2025年8月10日平和祈念礼拝「破れたところに神はおられる」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、創世記27章18節〜29節。

27:18 ヤコブは、父のもとへ行き、「わたしのお父さん」と呼びかけた。父が、「ここにいる。わたしの子よ。誰だ、お前は」と尋ねると、

27:19 ヤコブは言った。「長男のエサウです。お父さんの言われたとおりにしてきました。さあ、どうぞ起きて、座ってわたしの獲物を召し上がり、お父さん自身の祝福をわたしに与えてください。」

27:20 「わたしの子よ、どうしてまた、こんなに早くしとめられたのか」と、イサクが息子に尋ねると、ヤコブは答えた。「あなたの神、主がわたしのために計らってくださったからです。」

27:21 イサクはヤコブに言った。「近寄りなさい。わたしの子に触って、本当にお前が息子のエサウかどうか、確かめたい。」

27:22 ヤコブが父イサクに近寄ると、イサクは彼に触りながら言った。「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ。」

27:23 イサクは、ヤコブの腕が兄エサウの腕のように毛深くなっていたので、見破ることができなかった。そこで、彼は祝福しようとして、

27:24 言った。「お前は本当にわたしの子エサウなのだな。」ヤコブは、「もちろんです」と答えた。

27:25 イサクは言った。「では、お前の獲物をここへ持って来なさい。それを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えよう。」ヤコブが料理を差し出すと、イサクは食べ、ぶどう酒をつぐと、それを飲んだ。

27:26 それから、父イサクは彼に言った。「わたしの子よ、近寄ってわたしに口づけをしなさい。」

27:27 ヤコブが近寄って口づけをすると、イサクは、ヤコブの着物の匂いをかいで、祝福して言った。「ああ、わたしの子の香りは/主が祝福された野の香りのようだ。

27:28 どうか、神が/天の露と地の産み出す豊かなもの/穀物とぶどう酒を/お前に与えてくださるように。

27:29 多くの民がお前に仕え/多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主人となり/母の子らもお前にひれ伏す。お前を呪う者は呪われ/お前を祝福する者は /祝福されるように。」

「破れたところに神はおられる」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

先週から、エサウとヤコブという双子の兄弟の話を読んでいます。

今日はその2回目ですが、どんなことが書いてあるか、紙芝居で読んでみたいと思います。

1、「エサウとヤコブ」

2、イサクとリベカの夫婦には、双子の赤ちゃんが与えられました。

お兄ちゃんはエサウ、弟はヤコブと名付けられました。

3、双子といっても、二人はちっとも似ていませんでした。

お兄さんのエサウは、毛深くて赤い顔をしていました。

エサウは大人になると、山や野原で獣を捕まえる猟師になりました。

弟のヤコブは、とてもおとなしく、外を出歩くよりも、家の手伝いをする方が好きでした。

4、時が経ち、お父さんのイサクは歳をとって目が見えなくなりました。

ある日、イサクはエサウを呼んで言いました。

「エサウや、私は歳をとっていつ死ぬかわからない。野原で獣をしとめて、私の好きな肉料理を食べさせておくれ。そうしたら、お前を祝福してあげよう。」

テントの陰で、リベカがその話を聞いていました。

5、リベカはヤコブに言いました。

「上等の子ヤギを連れていらっしゃい。お父さんの大好きな美味しい料理を作ります。それを持ってお父さんのところに行きなさい。エサウのふりをして祝福していただくのです。」

6、ヤコブは、子ヤギの柔らかい毛皮を腕と首に巻きました。

毛深いエサウのふりをするためです。それから、エサウの服を着ました。

そして、美味しい料理を持って、お父さんのところに行きました。

7、「お父さん、美味しい料理を持ってきましたよ。」

目が見えないお父さんは、「お前はエサウかい?」と尋ねます。

「ええそうです。エサウです。」とヤコブはエサウのふりをして答えます。

「こっちにおいで。本当にエサウかどうか、触ってみたいから。」

ヤコブは子ヤギの毛皮を巻いた腕を出しました。お父さんは、ヤコブの腕に触れて言いました。

「声はヤコブのようだが、腕はエサウの腕だ。」

お父さんは、すっかり騙されてしまいました。

8、お父さんは、ヤコブが持ってきた肉の料理を美味しそうに食べました。

それから、ヤコブの頭に手を置いて、祝福を授けました。

「どうか神様が、豊かな作物を与えてくださるように。多くの人々がお前に仕えるように。

今日からお前は兄弟たちの主人である。

お前を呪うものは呪われ、お前を祝福するものは祝福されるように。」

こうしてヤコブはお父さんに嘘をつき、エサウに与えられるはずの祝福を奪ってしまいました。

9、お兄さんのエサウが、野原から帰ってきました。

「お父さん、ただいま。」

目が見えないお父さんは尋ねます。「お前は誰だ。」

「何言っているんですか。エサウですよ。」

「え?エサウだって?それじゃ、さっき来たのはヤコブだったのか。私はヤコブが持って来た料理を食べて、ヤコブを祝福してしまった。」

「え!?そんな・・・。ヤコブのやつ、よくも!」

エサウは、カンカンになって怒りました。

ヤコブは、エサウから逃れるため、家を出て行きました。

祝福っていうのは、本来、とても良いものです。

人を、幸せにするものです。

それなのに、その祝福をめぐる争いで、家族はバラバラになってしまいました。

エサウはヤコブを憎み、ヤコブは故郷で暮らせなくなりました。

騙されてヤコブに祝福を授けてしまったお父さんは、そのことを思い悩んだでしょうし、そもそもこの事件の黒幕であるお母さんは、大好きなヤコブと会えなくなってしまいました。

幸せをもたらすはずの祝福が、家族をバラバラにしてしまった。

ヤコブは、祝福を授かったけど、その代わりに、家族も、故郷も失ってしまいました。

どんなに良いものも、奪い合ったり、争ったりすると、不幸をもたらすものになってしまう。

そうやって、せっかくの良いものを、台無しにしてしまうことが、私たちにもあるかもしれません。

ゲームを取り合った結果、ゲーム機が壊れてしまい、喧嘩になり、兄弟の仲まで悪くなってしまうとか、ショートケーキのイチゴを奪い合って、せっかくの誕生会が台無しになり、美味しいケーキも、美味しくなくなっちゃうとか、

私は小さい頃、友達と、漫画の取り合いになって、その結果、漫画が破れて、読めなくなってしまったことがありました。

そういうことは、みんなにも、あるんじゃないでしょうか。

どうしたら良かったんでしょうか。

争ったり奪い合ったりせずにすむ方法は、なかったんでしょうか。

絶対にあるはずです。分けるという方法もあるでしょうし、分けられないものであったとしても、絶対に何か良い方法があるはずです。

その方法を、考えられる人になってほしいと思います。

奪い合ったり、争ったりしても、良いことなんて何もない。

奪い合ったり、争ったりせずに、みんなで受け取っていく方法はないか。

そうやって考えることが、平和をつくり上げていく秘訣なんじゃないでしょうか。

お祈りします。

今日の箇所には、双子の弟ヤコブが、兄エサウに与えられるはずの祝福を奪ってしまった話が記されています。

祝福とはなんでしょうか。

なんともわかりづらい言葉ですが、ある本によりますと、祝福とは、繁栄と幸いをもたらす力であると書かれていました。

今日の箇所で言えば、28節・29節に書かれていることです。

27:28 どうか、神が/天の露と地の産み出す豊かなもの/穀物とぶどう酒を/お前に与えてくださるように。

27:29 多くの民がお前に仕え/多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主人となり/母の子らもお前にひれ伏す。お前を呪う者は呪われ/お前を祝福する者は /祝福されるように。」

豊穣と力、家長の権利、そして祝福の基となるという神の約束が語られています。

このように、本来祝福は、繁栄と幸いをもたらすはずのものですが、どうでしょうか。

祝福を授かったヤコブは、幸せになったでしょうか。

彼は、祝福と引き換えに、家族を失い、故郷を失いました。

このことによって、家族はバラバラになってしまいました。

何がいけなかったんでしょうか。

どうしてこんなことになってしまったんでしょうか。

祝福が一つしかなかったということが問題だったんでしょうか。

今日の箇所の続きに、祝福を奪われたエサウの叫びが記されています。38節

27:38 エサウは父に叫んだ。「わたしのお父さん。祝福はたった一つしかないのですか。わたしも、このわたしも祝福してください、わたしのお父さん。」エサウは声をあげて泣いた。

エサウの悲しみが、痛いほど伝わってくる言葉です。

「祝福はたった一つしかないのですか。」

「なんで、私のために祝福を起こしておいてくれなかったんですか。」

エサウは父イサクに訴えますが、イサクの返答は、時すでに遅し。

「既にわたしは、彼をお前の主人とし、親族をすべて彼の僕とし、穀物もぶどう酒も彼のものにしてしまった。わたしの子よ。今と なっては、お前のために何をしてやれようか。」そのように答えることしかできません。

もし祝福が、分けられるものだったら、このようなことにはなっていなかったでしょう。

一つしかないから奪い合いが起こり、争いが起こり、分断が起こるんだ。

一つしかないのが悪いんだ。そう思ってしまいます。

確かに、そういう面もあるかもしれません。

でも、このたった一つの祝福を、みんなで喜び、受け取っていくこともできたのではないか、とも思います。

と言いますのも、今日の箇所で語られている祝福には、広がりがあるからです。

「お前を呪う者は呪われ/お前を祝福する者は /祝福されるように。」

この言葉は、そもそも、神様から、イサクの父アブラハムに与えられたものでした。

創世記12章2節~3節

12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。

12:3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」

「祝福の源となるように」、「地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」

これらの言葉からわかるように、神様は、一人だけを祝福しようとしていたのではありません。

すべての人が祝福されるようにと願って、アブラハムを祝福の源とされたのです。

ですから、エサウに祝福が与えられるということは、エサウにだけ祝福が与えられるということではなかった。

エサウを通して、ヤコブも、リベカも、祝福を受けることができたはずなんです。

それを、奪い取るような形で、受け取ってしまった。

ヤコブとリベカのやり方には、大いに問題があったと思います。

ただ一方で、イサクもまた、なんでこんな秘密裏な仕方で、祝福を受け渡そうとしたのか、疑問が残ります。

本来、祝福の授受というのは、大変喜ばしいことだったはずです。

父イサクから、長男エサウに、祝福が受け継がれる。

そこには、家長としての権利を譲り渡すということも含まれていたようです。

であるならば、父と子、二人だけで行うのではなく、家をあげて、公のこととして行うのが相応しかったのではないかと思います。

みんなが長男エサウを、次期家長として認め、その出来事を喜べるように、場を整えていく。

それが、イサクの役割だったのではないでしょうか。

この時、父イサクは、年を取り、目がかすんで見えなくなっていたとあります。

「いつ死ぬかわからない」ということも話しています。

焦りがあったんじゃないでしょうか。

一刻も早く、祝福を受け継がなければならない。

そういう想いがあったのかもしれません。

焦りということで言えば、母リベカの中にも、焦りがあったかもしれません。

リベカは、父イサクがエサウに祝福を与えようとしていることを、聞いていました。

このままでは、エサウに祝福が与えられてしまう。

なんとかしないといけない。

これは、エサウとヤコブが生まれる時のことですが、リベカは、神様から、

「二つの国民があなたの胎内に宿っており/二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり/兄が弟に仕えるようになる。」と言われていました。

この言葉を、リベカは心に留めていたのかもしれません。

そして、この言葉を、祝福は兄エサウではなく、弟ヤコブに与えられるべきだと、そう理解していたのかもしれません。

だから、エサウに祝福が与えられようとしているということを知って、驚き、なんとかしなければと焦って、ヤコブに、祝福を奪わせたと考えることもできます。

このように見ていきますと、この出来事の裏には、人間の弱さがあったということがわかります。

死期が近いことを感じ、焦ったイサク。

祝福がエサウに与えられると知って、焦ったリベカ。

そのリベカに従って、父イサクに嘘をつき、兄エサウから祝福を奪い取ったヤコブ。

このような人間の弱さが、祝福の継承という喜ばしい出来事を、醜い争いへ、家族関係が引き裂かれるような出来事へと、変えてしまったのです。

なんと悲しいことでしょうか。

これは、私たちと関係のない、遠い昔の話などではありません。

兄弟喧嘩や相続問題、職場での昇進争い…、私たちの身近にも似たような問題があるのではないでしょうか。

国家レベルでも、様々なものをめぐる争いによって、関係が引き裂かれている現実があります。

しかし聖書は、そんな破れた関係の中に、なお神はおられるということを語っています。

今年の年間主題として与えられていますみ言葉を、心に留めたいと思います。

今日の礼拝の最初にも読んでいただきました、エフェソの信徒への手紙2章14節~16節。

2:14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、

2:15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、

2:16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。

このキリストは、今もなお、壊れてしまった関係の只中におられ、破れをつくろうように、働いておられる。

そう信じたいと思います。

一度壊れてしまった関係を回復するというのは、決して簡単なことじゃありません。

ヤコブとエサウの場合は、再会するまでに20年かかります。

母リベカは、兄エサウの怒りが治るまで、ヤコブを避難させようと思っていたようですが、現実には、それだけじゃ済まないわけです。

これは、20年間、エサウが怒り続け、会うことを拒んだということではありません。

人間の怒りというのは、そんなに長く継続しないそうです。

アンガーマネジメントでは、怒りの感情のピークは長くても6秒程度だそうです。

6秒間我慢できれば、怒りに支配されることを防ぐことができると教わりましたけれども、

いずれにせよ、エサウは、20年間怒り続けたわけではありませんでした。

でも、再会するのに20年間かかるわけです。

どんなに怒りがなくなっても、一度切れてしまった相手と再会するというのは、簡単なことではないということです。

皆さんの中にも、壊れた関係を修復できず、痛みを覚えている方がいらっしゃるかもしれません。

私も、些細なことで関係がこじれて、それ以来、話すこともできなくなってしまった人がいます。

和解、関係の修復の難しさや限界を、感じます。

20年、ヤコブが故郷を離れていた間に、母リベカは、その生涯を終えたと言われています。

祝福をめぐる争いによって、母と子の関係は引き裂かれ、再会できぬまま、生涯を終えることになってしまった。

そのようなことも、もちろんあるでしょう。

それでもなお、破れた関係の中に、キリストがおられる。

そのことを希望として、信じ続けたいと思うのです。

どんなに関係がこじれても、どんなに溝が深まってしまったとしても、そこにキリストがおられる。

二つのものを一つに結び合わせてくださるキリストがおられる。

そこに希望があります。

この希望を信じたいと思います。

私たちには限界があります。

どんなに私たちが繕おうとしても、繕えない関係というのがあると思います。

繕おうと思えば思うほど、裂け目がひどくなるということも、あるかもしれない。

そのことに傷つき、落胆し、諦めてしまう私たちですが、それでもなお、そこにキリストがおられる。

そのことを忘れないでいたいと思います。

お祈りします。

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