2024年6月2日主日礼拝メッセージ「山を動かす、小さな祈り」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、ルカによる福音書18章1節〜8節。

新共同訳新約聖書143ページ〜144ページです。

18:1 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。

18:2 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。

18:3 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。

18:4 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。

18:5 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」

18:6 それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。

18:7 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。

18:8 言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

「山を動かす、小さな祈り」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

皆さん、おはようございます。

今日も、まず子どもメッセージからさせていただきたいと思いますが、今日は最初に、短い絵本を読みたいと思います。

1、「ハチドリのひとしずく」という絵本です。

このお話は、南アメリカに伝わる、小さなハチドリのお話です。

「ハチドリのひとしずく」

2、森が燃えていました。

3、森の生き物たちは われさきにと逃げていきました。

4、でもクリキンディという名のハチドリだけは、行ったり来たり。

5、口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは、火の上に落としていきます。

6、動物たちはそれを見て、「そんなことをして、いったい何になるんだ」と笑います。

7、クリキンディは、こう答えました。

8、「私は、私にできることをしているだけ。」

火事になった森に、一滴ずつ水を運ぶ、ハチドリのクリキンディの話でしたが、皆さんは、このクリキンディのことを、どう思ったでしょうか。

周りの動物たちは、「そんなことをして、いったい何になるんだ」と笑ったそうですが、皆さんは、どうでしょうか。

そんなことしたって無駄だ、意味がないって、思ったでしょうか。

確かに、クリキンディのしたことは、途方もないことです。

燃え広がる森に、水一滴垂らしたところで、状況は、何にも変わらないと思います。

でも、そんなこと、クリキンディは、よくわかっていました。

自分のしていることが、どれだけ途方もないことか。

どれだけ、効果のないことか。

クリキンディはよくわかっていた。

それでも、クリキンディは、水を運んだんです。

なぜか。

それが、クリキンディにできることだったからです。

時に私たちは、大きな問題にぶつかることがあります。

その問題が大きすぎると、「もうだめだ」って諦めてしまったり、無力感、「自分にできることは何もない」って思ってしまったりすることがあります。

例えば、戦争とか、環境破壊とか、飢餓の問題。

今も世界では、9人に1人が食べ物がなくて、苦しんでいます。

そういう世界規模の問題を知る時、問題があまりにも大きくて、自分にできることは何もないって、思ってしまいます。

そんな私たちに、クリキンディは、「本当にそう?」「あなたにも、できることがあるんじゃない?」って、言われているように思います。

私たちが生きるこの世界には、いろんな問題があります。

戦争もそう、環境破壊もそう、飢餓の問題もあるし、差別の問題もあります。

でも、もっと大きな問題は、そういうことに対して、「私にできることはありません!」って言って、目をつぶってしまうことじゃないでしょうか。

確かに、私たち一人ひとりにできることは、小さいかもしれない。

でも、決して、無力ではありません。

どんな小さいことでも、必ず、できることがある。

自分にできることを考え、行動していく時、それがどんなに小さいことでも、神様は、ちゃんと見ていてくださるし、一緒に働いてくださる。

今日の聖書の箇所には、そう教えられています。

自分にできる小さいことを大事に生きる人は、いつか、神様の働きを見ることができます。

だから、クリキンディのように、どんな問題があっても、諦めずに、行動できる人になりたいと思います。

クリキンディの物語は、ここで終わっています。

この後、この森は、どうなったでしょうか。

クリキンディの努力も虚しく、燃え尽きてしまったでしょうか。

それとも、・・・。

自分にできること、どんなにそれが小さいことであっても、それを大事にする人に、神様は、奇跡を見せてくださる。

そう信じて、諦めずに、自分にできることをしていく人になっていきましょう。

お祈りします。

・祈れない人へ

今日のテーマは祈りです。

イエス様は、弟子たちに、気を落とさず、絶えず祈りなさいと、言われました。

それは、きっと、弟子たちが、気を落として、祈れなくなっていたからだと思います。

皆さんはどうでしょうか。

祈れなくなったことが、あるでしょうか。

祈っても祈っても、聞かれない

どんなに祈っても、何も変わらない。

そんな状況が続くと、祈っても意味があるんだろうか。

祈っても無駄なんじゃないかと、そう思ってしまうことがあるんじゃないでしょうか。

祈りに対して真剣な人ほど、このような問いを持つものではないかと思います。

祈ることに疲れを覚え、祈れなくなっている人。

祈る意味がわからなくなっている人。

そんな一人一人を励ますため、

そんな一人一人の心に、祈りを回復させるため、イエス様は、あるたとえ話を語られました。

それが、2節~5節に記されていますたとえ話です。

・たとえ話

どんな話かというと、それは、あるやもめの話でした。

ある町に、1人のやもめがいました。

彼女は、不当な扱いをされて、苦しんでいました。

そのことを裁判官に訴えますが、全く取り合ってもらえません。

それもそのはず、この裁判官は、神を畏れず、人を人とも思わないひどい裁判官でした。

でも、彼女は諦めず、訴え続けました。

何度追い払っても、ひっきりなしにやって来る彼女に、とうとう裁判官は、負けてしまいました。

「うるさくてかなわない。このまま放っておいたら、いつか、酷い目に遭わされるに違いない。」

そう言って、裁判官は、彼女のために、裁判をすることになりました。

まあ、彼女のためと言っていますが、正しくは、自分のためです。

1日も早く、やもめから解放されたい。

酷い目に遭わされたくない。

そう思って、裁判官は、裁判をすることにしたという、そういう話です。

たとえ話と言われているように、この話は、イエス様の作り話ですが、その内容は、現実に即したものだったようです。

イエス様が生きられたユダヤ社会において、やもめは、最も弱い立場に置かれていました。

旧約聖書には、繰り返し「やもめを虐げてはならない」と教えられています。

これはその一部ですが、

出エジプト記22章

22:21 寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。

22:22 もし、あなたが彼を苦しめ、彼がわたしに向かって叫ぶ場合は、わたしは必ずその叫びを聞く。

申命記10章

10:17 あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、

10:18 孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。

詩編68編

68:6 神は聖なる宮にいます。みなしごの父となり/やもめの訴えを取り上げてくださる。

このように、旧約聖書には、やもめの権利を守りなさいという教えが、たくさん記されています。

でも、その教えは、守られていなかったようです。

たとえ話に登場するような不正な裁判官が力を振るっていました。

彼らは、賄賂を受け取り、権力者の都合の良いように裁きを行っていました。

そんな中、多くのやもめたちは、夫の残した土地や財産を奪われても、泣き寝入りするしかありませんでした。

イエス様は、それでも諦めず、訴え続けたやもめを、たとえ話の主人公として語りました。

そして、彼女の姿を通して、絶えず祈り続けることの大切さを、教えておられます。

・神様は祈りに応えてくださる

祈りは願いです。

祈りが尽きるということは、願いが尽きるということであり、現状を受け入れるということを意味します。

受け入れるしかない現状もあるでしょう。

一方で、受け入れてはならない現実もあると言われているように思います。

やもめが、どんな現実に置かれていたのか、詳しくは分かりません。

でも、彼女が必死に訴えたのは、きっと、そこにしか、生きる望みがなかったからでしょう。

彼女が、訴えることをやめるというのは、生きるのをやめるということを意味した。

だから、簡単に引き下がることはできなかったのです。

でも、弱い立場に置かれた人が、声を上げるというのは、どれだけ勇気のいることでしょうか。

たとえ話に登場するやもめも、諦めるタイミングは、何度もありました。

何度訴えても取り合ってもらえない。

その度に彼女は、「言っても無駄。

どうせ聞いてもらえない。

何度訴えても、何も変わらない。」

そういう想いに襲われたことでしょう。

しかし、諦めずに、彼女は、訴え続けました。

その結果、不正な裁判官を動かすことに、なっていきました。

こんな酷い裁判官でも、やもめの訴えを聞かれるのだから、神様が、叫びをあげている人々のために、裁きを行わないということがあろうか。

絶対にない。

イエス様は、そう仰っています。

訴え続けること、祈り続けることは、決して無駄に終わらない。

必ずや、神様は、その叫びに応えてくださる。

だから、祈ることを諦めてはならない。

気を落とさず、絶えず祈りなさいと、励ましているのです。

・小さな一歩を

祈りは、現実を変えていくための、小さな一歩です。

その小さな一歩を、神様は決して軽んじられません。

祈りの相手である神様は、不正な裁判官などではありません。

むしろ、弱く小さい祈りにこそ、耳を傾け、共に働いてくださるお方です。

その神様を信頼し、諦めずに、私にできる小さな祈り、小さな一歩を積み重ねていく。

その小さな積み重ねは、やがて、山を動かすほどの大きな力になっていくと、そう教えられているのだと思います。

4年前、新型コロナウイルスによって、緊急事態宣言が出されました。

集まって礼拝することができないという状況で、何かできないということで始めたのが、YouTubeによるメッセージ配信でした。

YouTubeを見れる人は、限られている。

やっても、見る人は、少ないだろうとは思っていました。

実際やってみると、思っていた以上に、見る人は少ないものでした。

YouTubeには、視聴回数というのが出まして、何回再生されたかがわかるようになっているんですが、昨日確認しましたら、視聴回数が3回という動画がありました。

これやって意味あるんだろうか。

もうやめようかなと思ったこともありました。

そんな時に、一本の電話がありまして、出ますと、YouTubeでメッセージを見てくださっている方で、

教会に行くことは難しいけれど、聖書について学びたいということで、訪問させていただくことになりました。

その関わりは、今年で3年になります。

その方だけでなく、他にも何人かの方々が、YouTubeを見て、この教会につながってくださっています。

そういう出会いを通して、私は、大変励まされましたし、教えられました。

見られている回数は少なくても、見てくださっている方がいる。

かつては、その一人一人を想像することはできませんでした。

回数しか見ていませんでしたけれども、インターネットによってつながってくださっている方々いることを、具体的に知ることができました。

その経験を通して、私は、小さな積み重ねが、どれだけ大事かということを、教えられました。

子どもメッセージで、一雫の水を運ぶクリキンディの絵本を読みました。

「そんなことをして、何になるんだ」という動物たちに対して、クリキンディは、「私は、私にできることをしているだけ」と言いました。

問題が大きければ大きいほど、自分にできることの小ささを痛感させられます。

できることがあっても、「そんなことをして、何になるんだ」「そんなことをしたって意味がない」そういう声が、自分の内からも、外からも、響いてきます。

でも、今日の礼拝の最初に読んでもらいました箇所にありましたように、イエス様は、からし種一粒ほどの信仰があれば、山が動くと言われました。

山というのは、動かないと思われるものの象徴です。

それを動かすのは、からし種一粒の信仰なのです。

小さいことに、どれだけ大きな力が秘められているかを、心に覚えたいと思います。

意味がないとか、無駄だとか、決めつけずに、自分にできることをしていく。

それがどんなに小さいことに思えても、できることをしていく。

そういう人が、神のわざを見るのだと思います。

自分にできることを大事に、行っていく者でありたいと思います。

どんな状況に置かれても、私たちには、できることがあります。

祈りは、その代表です。

どんなに貧しくても、どんなに体が動かなくても、祈ることはできます。

祈りを諦めないというのは、私にできることを諦めないということです。

祈ることから始めていきましょう。

そして、「ハチドリのひとしずく」の想いで、自分にできることを献げていきましょう。

お祈りします。

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