで、連れて行ってくださる。

イエス様が、持ち運んでくださるのです。

・希望が断たれても

先週の日曜日の夕方、ある方から、メールをいただきました。

礼拝メッセージの応答として、そこには、「私ももっと信仰が欲しいです」と書かれていました。

先週の箇所に登場した、出血が止まらない女のように、その方も、過酷な状況に置かれている方です。

彼女のように、信じて手を伸ばしたい。

でも、そうすることができない。

悲痛な叫びに聞こえました。

先週読んだ、出血が止まらない女性は、12年間、その病に苦しんでいました。

治してもらうために、全財産を使いました。

でも、誰も、治すことはできませんでした。

彼女は、信じて、手を伸ばしていきましたが、普通はできないと思います。

12年間、全財産使ってもだめだったんだから、きっと、今度もだめだろう。

そう思ってしまうのが普通です。

希望が全く見えない状況では、信じることなどできません。

東日本大震災の被災地に、初めて行った時のことを思い出します。

信じられない光景が、次々と飛び込んできて、私は、言葉を失いました。

町があり、家があり、人が住んでいたと言われても、想像ができない。

あるのは瓦礫の山だけ。

その瓦礫の間を、家族を探しながら、歩いている人たちがいました。

家族を亡くされた人たちとも出会いました。

そのような方々との出会いを通して、私は何を信じてきたのか。

この被災地で、何を信じていいのか。

わからなくなったことを思い出します。

希望のないところでは、信じることもできません。

ヤイロは、娘が助かるという望みを断たれたのです。

そんな状況で、何を信じていいのか。

私たちも、時に、そんな状況に置かれる時があります。

望みが断たれたり、希望が見えなくて、何も信じられなくなる時があります。

でも、そんな時も、イエス様は、希望を持っておられる。

どんなに私たちが、希望を失っても、どんなに諦めても、

イエス様は、希望を諦めない。

そして、希望に向かって、進んでいかれるんです。

赤ちゃんに、「おいでおいで」と呼びかける、母親のように、

何も信じられない私たちを、呼び続けながら、ゴールまで、連れて行ってくださる。

持ち運んでくださる。

信じて、イエス様に従っていけなくても、いいんだということです。

イエス様が、私たちを持ち運んでくださる。

イエス様の声に、引っ張られていく。それでいいんだということです。

振り返れば、私自身の歩みが、まさに、そうだったと思います。

私が、イエス様に従ってきたというよりも、

イエス様が、私を、ここまで持ち運んでくださった。

そんな歩みだったなと思わされます。

どんなに私たちが、希望を失っても、イエス様は、希望を捨てない。

その限りにおいて、希望がなくなることはありません。

イエス様は希望を捨てません。

希望に向かって、進んでいかれます。

何も信じられない私たちを、呼び続けながら、ゴールまで、連れて行ってくださる。

持ち運んでくださる。

そのイエス様を、心に留めながら、新しい一週間の歩みに、出かけていきましょう。

お祈りします。

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