2023年8月27日礼拝メッセージ「祈り〜つながる恵み〜」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、ルカによる福音書11章1節〜4節。

新共同訳新約聖書127ページです。

11:1 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。

11:2 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。

11:3 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。

11:4 わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」

「祈り〜つながる恵み〜」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

おはようございます。

今日もまず、子どもメッセージからしたいと思いますが、今日のテーマは、お祈りです。

お祈りについて、考えたいと思います。

みなさんは、お祈りをしたことがあるでしょうか。

どんな時に、どんな言葉で、お祈りしているでしょうか。

まず、教会に来た時、お祈りすることがあると思います。

教会では、たくさんお祈りをします。

礼拝の中にも、お祈りがあります。

教会学校の時もお祈りをします。

毎週水曜日には祈祷会って、みんなで集まって、お祈りをする会もあります。

そんなふうに、教会に来ると、お祈りすることが、たくさんありますが、それ以外にはどうでしょうか。

教会にいる時以外で、祈ることはあるでしょうか。

ご飯を食べる時に、お祈りをしているっていう人もいると思います。

それから、夜寝る時に、お祈りをしているっていう人もいるかもしれません。

小さい頃、私は、夜、眠れない時に、よくお祈りをしていました。

寝る前に、怖いテレビを見ちゃったり、次の日に大事な試合があって緊張して眠れなくなった時に、よくお祈りをしていました。

それ以外にも、心配なことがあった時、困ったことがあった時、テストの前とか、試合の前とか、上手くできますようにって、よく祈っていました。

みんなは、どうでしょうか。

聖書を読んでみると、イエス様も、よく祈っています。

イエス様は、何を祈っておられたんでしょうか。

イエス様の祈りって、どんな祈りだったんでしょう。

今日の箇所には、そのイエス様のお祈りが、記されています。

「主の祈り」って呼ばれるお祈りです。

みなさんも、知っていると思います。

ちなみに、よく祈る「主の祈り」は、マタイによる福音書の版の主の祈りです。

今日は、ルカによる福音書の主の祈りなので、ちょっといつものとは違いますけれども、でも、内容は、ほとんど変わりません。

毎週、礼拝の中で祈っている祈りですが、改めて、読んでみると、とても大事なことに気づかされます。

今日は、その中から一つだけ、覚えておきたいことがあります。

それは、主の祈りが、「わたしたち」のお祈りだってことです。

「わたし」じゃなくて、「わたしたち」のお祈り。

「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。

わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/皆赦しますから。

わたしたちを誘惑に遭わせないでください。」

主の祈りは、「わたし」一人の祈りじゃありません。「わたしたち」の祈りです。

この「わたしたち」の中には、たくさんの人たちがいます。

何よりもまず、イエス様がいます。

主の祈りは、イエス様のお祈りですから、「わたしたち」の中には、まずイエス様がいます。

それから、この主の祈りを受け継いできた、教会の人たちがいます。

もちろん、大分教会だけじゃありません。

日本中の教会、いや、世界中の教会の人たちがいます。

教会の人たちだけでしょうか。・・・そうではありません。

「必要な糧を毎日与えてください」だから、食べ物を求めている人たち。

「罪を赦してください」だから、罪の赦しを求めている人たち。

「誘惑に遭わせないでください」だから、苦しみの中を頑張って生きている人たち。

そのような人たちも、「わたしたち」の中にいます。

主の祈りを祈るっていうのは、そういう人たちの中に入っていくってことです。

そういう人たちの仲間になるっていうことです。

どんなに一人ぼっちだったとしても、「主の祈り」を祈ることで、私たちは、仲間になれる。

どんなに部屋の隅で、一人で祈ったとしても、「主の祈り」を祈ることで、私たちはつながれる。

世界中の人たちと、そしてイエス様と、つながることができる。

主の祈りっていうのは、そういう祈りなんだってことを、今日は、覚えておきたいと思います。

お祈りします。

・祈りを学ぶ

子どもメッセージに続き、今日は、祈りについて考えたいと思います。

祈りは、ごくありふれた行為です。

信仰者はもちろん、特別信仰を持っていない人も、祈ったり、願ったりすることがあるでしょう。

8月でいえば、8月6日と9日。

広島、そして長崎の原爆の日に、そのことを覚えて、祈られた方が、たくさんおられたでしょう。

あるいは、夏の甲子園。

今年は、107年ぶりに慶應高校が優勝しましたけれども、応援している高校が勝つように、あるいは、応援している選手が活躍するように、手を合わせていた人たちもいたと思います。

そのように、特別教わらなくても、みんな、自然に祈っているわけですが、

しかし、どう祈るべきかを知っている人は、そう多くはないと思います。

今日の箇所で、イエス様が、「祈る時には、こう言いなさい」と教えてくださっていることは、大変ありがたいことです。

時に私たちは、どう祈ったらいいかわからない現実に置かれることがあります。

祈る言葉もわからないし、祈る元気も湧いてこない。

祈ったって、何にもならない。祈っても、無駄だ。

そう思ってしまって、祈りたくても祈れない時があります。

そんな私たちにも、祈りが与えられている。

自分の中から言葉を絞り出さずとも、祈る言葉が与えられている。

これは、とてもありがたいことだと思います。

今日は、そのイエス様の祈りに学びたいと思います。

・主の祈り

教えられている祈りは「主の祈り」と呼ばれています。

先ほども言いました通り、よく祈られている「主の祈り」は、マタイ版のものでありまして、ルカ版は、それよりも短くなっています。

どちらがオリジナルかということについては、諸説ありまして、確かなことはわかりません。

大事なのは、その祈りにおいて、教えられている中身を理解することです。

宗教改革者のマルティン・ルターは、主の祈りのことを「教会史上最大の殉教者」と呼び、「唱えられることはあっても祈られることがない」と言いました。

非常に大切な指摘だと思います。

主の祈りは、キリスト教会において、最も有名な祈りです。

教会では、ことあるごとに、この主の祈りを祈ります。

礼拝でも、祈祷会でも祈りますし、集会を閉める時に、主の祈りを祈るというようなことも多々あります。

そんな祈りですから、教会に通っているうちに、自然と暗記してしまうもので、私も、小さい頃から、覚えておりました。

でも、意味内容を理解し、心を込めて祈っていたかと言われると、そうではなかったと思います。

特に、私が覚えておりました主の祈りは、古ーい、文語訳の主の祈りでした。

「天にまします我らの父よ、願わくは御名をあがめさせ給え、御国を来たらせ給え、御心の天に成る如く地にもなさせ給え」「汝のものなれば成り」とか、普段使わない言葉がたくさんありました。

確かに、ルターが指摘したように、祈るというよりも、呪文のように唱えていたという方が、近かったと思います。

大分教会では、新共同訳聖書に書かれている主の祈りを祈っています。

そちらの方が、わかりやすい言葉だと思います。

大分教会に来て、最初は、慣れ親しんだ主の祈りと違ったので、しっくりこないことが多かったのですが、意味内容を理解するとか、心を込めて祈るということを考えると、現代語で祈るということは、大変重要なことだと思っています。

主の祈りは、呪文ではありません。

漠然と唱えるのではなく、心を込めて祈る者でありたいと思います。

そのためにも今日は、主の祈りの中身に、心を向けたいと思います。

・主の祈りの内容

主の祈りは、3つの部分に分けることができます。

神への呼びかけと、神についての祈り、そして、人についての祈りです。

それぞれに、重要なポイントがあります。

①呼びかけ

まず呼びかけですけれども、イエス様は、神様に対して「父よ」と呼びかけています。

これは、アラム語で「アバ」という言葉だそうです。

それは、乳離れした子どもが、最初に教わる言葉だと言われています。

私たちの感覚で言うと「パパ」とか「お父ちゃん」とか、そういう言葉に当たるでしょう。

イエス様は、神様のことを、そのように、非常に親しく呼んだのです。

そして、私たちにも、そのように呼びかけることを教えておられます。

つまり、私たちも、イエス様と同じように、親しく神様を呼んでいいということです。

幼子のように、自分のペースで、呼びたい時に呼んでいい。

神様の顔色を伺ったり、神様に気を使ったりしなくていい。

私たちが、幼子に呼ばれて嬉しいと思うのと同じように、神様も、私たちが呼ぶ声に喜んで耳を傾けてくださるのです。

主の祈りに連なることによって、私たちは、そんなふうに神様と、親しくつながることができるのです。

②神についての祈り

この呼びかけに続いて、まず、神についての祈りが教えられています。

「御名が崇められますように。御国が来ますように」という祈りです。

御名というのは、神様の名前のこと。

御国というのは、神様の国のことを言います。

それが、崇められるように、神様の国が来ますようにと祈るということは、つまり、神様の名前が汚されている現実があるということ、あるいは、悪魔的な支配が終わっていないということを示しています。

それは、次の、人についての祈りにつながっています。

そこでイエス様は、「必要な糧を与えてください」「罪を赦してください」「誘惑に遭わせないでください」と祈っています。

この祈りは、必要な食べ物を持たない人たちの祈りです。

今日得られても、明日得られるかどうかわからない、そんな生活を強いられている人たちの祈りです。

あるいは、罪を赦されず、罪の中に生きる人たちの祈りです。

やり直すことが赦されない、立ち返ることも赦されない。そんな絶望の中を生きる人たちの祈りです。

そしてまた、この祈りは、誘惑に怯えている人たちの祈りです。

幾度となく、試練に襲われ、耐えられず、不安を覚える人たちの祈りです。

神の名が汚されている現実、神ならざるものが支配している現実とは、まさに、そのような現実です。

食べ物がない人たちがいるという現実。

やり直すことが赦されない人たちがいるという現実。

辛いことが次から次へと起こり、怯えている人たちがいるという現実。

イエス様は、そのような現実の只中にいて、苦しむ人々と一緒に、この祈りを祈っています。

主の祈りを祈る時、私たちは、そのような世界の現実、そこに生きる人々とつなげられるのです。

・「わたしたち」の祈り

子どもメッセージで言いました通り、主の祈りの主語は「わたし」ではなく、「わたしたち」です。

私の願いや、私の想いではなく、「わたしたち」の願い、「わたしたち」の想いで祈る。

これは、日頃、自分の願いや自分の思いばかりを祈っている者にとって、とても重要なことであると思います。

例えば皆さん、台風が来た時、どんなふうに祈るでしょうか。

今年も、大きな台風が来ました。

沖縄をはじめ、九州も本州も、大きな影響を受けました。

8月初めに起こった台風は、本当に、おかしな進路の台風でした。

一旦沖縄から離れたのに、また戻ってきて、そして、九州全域を覆うように北上していく。

ちょうどその時期に、関東から来る友人たちと、旅行に行く計画がありましたので、私は、「どうか台風がそれますように」と祈っていました。

すると、次第に台風の進路が西へ西へとずれていきまして、朝鮮半島の方へと抜けていきました。

私はそれを見て、良かった、ありがとうと思いました。

本当に、自分のことしか考えていない。

私は良かったとしても、そのことによって、台風に襲われている人たちがいる。

そのことに、想いを向けられない。

そんな私たちが、時にいるのではないでしょうか。

主の祈りは、そんな自己中心的な私たちを、他者へと解放します。

つながりへと、導いてくれます。

「私は食べる物があるから大丈夫」ではなく、食べるものがない人たちのことを思う想いを与えてくれます。

「自分は、赦されているから大丈夫」ではなく、罪人の赦しを求める想いが与えられます。

そうやって、イエス様と繋がり、誰かとつながって祈る時、自分もまた一人じゃないことに気付かされます。

誰かのために祈る時、自分もまた、誰かによって祈られている存在であることに気づくわけです。

自分で自分のことを祈るよりも、誰かに祈られることの方が、何倍も力になります。

以前、祈祷会の時に、ある方から、「なぜ祈りの課題を分かち合うんですか?」と聞かれたことがあります。

それは、祈られることが、嬉しいことだからです。

祈祷会で、参加者同士で祈り合う時間がありますが、自分のことを祈られると、とても嬉しくなりますし、とても励まされます。

私のために祈ってくれている人がいる。

私は、一人じゃない。

そのことを覚えるだけで、力が湧いてきます。

主の祈りは、そのことを、教えてくれる祈りです。

・つながる恵み

主の祈りを祈る時、私たちは、イエス様とつながり、神様とつながり、そして、世界中の人たちとつながることができます。

そして、そのことによって、私も、祈られている。

私が誰かのために祈っているように、私も、誰かによって、祈られている。

そのことを教えられます。

このつながりこそが、祈りの、とりわけ、主の祈りの恵みなのだと思います。

主の祈りを、祈りましょう。

互いを覚え合いながら、食べ物のない誰かのために、赦しを求める誰かのために、不安を覚える誰かのために、祈りましょう。

そして、自分も祈られている。

自分は、決して一人じゃない。

そのことを、覚えるものでありたいと思います。

お祈りします。

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