2025年8月31日主日礼拝「恐れの夜から祝福の朝へ」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、創世記32章23節〜31節。

32:23 その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。

32:24 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、

32:25 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。

32:26 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。

32:27 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」

32:28 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、

32:29 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」

32:30 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。

32:31 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。

「恐れの夜から祝福の朝へ」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

おはようございます。

今日は、臼杵教会の皆さんとご一緒に、礼拝を献げることができておりますことを、感謝いたします。

今日も、まず最初に、子どもたちに向けて、メッセージをしたいと思います。

今、私たちは、創世記から、エサウとヤコブという双子の兄弟の物語を続けて読んでいます。

簡単に、これまでのお話を、紙芝居で、振り返りたいと思います。

1、イサクとリベカの夫婦に、エサウとヤコブという双子の兄弟が与えられました。

2、お兄さんであるエサウは、野を走り回る狩人になりました。

一方、弟のヤコブはとてもおとなしく、外を出歩くよりも、家の手伝いをする方が好きでした。

性格も、好きなことも、全然違う兄弟でしてが、一緒に暮らしていました。

ところが、ある事をきっかけに、二人は離れ離れになってしまいます。

3、どんな事があったかというと、それは、弟のヤコブが、お兄さんに与えられるはずの祝福を奪ってしまうということでした。

本当は、お兄さんが、お父さんから祝福をもらうはずでした。

それなのに、弟ヤコブは、お兄さんのふりをして、目の見えないお父さんを騙して、祝福を手に入れてしまいました。

4、それを知ったお兄さんは、カンカンに怒ります。

「ヤコブのやつ、よくも祝福を奪ったな!!絶対に許さない。」

お兄さんが怒っているのを知ったお母さんは、このままではまずいと思って、おじさんの家に、ヤコブを逃すことにしました。

ヤコブは、お母さんに言われるまま、逃げるようにして、家を出て行きました。

ここまでが、これまでのお話ですが、今日のお話は、ここからいっきに時間が経って、20年後のお話です。

5、ヤコブさんが、逃げるようにお家を出てから20年。

ヤコブさんはどうなっていたか。

6、ヤコブさんは、おじさんのもとで、幸せに暮らしていました。

結婚もしました。子供も生まれました。たくさんの羊や山羊も持ち、何不自由ない生活ができるようになっていました。

でも、やっぱりそこは人の家。

ヤコブさんの心には、故郷に帰りたいという想いがありました。

7、そんな時、ヤコブさんは、神様の声を聞きます。

「ヤコブよ、あなたの故郷に帰りなさい。」

ヤコブさん、どんな気持ちになったでしょう。

故郷へ帰りたいという気持ちはある。

でも、そのためには、お兄さんと会わないといけない。

祝福を奪って、傷つけてしまったお兄さんと、会わないといけない。

そのことが怖くて、ヤコブさんの足は、なかなか前に進みませんでした。

「お兄さん、怒っているだろうな。恨んでいるだろうな。

僕のことを見たら、きっと、仕返ししてくるだろうな。」

怖くて、足が止まってしまったヤコブさん。

そんなヤコブさんを、ある夜、何者かが襲います。

誰かはわかりません。真っ暗で何も見えない。怖い。逃げたい。

でも、ヤコブさんは、必死で闘いました。

次第に、ヤコブさんは、その相手が、神様であることに気づきます。

その時、神様は言いました。

「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」

お兄さんに会うことを恐れていたヤコブさんでしたが、勇気が湧いてきました。

ヤコブさんのように、みんなにも、会いづらい人がいるかもしれません。

喧嘩したり、傷つけたりしちゃって、会いづらくなっちゃっている人がいるかもしれない。

そういう人に会って、「ごめんね」って言うのって、とても勇気のいることだと思います。

もしかしたら、ゆるしてくれないかもしれない。仕返しされるかもしれない。怖い。

でも、神様は、そんな私たちと共にいて、勇気を与えてくださるお方です。

神様から勇気をもらって、怖くても、一歩、踏み出せる人になっていきたい。

誰かを傷つけた時には、「ごめんなさい」って、言える人になっていきたいと思います。

お祈りしましょう。

・導入

皆さんには、会いづらいと思う人がいるでしょうか。

会うことに対して、恐れや不安を覚える人はいるでしょうか。

ヤコブにとって、兄エサウは、まさにそういう人でした。

・あらすじ

先ほど、紙芝居で振り返りました通り、ヤコブは、父を騙し、兄エサウに与えられるはずの祝福を奪い取りました。

当然エサウは怒りました。

ヤコブを殺そうと思うほど、激しく怒りました。

それでヤコブは、家を飛び出し、伯父ラバンの元に身を寄せます。

20年という長い間、ヤコブは、伯父ラバンの元で働きます。

結婚もし、子供も生まれ、たくさんの財産を得ます。

でも、ヤコブにとってその場所は、安住の地ではありませんでした。

伯父ラバンは、ヤコブのことを、都合よく使い、束縛しました。

そんな日々の中で、ヤコブは、故郷のことを思い出していました。

懐かしい風景、父や母と過ごした日々、そして兄のこと。

故郷へ帰りたいと、そう思うたびに、自分の犯してしまった罪がよみがえってくる。

怒った兄の顔が迫ってくる。

そんなヤコブに、神様は「故郷に帰りなさい」と言われました。

葛藤を抱えつつも、ヤコブは、伯父ラバンのもとを離れ、兄エサウのいる故郷へと向かっていきます。

今日の箇所は、その旅の途中、ヤコブ一行が、ヤボク川を渡る場面です。

・ 恐れるヤコブ

ヤボク川は、ヨルダン川につながっている川の一つで、ヤコブと故郷を隔てていた川でした。

そこを渡れば、もうすぐ故郷であるという、その川を、ヤコブは、皆を導いて渡りました。

家族、財産、僕たち。全てを渡らせた後、ヤコブは独り立ち止まります。

なぜ、独り、立ち止まったのか。そこには、兄エサウに対する恐れがありました。

ヤコブは、エサウに会うために、いろいろな準備をしていました。

その様子が、32章の前半に書かれています。

まず、使いの者を送って、ご機嫌を伺っていました。

使いの者に、「あなたの僕ヤコブはこう申しております。わたしはラバンのもとに滞在し今日に至りましたが、牛、ろば、羊、男女の奴隷を所有するようになりました。そこで、使いの者を御主人様のもとに送って御報告し、御機嫌をお伺いいたします。」と言わせました。

エサウのことをご主人様と呼び、自分はあなたの僕ヤコブだと、そう言って、ご機嫌を伺ったわけです。

でも、帰ってきた使いの報告は、ヤコブの恐れを、さらに大きくしました。

使いは言いました。

「兄上のエサウさまのところへ行って参りました。兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます。」

400人のお供を連れてやってくる。

そう聞いて、ヤコブは非常に恐れたと記されています。

使いは、「あなたを迎えるため」と言っていますが、ヤコブは、まるで体調が兵隊を連れて攻めてくるかのように思っていました。

それで、連れている人々を、羊、牛、らくだなどと共に二組に分けました。

一方を攻撃されても、もう一方は助かると思ったからだと、聖書に記されています。

さらにヤコブは、兄エサウへの贈り物を用意しました。

雌山羊二百匹、雄山羊二十匹、雌羊二百匹、雄羊二十匹、牛やロバも用意します。

そして、その贈り物を3つの群れに分け、先にエサウのもとへ行かせました。

「あなたの僕ヤコブからの贈り物です。どうぞ受け取ってください。僕ヤコブも後から参ります。」そう言わせて、ご機嫌を伺おうとしました。

そこまでしなければならないほど、ヤコブはエサウを恐れていたのです。

12節の祈りには、ヤコブの正直な思いが表れています。

「どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません」と言っています。

・見えないからこそ広がる恐怖

なぜ、そんなにも恐れていたのか。

この恐れには、ヤコブの罪意識の大きさが表れているように思います。

「自分はとんでもないことをしてしまった。

取り返しのつかないことをしてしまった。

さぞ、お兄さんは、自分のことを憎んでいるだろう。

きっと、赦してなんてくれないだろう。

自分は、それだけ罪深いことをしてしまったんだ。」

20年もの長い間、ヤコブは、故郷から離れていましたが、自分の犯した罪を、忘れることはできなかったのです。

郷ひろみの歌の一節に、「会えない時間が愛育てるのさ。目をつぶれば君がいる。」という歌詞があります。

会えないからこそ、余計に相手のことを考えてしまうとか、見えないからこそ、余計に想像してしまう、気になってしまうということがあります。

これは人間の心理だと思います。

育っていくものが愛情であれば良いのですが、ヤコブの場合、募っていったのは、エサウに対する恐怖でした。

「今も兄は、自分のことを、恨んでいるだろう。

憎しみを募らせているにちがいない。」

そうやって、勝手に想像し、恐れを膨らませていたのです。

皆さんにも、そんなことがあると思います。

本当は違うのに、勝手に良くないことを想像し、恐れを膨らませてしまう。

「こうなったらどうしよう。きっと、こうに違いない。」そうやって思い込んだり、決めつけたりして、想像で恐れを膨らませていく。

ヤコブも、そうだったのです。

この時ヤコブには、家族がいました。財産がありました。

逃げて行った時とは違い、彼には、守るべきものがありました。

そのことも、恐れを増す要因になったと思います。

「神様は、故郷へ帰れと言うけれど、本当に帰って大丈夫だろうか。

兄は、ゆるしてなんてくれないんじゃないか。

むしろ、何倍にも仕返しされてしまうんじゃないだろうか。

別に、無理して故郷に帰らなくても生きていけるし、家族も守らないといけない。

このまま故郷へ帰らずに、別の場所で暮らした方がいいんじゃないか。」

ヤコブの心は、大きく揺れていました。

・何者かとの格闘

そんな夜のことでした。ヤコブは、何者かと闘います。

相手が誰かはわかりません。

得体の知れない恐怖が、ヤコブを襲います。

でも、ヤコブは逃げませんでした。

兄を恐れ、逃げたいと思っていた。

兄に会うために、色々と柵を講じていたヤコブですが、ここでは逃げずに、正面から闘います。

闘っている間に、相手が神であるということに気づいたのか、途中からヤコブは、祝福を求めるようになります。

祝福といえば、兄エサウから奪ったものですが、それをしがみついてでも手に入れようとします。

奪ってまで手に入れた祝福でしたが、ヤコブは、実感できずにいたのではないでしょうか。

むしろ、それと引き換えに、失ったものの方が大きかったのではないか。

ヤコブは、祝福と引き換えに、家族も、故郷も失いました。

その喪失感は、どんなに家族ができても、どんなに財産が増えても、埋められなかったのです。

だから、ヤコブは、必死に祝福を求めたのだと思います。

腿を打たれ、関節が外れても、なおしがみついて離そうとしません。

「もう去らせてくれ」と言われても、「祝福してくださるまで離しません」と言って、しがみつきます。

・新しい名前を与えられる

闘いの末、ヤコブは、神様から祝福を与えられます。

それは、子孫でも土地でもなく「イスラエル」という名前でした。

名は体を表すと言われますが、ユダヤ人にとって、名前は、実質を表すものだと言われています。

ですから、名前が変わるというのは、その人自身の変化を表すことであったわけです。

つまり、ヤコブは、この闘いを経て、変えられたわけです。

逃げる者から、立ち向かう者へと変えられた。

それが、ヤコブからイスラエルへの変化だったわけです。

その証拠に、次の33章の3節を見てみますと、「ヤコブはそれから、先頭に進み出て」と書いてあります。

エサウから逃げていたヤコブは、エサウと向き合おうと先頭に立っていくわけです。

・結論

ヤコブは、恐れと葛藤の中で神と出会い、神にしがみつき、問題に向き合う勇気と力を与えられました。

恐れがなくなったわけではありません。

彼は、エサウに会う時に、7度、地にひれ伏したと書いてあります。

やっぱり怖かったんだと思います。

でも、彼は逃げなかった。問題に向き合う者に、なっていきました。

私たちにも、逃げたいと思うような問題に直面することがあるでしょう。

逃げるのは、悪いことではありません。

逃げる、環境を変えることで、問題が解決するなら、その選択も必要だと思います。

事実、ヤコブは、故郷から、伯父ラバンのもとに逃げたことで、命を救われました。

ですから、逃げるということも、必要な道だと思います。

でも、場合によっては、逃げられないこともあるわけです。

ヤコブの場合、故郷に帰るためには、兄エサウとの問題を避けることはできませんでした。

私たちにもそんなことがあると思います。

そんな時、神様は私たちと共におられます。

ヤコブがそうであったように、恐れの夜を祝福の朝に変えてくださる神がいる。

でも、その神の祝福にあずかるためには、私たちも、黙っていてはいけません。

ヤコブがそうであったように、神にしがみつく。神を離さない。

そうやって恐れの夜を乗り越える時に、私たちは、神が与えてくださる祝福の朝を迎えることができるのです。

今日は、恐れと不安の中に神が共におられるということと、その神にしがみつくということ。

ヤコブがそうしたように、信じて離さない。

そうやって恐れの夜を乗り越える時に、神が与えてくださる祝福の朝を迎えることができるのだということを覚えたいと思います。

お祈りしましょう。

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