2023年12月10日礼拝メッセージ「希望」

(コロナウイルス陽性のため、村田悦牧師は、12月7日(木)より自宅療養となりました。そこで、本日の礼拝メッセージは、村田牧師の原稿を代読する形で行われました。メッセージ動画を配信できず申し訳ありません。以下、メッセージ原稿を掲載しますので、お読みいただければ幸いです。)

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、イザヤ書8章23節後半〜9章6節。

新共同訳旧約聖書1073ページ〜1074ページです。

8:23 先に/ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが/後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた/異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。

9:1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

9:2 あなたは深い喜びと/大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように/戦利品を分け合って楽しむように。

9:3 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を/あなたはミディアンの日のように/折ってくださった。

9:4 地を踏み鳴らした兵士の靴/血にまみれた軍服はことごとく/火に投げ込まれ、焼き尽くされた。

9:5 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。

9:6 ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

「希望」と題して、村田悦牧師のメッセージを代読していただきます。

・挨拶

皆さん、おはようございます。

先日より、息子みつがコロナウイルスに感染したということで、祈りに覚えていただいておりましたが、私も6日深夜より発熱、7日(木)病院で検査したところ、コロナウイルスに感染していることがわかりました。

アドベントのこの大事な時に、病に倒れるということで、ご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありません。

今日は、説教原稿を、武宮陽子姉妹に代読していただく形で、メッセージをさせていただきますことを、お許しください。

・アドベントの思い – 預言の言葉とクリスマスの意味

先週より、アドベントに入りました。

アドベントのロウソクにも、二つ目のあかりが灯っています。

今年のアドベントは、イザヤ書の預言の言葉を読みながら、クリスマスの意味について、思い巡らしています。

先週は、クリスマスどころじゃない人々、恐れと不安を抱える人々に、平安をもたらすために、クリスマスはやってきたし、今年もやってくるということを分かち合いました。

その後、我が家が、クリスマスどころじゃなくなってしまったわけですが、このことを通して、私自身も、クリスマスの恵みに招かれている者であることを、実感しています。

今日もまた、預言の言葉から、クリスマスの意味について、思い巡らしていきたいと思いますが、今日のテーマは、「希望」です。

クリスマスは「希望」である。

そのことを今日は、預言の言葉を通して、共に覚えたいと思います。

・希望とは闇の中の光

まず、最初に、希望とは何かということを、覚えたいと思います。

今日のテーマである、希望とは何か。

それは、闇の中に輝く光です。

1節をお読みいたします。

1節「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」

ここで言われている「民」とは、北イスラエルの民のことです。

当時、イスラエルは、北と南に分かれていました。

北は北イスラエル王国、南は南ユダ王国。

両者は、共に、滅びの道を進んでいました。

北イスラエル王国が滅んだのは、紀元前721年ごろ。

当時、無敵の力を誇っていたアッシリアによってでした。

アッシリアは、メソポタミアからエジプトにまたがるオリエント世界全体を支配していました。

北イスラエルは、アラムと手を組むことで、アッシリアに抵抗しましたが、かないませんでした。

財産を奪われ、家族も奪われ、土地も奪われていきました。

そして、アッシリアに支配されていきました。

アッシリアは、多くの異邦人をイスラエルの地に移住させました。

それは、イスラエルの民から、「イスラエルらしさ」を奪うためでした。

大事にしてきた言葉や宗教、文化や伝統を奪われ、非ユダヤ化されていきました。

異邦人とイスラエル人が結婚し、その間に子どもも生まれていきました。

その人々が、後のサマリア人やガリラヤ人と呼ばれる人々で、

彼らは、純血を良しとするユダヤ人たちから、汚れた民として、軽んじられ、差別されていきました。

8章23節で、「ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けた」と記されていますが、この辱めとは、そのことです。

「異邦人のガリラヤ」という言葉も、「お前たちはユダヤ人じゃない」という意味の差別語です。

この差別は、アッシリアが滅んだ後も、続きました。

北の民は、アッシリアが滅んだ後も、バビロン、シリア、エジプト、ローマと、支配者が変わるだけで、支配から解放されることはありませんでした。

外国からは支配され、同胞ユダヤ人たちからは差別される。

そんな彼らの歩みを、預言者イザヤは「闇の中を歩む民」「死の陰の地に住む者」と呼んだのです。

でも同時にイザヤは、そんな彼らの上に、光が輝くと言いました。

闇の中に輝く光。

この光こそ希望です。

皆さんは、光を見て嬉しくなった経験、ホッとした経験があるでしょうか。

もう10年以上前のことですが、北海道から遊びに来てくれた友人と、熊本周りで大分まで車で移動しておりました。

本当は暗くならないうちに大分に入る予定だったのですが、

友人がどうしても高千穂で貸しボートに乗りたい、どうしても黒川温泉で入場手形を使い切りたいということで、気がついたらもう夕方ぐらいになっておりました。

携帯のナビに目的地を入れて出発するのですが、行けば行くほど外灯のない道になっていくわけです。

車線もほとんどないような、くねくねとした山道で、車酔いの激しい私は、運転しながらもかなり気持ちが悪くなっておりました。

とにかく早く山道が終わってほしいと願いながら運転するのですが、どこまで行っても同じような道が続きました。

初めての道でしたので、本当にこの道が合っているのかどうかもわからない。

心配になって携帯のナビを見るのですが、すでに圏外。

もう不安しかありませんでした。

その時に、私達が心の底から求めたのが、光でした。

車のライト以外何の光もないような道を走っていましたので、ともかく光が見えてくることを、心の底から願っておりました。

最初に見えた光は、一本の外灯の光でした。

若干傾いているような頼りない外灯でしたが、その光を見た時、心からホッとしたことを覚えております。

希望というのは、この光のことです。

闇を照らす光。

不安や恐れの中を生きる人々の心を、明るく照らすもの。前向きにさせるもの。

もう少し頑張ってみよう、もう少し生きてみようと、そう思わせてくれるもの。

それが、希望です。

・希望は、困難を生きる力になる

この希望を信じて、北の民は、闇の中を生き続けました。

時の支配者たちには都合よく使われ、同胞たちからは差別されながらも、彼らは生き続けました。

自分たちの苦しみは、永遠ではない。

私たちが受けた辱めは、いつか、栄光に変えられる。

苦しんだからこそ味わえる深い喜びと、大きな楽しみが、私たちを待っている。

その希望が、彼らの歩みを、支えていきました。

3節には「くびき、杖、鞭」とあります。

これは、奴隷を従わせる道具でした。

北の民が、どんなに厳しい支配の中にあったかを、想像します。

でも、そのような道具も、ミディアンの日のように、折られる時が来る。

ミディアンの日というのは、士師記に記されています物語で、士師ギデオンが13万人のミディアン人に、たった300人の兵力で勝利してしまうという伝説的な物語を指しています。

その時のように、神様は、支配者たちの力を、へし折ってくださるということです。

イスラエルの地を踏み荒らした靴も、イスラエル人の返り血のついた軍服も、火に投げ込んで焼き尽くしてくださる。

そして、絶えることのない平和を与えてくださる。

それは、ダビデの王座を受け継ぐ、新しい王によってです。

彼によって、終わることのない平和がもたらされる。

もう、誰にも支配されることはない。

差別を受けることもない。

自由に、自分らしく生きられる日がやってくる。

そう、預言者イザヤは語りました。

この希望の言葉に支えられて、北の民は、闇の中を歩き続けました。

このように、希望は、困難を生きる力になります。

山登りをする方は、頂上に着けば、絶景が待っている。

そう思いながら、苦しい山道を登るのだと思います。

この仕事を終えたら、美味しい一杯が待っている。

そう思って、大変な仕事を、頑張っておられる人もいるでしょう。

私も、説教奉仕が終われば、希望の月曜日が待っている。

そう思って、いつも、説教準備をしています。

そのように、希望というのは、困難を生きる力になります。

苦しい道のりも、その先に喜びがある、楽しみがある、そう思えれば、生きていける。

北の民も、イザヤの語った希望に支えられながら、なんとか生きていったのです。

・希望の言葉の継承 – マタイ福音書の記述

実は、イザヤの語った、この希望の言葉が、新約聖書マタイによる福音書4章14節~17節にも記されています。

マタイによる福音書ができたのは、北王国が滅んだ800年後のことです。

800年前の言葉が、800年後の書物に記されているということは、つまり、800年間、この希望の言葉が受け継がれてきたということです。

苦しい時、辛い時、この言葉を口ずさみながら、北の民は、生きてきたのでしょう。

そして、800年後、いよいよその時が来たと、福音書記者マタイは語るのです。

800年間、北の民が待ち続けた、その希望を実現するために、イエス様が来られたと、記されています。

ここに、クリスマスの意味が示されています。

つまりクリスマスは、闇の中に光が到来した日、長い間待ち望まれた希望が実現した日だということです。

希望は、闇の中に輝く光であり、困難を生きる力ですが、それだけで終わらない。

希望は実現する。

クリスマスは、そのことを覚える日です。

神様は、暗闇の中を生きる人々に、希望の光を与えてくださる。

困難を生きる力を与えてくださる。

そして、神様が与えてくださる希望は、やがて実現する。

どんなに暗い中を生きる人も、いつかは、希望の光にあずかることができる。

どんなに苦しい毎日も、いつか、生きていて良かったと思える日が来る。

そのことを覚える日。それが、クリスマスだということです。

・希望を信じて

イエス様によって、北の地の恥は、栄光に変えられました。

「異邦人のガリラヤ」は、イエス・キリストのふるさととして、記憶されるようになりました。

しかし、それから2000年が経った今も、争いは続いています。

イザヤの語った平和は、今、イスラエルがなそうとしている平和では、決してありません。

キリストの平和は、武力によって実現されるものではないからです。

「剣を取る者は皆、剣で滅びる」。

争いの先に待っているのは、争いだけです。

イザヤの語る希望の言葉を信じて、今日も、闇の中を生きている人々がいます。

パレスチナにも、あるいは、この日本にも、

もしかしたら、今日お集まりの皆さんの中にも、そういう方がいらっしゃるかもしれません。

共に、希望を信じて、生きていきましょう。

苦労を分かち合い、希望を見つめながら、共に、歩んでいきましょう。

お祈りいたします。

主なる神様

御名を崇め賛美いたします。

クリスマスを待ち望むこの時、あなたが、闇の中に光を、

困難の中を生きる人々に希望を、

生きる力を、与えてくださることを覚えることができ、感謝いたします。

そのことが、すでに、私たちにとっての希望です。

どうぞ、この希望を信じて、歩んでいくことができますように。

光は、闇が濃くなればなるほど、強く輝きます。

あなたの光が、今、闇の中を歩む、お一人お一人の歩みを、強く、そして優しく、あたたかく、照らしますように。

主よどうか、闇の中を歩む人々の上に、光が輝きわたりますように、お願いいたします。

主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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