2025年12月28日主日礼拝「信じて待ち望む」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、ルカによる福音書2章22節〜35節。

2:22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。

2:23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。

2:24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。

2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。

2:27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。

2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。

2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。

2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。

2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、

2:32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」

2:33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。

2:34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、 反対を受けるしるしとして定められています。

2:35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

「信じて待ち望む」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

おはようございます。

今日も最初に、子どもメッセージからしたいと思いますが、今日の礼拝は、2025年最後の礼拝です。

みんなにとって、この1年はどんな1年だったでしょうか。

やりたかったことはできたでしょうか。

行きたかったところには行けたでしょうか。

全部できた。思い残すことは何もないと、そう思える人はなかなかいないかもしれません。

そんな気持ちになれたらいいなと思いますが、なかなかなれるもんじゃないと思います。

あそこ行きたかったけど、行けなかったなとか、

あの人に会いたかったけど、会えなかったなとか、そんなことが、一つや二つあるのが普通だろうと思います。

でも、今日の箇所に登場するシメオンさんっていう人は、人生の最期に、「もういつ死んでもいい。思い残すことは何もない」って、そう言ったんだそうです。

すごいですよね。

「もういつ死んでもいい。思い残すことは何もない」って、そう思えるって、すごいことだなと思いますが、なんでそんな気持ちになったのか。

それは、シメオンさんが、イエス様と出会ったからでした。

シメオンさんは、イエス様と出会う日を信じて待っていました。

どれぐらいの時間待ったかは、わかりません。

5年でしょうか。

10年でしょうか。

もっとだったかもしれません。

長い間、イエス様のことを待っていました。

待つっていうのは、大変なことです。

私は小さい頃から漫画が好きなんですが、週刊少年ジャンプっていう漫画雑誌が大好きで、毎週欠かさず読んでいました。

特に好きで読んでいたのは、ドラゴンボールとか、ワンピースとかだったんですが、

新しい話が出たら、あっという間に読んでしまって、すぐに次の話が読みたくなるんですが、一週間待たないといけないんですね。

これが長い長い、やっとの思いでジャンプを開いたら、時々お休みの時があったりして、そんな時は、本当に残念な気持ちになったことを思い出します。

中でも、ハンターハンターっていう漫画がありまして、これが、お休みがすごく多い漫画で、4年近くお休みしたこともありました。

正直それはもう待てなくて、いつからか、読むのをやめてしまいました。

そんなふうに、待つっていうのは、簡単なことじゃありません。

シメオンさんも、待っている期間は、大変だったと思います。

でも、その期間があったからこそ、イエス様と会った時の感動は、すごい大きなものになったんじゃないでしょうか。

思い残すことがないって思えたのも、シメオンさんが待ち続けたからだと思います。

今日は、待つことの大切さを、心に覚えたいと思います。

シメオンさんは、待ち続けた結果、イエス様と出会うことができました。

みんなにもいつか、イエス様と出会うような、そんな日が来る。

信じて待ち望む人に、イエス様は必ずや出会ってくださる。そう聖書は教えています。

それがいつなのか、どんな経験なのかはわかりませんが、その時を信じて待ち望む人になってほしいと思います。

イエス様は、信じて待ち望む人を、決して裏切りません。

必ずや出会ってくださるお方です。

お祈りします。

・序

クリスマスが終わりました。

今年も様々な行事が行われました。

残念ながら、子どもクリスマスは、参加者の体調不良が重なって、実施することができませんでしたけれども、準備してくださった方々には、本当に感謝したいと思います。

毎年、慌ただしく過ぎ去っていくクリスマスですが、しかし、振り返ってみると、今年も嬉しいことがたくさんありました。

今年もクリスマスコミュニティーコンサートには、地域の方々がたくさん参加してくださいましたし、

先日のクリスマスイヴ礼拝には、初めて参加してくださった方々や、久しぶりにお会いできた方々もいらっしゃって、いつもよりもたくさんの方々と共に、礼拝を献げることができました。

先週行いました祝会と愛餐会にも、例年以上にたくさんの方々が参加してくださいましたし、

25日には、願っていた吉高國彦兄弟と美籠姉妹のホームにも訪問でき、共に礼拝を献げることができました。

行事としてのクリスマスは終わりましたけれども、クリスマスの恵みが尽きることはありません。

今もなおイエス様は共にいて、私たちの歩みを導いてくださっていると信じますが、今年1年の歩みを振り返った時に、そのことを実感するような出会いや出来事があったでしょうか。

今日の箇所には、シメオンとイエス様との出会いの様子が記されていますが、皆さんは、どうでしょうか。

今年1年の歩みの中で、イエス様と出会うような、

あるいは、御言葉と出会うような、そんな経験があったでしょうか。

シメオンがイエス様と出会ったのは、イエス様が生まれて40日が経った頃でした。

初めての子どもが生まれたら神に献げものをするというユダヤの慣習に従って、マリアとヨセフは、イエス様を連れてエルサレムにやってきました。

そこに、霊に導かれてやってきたのが、シメオンでした。

彼は「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」(26節)という聖霊のお告げを信じて、救い主を待ち望んでいました。

救い主に会うことは、彼の人生最後の願いでした。

その待ちに待った瞬間がやってきて、彼は、イエス様を抱きかかえずにはいられませんでした。

そして、神様を讃えて言いました。

29節「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」

「安らかに去らせてくださいます」というのは、「安心して死ねる」ということです。

思い残すことは何もないという気持ちがあらわれています。

それほど彼は、この時を待っていたのです。

待つというのは、簡単なことじゃありません。

「時は金なり」と言われるように、時間というのは大変貴重なものです。

最近では、「コスパ」の時間版で、「タイパ」なんてことも言われます。

短時間でより高い成果や満足が求められるようになっています。

YouTubeとか、TikTokといった動画の見られるサイトなんかでは顕著にその傾向が現れていて、若い人たちはもう長い時間の動画は見ないようです。

良いところだけを切り抜いた切り抜き動画とか、短時間で終わるショート動画、長い時間の動画を見る時にも、倍速で見たりしているそうです。

携帯電話が使われるようになってから、連絡を取り合うのが、格段に楽に、そして早くなりました。

スマホになってからは、連絡だけでなく、ありとあらゆる情報を早く得られるようになりました。

さらにAIの登場で、そのスピードは加速しています。

そんな時代に生きていると、知らず知らずのうちに、待てなくなっているということがあるんじゃないでしょうか。

そしてそれは、忍耐力の低下とつながっているように思います。

待つというのは、忍耐のいることです。

特にシメオンの場合、メシアと会うことは約束されていましたが、いつ会うのかまでは知らされていませんでした。

いつ会えるかもわからない人を待ち続けることほど、忍耐のいることはありません。

待っても待っても、いっこうに姿を現さない。

「今日も来なかった」「今日も会えなかった」そんな日々を何度も繰り返していたのだと思います。

「いつになったら会えるのだろう。

本当にそんな日が来るんだろうか」信じることに疲れを覚えたり、諦めてしまいたくなるときもあったかもしれません。

それでもシメオンは、イエス様と会う日を待ち望んでいました。

そして、とうとう、その日が来たわけです。

待ちに待った約束が成就する日が来た。

シメオンは、霊に導かれて神殿にやってきました。

そして、ついにイエス様と出会うわけですが、

そこにいたのは、まだ何もできない普通の赤ちゃんでした。

救い主の片鱗も見えません。

光り輝いているわけでもなければ、空中に浮いているわけでもない。

両親に抱かれているイエス様の姿は、決して特別なものではなかったと思います。

そんな普通の赤ちゃんを見て、彼が「救いを見た」というほどの感動を覚えることができたのは、一つにはやはり、待ち続けた日々があったからだと思います。

待ち続けた日々が、この出会いを特別なものにしたのだと思います。

待つということが、決して無駄な営みではないことを、教えられます。

待たなければ得られない感動があるのだと思いますし、

待たなければ出会えない経験というのがあるのだと思います。

イエス様との出会い、御言葉との出会いを信じて待ち望む人を、神様は決して裏切らない。

その労苦は、必ずや報いられる。

御言葉が空しく地に落ちることはないんだということを、改めて教えられます。

でも、やっぱり気になるのは、その出会い方です。

シメオンにとって、イエス様との出会いは、期待通りのものだったのでしょうか。

「え、この人が救い主?

これが、待ち望んできた出会い?」って、思うことはなかったのでしょうか。

今日の箇所を通して思わされるのは、イエス様との出会い、御言葉との出会いというのは、時に、私たちの想いとはズレることがあるということです。

期待していたことと違う。

思っていたことと違う、そんなことがあるということです。

シメオンが見たという「救い」の内容も、彼自身が思い描いていた形そのままではありませんでした。

25節にあるように、シメオンが待ち望んでいたのは、「イスラエルの慰め」でした。

ローマの支配からの解放、イスラエル王国の復活、それが、彼の願いでした。

ところがシメオン自身言っている通り、イエス様は、イスラエルだけでなく、異邦人をも含む万民の救いとして遣わされた方でした。

イスラエルの誉れとなると同時に、異邦人を照らす啓示の光でもあったのです。

このずれは、シメオンだけじゃない。

イスラエルの多くの人々にとっても、そうでした。

人々が期待していたのは、ローマを打ち倒し、ダビデの時代のあの繁栄を取り戻してくれるメシアでした。

イスラエルの地位を、確固たるものとしてくださる、力強いメシアでした。

でも、イエス様は、そうじゃありませんでした。

イエス様がたずねたのは、病人であり、罪人であり、異邦人でした。

イエス様は彼らと共に食卓を囲み、彼らの仲間となられました。

そのずれ、期待と現実のずれが、やがて反対や分断を生み出し、人々はイエス様を十字架へとかけていったのです。

その中で、35節にあるように、マリアも「剣で心を刺し貫かれる」ような痛みを経験することになります。

このように、イエス様との出会い、み言葉との出会いというのは、私たちにとって、決して都合のよい事ばかりではないのです。

私たちの願い通り、期待通りになるとは限らない。

むしろ、私たちの想いに反するものかもしれないし、期待を裏切るものかもしれない。

それでもシメオンは、その出会いを感謝し、その出会いから平安を得ることができました。

このことは、私たちに、希望を与えるものです。

自分の願い通りでなかったとしても、イエス様との出会い、御言葉との出会いには、喜びがあり、感動があり、平安がある。

神様は、信じて待ち望む人を、決して裏切ることがない。

そのことを覚えたいと思います。

私たちもまた、シメオンと同じように、神の言葉を聞きながら生きています。

イエス様との出会い、御言葉との出会いを待ち望みながら、日々を歩んでいます。

しかし、そのような出会いが、いつ、どのような形で実現するのかは分かりません。

待っても待っても、出会いが与えられないという人もいるでしょうし、

思うような出会いでないということもあるでしょう。

それでも、今日のシメオンの姿は、私たちに確かな希望を与えます。

神の言葉は、決して空しく終わることはないということです。

その出会いは、必ずしも、私たちの思った通りではないかもしれませんが、そこには、私たちの想いを超えた神の計画が用意されているのです。

そのことを信じて、私たちも、待ち望むものでありたいと思います。

もうすぐ新しい1年がやってきます。

どんな年になるか、先は見えませんが、イエス様との出会い、御言葉との出会いに期待したいと思います。

信じて待ち望む人を、神様は決して裏切りません。

私たちの想いを超えて救いを成し遂げてくださる神様を信じ、その時を待ち望みつつ、歩んでいきましょう。

お祈りします。

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