2022年11月27日メッセージ「わたしも同じ人間です」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、使徒言行録10章23節b〜34節。

新共同訳新約聖書233頁です。

10:23b 翌日、ペトロはそこをたち、彼らと出かけた。ヤッファの兄弟も何人か一緒に行った。

10:24 次の日、一行はカイサリアに到着した。コルネリウスは親類や親しい友人を呼び集めて待っていた。

10:25 ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。

10:26 ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」

10:27 そして、話しながら家に入ってみると、大勢の人が集まっていたので、

10:28 彼らに言った。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。

10:29 それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか。」

10:30 すると、コルネリウスが言った。「四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、輝く服を着た人がわたしの前に立って、

10:31 言うのです。『コルネリウス、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられた。

10:32 ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、海岸にある革なめし職人シモンの家に泊まっている。』

10:33 それで、早速あなたのところに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」

10:34 そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。

「わたしも同じ人間です」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

今日は、世界バプテスト祈祷週間礼拝です。

先ほどは、宣教師の先生の働きについて、報告がありました。

今、私たちは、カンボジア、インドネシア、そしてルワンダに、宣教師を派遣しています。

特に、今年の7月には、インドネシアで働いておられる野口日宇満宣教師と佳奈宣教師が、大分教会に来てくれましたけれども、

そういう宣教師の先生たちの働きによって、イエス様の言葉は、世界中に広められてきました。

私たちが今日、こうして、イエス様の話を聞くことができているのも、アメリカから派遣された、宣教師の先生方のおかげです。

海を越え、山を越え、国や人種の違いも超えて、イエス様の福音を伝えに来てくれました。

そのおかげで、今日、私たちも、イエス様の言葉を聞くことができています。

そのことを、まず、感謝したいと思いますが、

実は、今日の箇所には、その第一歩、始まりの様子が記されています。

イエス様の言葉が、世界中に広がっていくきっかけとなった出来事が記されています。

それはなんだったかというと、一つの出会いでした。

全ては、この出会いから、始まっていきました。

登場するのは、ペトロさんとコルネリウスさん。

この二人の出会いから、始まっていくんですが、

しかし、この二人の間には、大きな壁がありました。

ペトロさんはユダヤ人、コルネリウスさんはローマ人だったんですが、

実は、当時、ユダヤの掟では、

「ユダヤ人は、外国人を訪問したり、仲良くしたりしちゃいけないよ」って決められていたそうです。

ユダヤ人はユダヤ人の中だけで仲良くする。

外国人と交わると汚れる。

悪いものがいっぱい入ってくるから、仲良くしたらダメだって、そう教えられていたそうです。

だから、ペトロさん、外国人と会うなんて、あり得ないと思っていました。

でも、そんなペトロさんが、コルネリウスさんのところへ出かけていきました。

なんで、ペトロさん、出かけて行ったのか。

それは、神様に導かれたからでした。

神様が、ペトロさんを、コルネリウスさんのところに連れていきました。

そして、二人を出会わせたんです。

そしたら、何が起こったか。

あんなに、外国人を嫌っていたペトロさんが、コルネリウスさんに向かって、「わたしも同じ人間です。」って言ったんです。

「外国人もユダヤ人も、何も変わらない。同じ人間だ。」って。

そして、ペトロさん、気づくんです。

「神様は、人を、差別しない」って。

神様は、ユダヤ人もローマ人も、みんな大事にしておられる。

みんなに、愛を注いでおられる。

そのことに気付かされた時、ペトロさんは、もうユダヤ人だけに伝えるのはやめよう。

みんなに伝えようって、思った。

これが、世界に、イエス様の言葉が広がっていく、始まりでした。

この話は、私たちに、「出会う」そして「相手のことを知る」ってことが、どれだけ大事かということを、教えています。

ペトロさんは、その出会いを通して、大切なことに、気付かされていきました。

だから、私たちも、出会っていきましょう。

そして、互いに知り合っていきましょう。

その出会いを通して、神様は、私たちに、大事なことを教えてくれます。

出会っていきましょう。

お祈りします。

・テーマ

先ほど言いました通り、今日の礼拝は、世界バプテスト祈祷週間礼拝です。

キリストの福音を、世界中に広げていく。

そのために、私たちにできることはなんだろうか。

祈りつつ、考えたいと思いますが、

しかし、その前に、まず感謝したいと思います。

私たちの教派は、日本バプテスト連盟と言いますが、

その歩みは、アメリカ南部バプテスト連盟の宣教師の働きによって始まりました。

最初に来日したのは、1889年、マッコーラム宣教師と、ブランソン宣教師でした。

二人は、若松、小倉、芦屋、門司、つまり北九州を拠点に、活動を始めていきました。

それが、私たちの歩みの始まりだったのですが、

実は、彼らが来日する前に、1860年、ローラー宣教師夫妻が派遣されていました。

でも、この夫妻は、日本にたどり着くことができませんでした。

記録によりますと、1860年8月3日に送り出され、その後、太平洋上で消息を絶ったと、言われています。

1860年と言えば、日本はまだ江戸時代です。

当然、飛行機なんてありません。

宣教師たちは、船で、日本に来たのですが、それは、命懸けのことでした。

こうした宣教師の方々の献身があったからこそ、今の私たちの歩みがあるのだと、改めて思わされます。

そのようにして、多くの祈りと献身、また献金によって、イエス様の福音は、世界各地に広げられてきました。

ガリラヤのナザレという、世界の片隅で始まったイエス様の運動が、今や、人種や国籍を超えて、分かち合われています。

でも、それは当初、あり得ないことでした。

イエス様の弟子たちは、こんな状況、考えてもいなかったと思います。

世界宣教というのは、人の想いや、人の計画によって、始まっていったのではありませんでした。

今日の箇所には、そのことが、はっきりと語られています。

・神による出会い

先ほども言いました通り、今日の箇所には、世界宣教のきっかけとなった出来事が、記されています。

それは、一つの出会いでした。

単なる出会いではありません。

キリスト教の歴史を変えた出会いです。

キリスト教の歴史にとって、ものすごく重要な出会いです。

この出会いがなかったら、福音が、ユダヤ人の枠を超え、異邦人世界へと広まっていくことはなかったかもしれない。

そして、私たちは、今日、この場所に集まっていることはなかったかもしれない。

それほど大きな出会いです。

それは、ペトロとコルネリウスの出会いでした。

この二人の出会いによって、キリスト教の歴史は、大きく変わっていくのですが、

でも、この二人、友達でもなければ、知り合いでもありませんでした。

全くの初対面です。

どうやって、出会っていったんでしょうか。

共通の知人の紹介でしょうか。

それとも、Facebookとか、インスタで出会ったんでしょうか。

もちろん、当時は、そんな手段はありません。

じゃあ、どうやって出会ったのか。

この出会いを導いたのは、神様でした。

神様が、この二人を出会わせたと、聖書は語っています。

偶然でも、彼らの想いでもなく、神様が出会わせた。

長いので、今日は省略しましたけれども、10章の前半には、そのことが記されています。

読んでみますと、そこには、神様が、幻を通して、それぞれに語りかける様子があります。

コルネリウスには、「今ヤッファというところに、ペトロという人がいるから、人を送って、ペトロを招きなさい。」と語りかけました。

それを聞いたコルネリウスは、言われる通り、三人の使いを、ペトロのもとへ遣わしました。

一方で、ペトロにも、神様は語りかけます。

19節20節「三人の者があなたを探しに来ている。

立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」

ペトロも、言われるがまま、降りていくと、言葉通り、三人の使いがいました。

そして、訳もわからないまま、彼らに従っていきました。

その結果、コルネリウスと出会うわけです。

このように、ペトロとコルネリウスを出会わせたのは、神様でした。

ペトロの意志でも、コルネリウスの意志でもなく、

神様の意志によって、二人は、出会わされていったわけです。

・二人の間に立ちはだかる壁

でも、なんで神様は、そうまでして、二人を出会わせたんでしょうか。

それは、壁を壊すため、だったのだと思います。

この二人の間には、壁がありました。

先ほど、言いました通り、

ユダヤ人であるペトロは、ローマ人であるコルネリウスに出会うことを、律法で禁じられたことだと思っていました。

ユダヤ人は清い者で、異邦人は汚れた者。

そういう考えが、ペトロの中にあったわけです。

そのような、ユダヤ人と異邦人との間にあった壁は、旧約聖書を読めば、よくわかります。

今、祈祷会で、旧約聖書を続けて読んでいますが、そこには、ユダヤ人と異邦人との戦いの様子が、たくさん記されています。

いつも戦ってばかりで、いつも敵同士です。

ペトロの差別感情というのは、そういう長い歴史の中で、形成されてきたことでした。

福音が世界に広げられていくためには、この壁を、越えていかなければなりませんが、

それは、非常に困難なことでした。

ペトロ一人の問題ではない。

長い歴史の中で形成されてきた、ユダヤ全体の問題でした。

どうやったら、この壁を越えていくことができるのか。

壊すことができるのか。

それが、出会いです。

出会いが、この壁を、取り除いていきました。

・出会いは壁を壊す

ペトロは、コルネリウスとの出会いを通して、二つのことに気付かされていきました。

一つは、自分とコルネリウスが、同じ人間であるということでした。

25節、26節

「ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。

ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」」

岩波訳聖書では、「私も同じ人間です」と訳されています。

あなたと同じ人間だと、ペトロはそう言ったのです。

コルネリウスが、足元に平伏して拝むもんだから、思わずそう言ったのかもしれません。

「いやいやいや、そんなことしないでください。

私は、ただの人間です。

あなたと同じ人間です。」

咄嗟にそう出たのかもしれない。

でも、これ、ペトロからすれば、すごい言葉だと思います。

外国人と会うことは、いけないことだと思っていた。

外国人は汚れているって、思っていた。

そんなペトロが、コルネリウスに向かって、「同じ人間だ」って、言ったんです。

「出会い」って、すごいと思います。

出会って数秒で、ペトロさん、もう壁が壊されてきている。

もう一つ、出会いによって、気づかされたことがあります。

それは、神様が人を分け隔てなさらないということです。

34節

「そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。」」

神様は、人を分け隔てなさらない。

分け隔てないというのは、差別がないということです。

あの人は愛するけれど、この人は愛さない。

ユダヤ人は愛するけれど、異邦人は愛さないって、そんなことはしない。

みんな愛するってことです。

人種や国籍で、差別しないって、いうことです。

ペトロは、コルネリウスの話を聞いて、

この人にも、自分と同じように神様が働いておられるって、そう気付かされていったのです。

もともとペトロは、神様が、異邦人と会っちゃいけないって、そう思っているのだと思っていました。

「律法で、禁じられている」と言っていますので、自分の好き嫌いとかいうよりも、神様が禁じていると、思っていました。

でも、コルネリウスと出会って、そうじゃないということに気付かされていったのです。

神様は、人を分け隔てなさらない。

分け隔ててきたのは、自分だった。

自分の、思い込みだったんだって。

ペトロは、コルネリウスと出会って、そして、語り合って、

同じ人間だということを知りました。

神様は、分け隔てなさらない。

人種や国籍を超えて、全ての人を大切にされていると、知りました。

この二つの気づきによって、壁は、壊されていきました。

そして、イエス様の福音は、分かち合われていったのです。

世界宣教は、ここから、始まっていきました。

・出会いに向かって

世界中に、福音を広げていくために、神様は、出会いを与えられました。

しかも異なる者との出会いを、与えられました。

そして、その出会いを通して、両者の間にある壁を、壊されていきました。

同じ人間だ。あなたも私も、神様に愛されている同じ人間だと、そう気づかせることを通して、壁を壊していかれました。

そこに、世界宣教の御業が、起こされていったのです。

世界宣教とか、人種や国籍を超えて福音を共有するということのために、まず必要なのは、出会うことだということです。

異なる者同士が出会い、人種や国籍を超えて、同じ人間として繋がっていく。

そこに、世界宣教は、起こされていくのです。

人種や国籍を超えて、出会っていく。

そして、知り合っていく。

一昔前は、そのために、海を越え山を越え、世界に出かけていかなければなりませんでした。

海外に行かなければ、海外の人と出会えない。

宣教師にならなければ、世界宣教できない。

そう思われていましたが、今はもう、そんな時代じゃありません。

すでに世界は、グローバル化していまして、

この日本にも、すでに、300万人近い外国籍の方々が、住んでおられます。

そして、感謝なことに、一緒に、礼拝を献げる機会も与えられています。

世界宣教は、もう宣教師だけの働きではありません。

私たちも担うことができる働きとなっています。

お隣の別府国際教会は、一足早く、このことに取り組んでおられますけれども、

そのように、私たちにも、担うことができるようになりました。

そして、そのために神様は、私たちを、異なる者との出会いへと招いておられます。

その導きに従っていきたいと思います。

人種や国籍を超えて、まず出会っていきましょう。

そして、互いに知り合うことを、大事にしたいと思います。

ペトロと同じように、きっと、私たちの中にも壁があるでしょう。

言語の壁、文化の壁、様々な壁があるでしょう。

気づかない差別意識も、きっとあると思います。

でも、聖書は、出会って、交わって、知り合っていく時に、その壁は壊されると、教えています。

壁が壊され、同じ人間として、共に歩んでいく者となる。

それが、世界宣教であり、平和の神の宣教なのです。

そのために神様は、異なる者との出会いへと、わたしたちを導いていきます。

神様の導きに従って、出会う者となっていきましょう。

お祈りします。

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