2025年9月28日召天者記念礼拝「いまを生きる」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、マタイによる福音書6章31節〜34節。

6:31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

6:34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

「いまを生きる」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・序

おはようございます。

今日の礼拝は、召天者記念礼拝です。

先に神様の御許に召された方々のことを覚えながら、礼拝を献げています。

この日を覚えて、礼拝に出席してくださっていますご遺族の皆様、本当にありがとうございます。

また、様々な事情で、参加することが叶わなかった方々もいらっしゃいますが、この礼拝を覚えて、献金やお手紙を送ってくださっています。

そういう方々の想いも含めて、今日、こうして召天者記念礼拝を献げられることを、感謝いたします。

毎年、この日には、死や命、生きるということをテーマにメッセージをさせていただいています。

今年はどんなメッセージをしたらいいだろうかと考えていた時に、ふと目に留まったのが「生きる」という絵本でした。

これは、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩を絵本にしたものです。

この詩は、1960年代後半に作られたものだそうですが、昨年11月、谷川さんが亡くなって、改めて注目されています。

今日はこの詩を、絵本で味わってみたいと思います。

・「生きる」

1、「生きる」

2、生きるということ いま生きているということ

3、それはのどがかわくということ 木漏れ日がまぶしいということ

4、ふっと或るメロディを思い出すということ くしゃみをすること

5、あなたと手をつなぐこと

6、生きているということ いま生きているということ

7、それはミニスカート それはプラネタリウム それはヨハン・シュトラウス それはピカソ それはアルプス

8、すべての美しいものに出会うということ

9、そしてかくされた悪を注意深くこばむこと

10、生きているということ いま生きているということ

11、泣けるということ 笑えるということ 怒れるということ

12、13、自由ということ

14、生きているということ いま生きているということ

15、いま遠くで犬が吠えるということ いま地球が廻っているということ いまどこかで産声があがるということ いまどこかで兵士が傷つくということ いまぶらんこがゆれているということ

16、いまいまがすぎてゆくこと

17、生きているということ いま生きているということ

18、鳥ははばたくということ 海はとどろくということ かたつむりははうということ

19、人は愛するということ

20、あなたの手のぬくみ

21、いのちということ

「生きる」という絵本でしたが、いかがだったでしょうか。

皆さんは、どの場面が心に留まったでしょうか。

私が一番心に留まったのは、最初の場面、蝉が死んでいる場面です。

生きるという詩なのに、なんで、この場面から始まるのだろうと思いました。

でも、改めて読んでみると、この場面が一番、生きるということを訴えかけてくるんです。

鳴くこともなく、地面に倒れ、動かなくなった蝉。

私たちも避け難く、いつかは、このようになるわけですが、そのことを思いながら、絵本を読んでいくと、より、生きるというメッセージが迫ってきます。

のどがかわく、くしゃみをする、泣ける、笑える。

当たり前の日常が、当たり前じゃないんだなと思いました。

とても尊いものに感じました。

そして、同時に、その尊さを忘れている自分がいるなと思わされました。

・いまを大事に生きているか

ちょっと前のことですけれども、長男と2人でファミレスに向かって歩いていましたら、それまでうるさいくらいに大きく鳴り響いていた蝉の声が、突然、ふっと消えたんです。

すると、その瞬間、隣にいた息子が「あ、死んだ」って言ったんです。

私は、ドキッとしまして、「え、本当」って息子に言いますと、息子は、「だって、そうでしょ」って言いました。

それで私は「っていうことは、俺たちは、蝉の最後の鳴き声を聞いたってこと」って息子に言うと、「そういうことだね」って言ったんです。

なんかこう切なさが込み上げてきたんですが、同時に、最期の瞬間まで、渾身の力で鳴いていたその蝉を思って、とても感動を覚えました。

まあ、ほとんど妄想なんですけれども、でも、自分はいったいどうだろうかと、問われました。

もう二度と訪れることのないその瞬間、尊い今を、大事に生きているだろうかと、問われたのです。

・「思い悩むな」

そんな中、心に響いてきたのが、今日のイエス様の言葉でした。

34節「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

この言葉は、有名な山上の説教の一節です。

山上の説教は、主に弟子たちに向けて語られた言葉ですが、弟子たちだけに語られた言葉ではありません。

むしろ、イエス様の眼差しは、その背後にいた、群衆たちに向けられていました。

彼らは、明日のことを思い悩まずにはいられない人たちでした。

31節に、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』という、彼らの思い悩みが書かれていますけれども、

これは、レストランで、何を食べようかって、悩んでいるのとは違います。

クローゼットの中で、何を着ようかと、悩んでいるのではありません。

持っている人は、そうやって悩むでしょうけれども、イエス様のもとに集まっていたのは、持たざる人たちです。

何を食べたらいいか、何を飲んだらいいか、何を着たらいいか。

食べるものも、飲むものも持たず、明日生きられるかどうかも、わからない。

明日のことを思うと、心配で心配でしょうがない。

そんな人々にイエス様は、この言葉を語られたのです。

・「明日のことまで」

ここで大事なのは、「明日のことまで」思い悩むなと言われていることです。

イエス様は、思い悩むこと自体を否定しているのではありません。

「明日のことまで」思い悩むなとおっしゃっています。

今日を生きるのにも大変な人たちが、明日のことまで思い悩んでいた。

明日のことを思い悩むばかりに、今日を、今を、大事にできずにいた。

だからイエス様は、この言葉を語られたのだと思います。

私たちにもそういうことがあるんじゃないでしょうか。

私の思い悩みの多くは、家族のことと教会のことです。

子どもたちをちゃんと育てることができるだろうか。

事故や事件に巻き込まれないだろうか。

長男は今朝、修学旅行に行きましたけれども、無事帰ってくるだろうか、羽目を外しすぎないだろうか。

心配しようと思えば、いくらでも心配できるわけです。

でも、その多くは、心配してもしょうがないことです。

心配してもしょうがないことに心を注ぐよりも、今、できることに心を注ぎなさい。

それが、イエス様の言いたいことなのではないかと思います。

先ほど読みました「生きる」という絵本も、似たような経緯でつくられたそうです。

この絵本が作られたのは、東日本大震災の後だそうですけれども、当時、被災した地域の子どもたちがよく言っていたのが、「僕たちいつ死ぬかわからないね」ということだったそうです。

小学生の子どもたちが、死ぬことばかり考えていた。

「死んだらどうなるんだろう。どんなふうに死んじゃうのかな。」

編集者の人が、そういう子どもたちの会話をよく聞いたそうです。

そこで、何か伝えられないだろうかと思った時に、ふと思い出したのが、谷川さんの「生きる」という詩だったそうです。

そこから、この絵本がつくられたそうです。

もちろん、死について考えることは、悪いことではありません。

死を通して、私たちは、生きるとはどういうことかを考えることができますし、生きていることの尊さを、感じることができます。

でも、死ぬことばかり考えて、今日を生きることができないとしたら、それは実に、もったいないことです。

今年の夏、小学生を対象にした教会のキャンプがありました。

そこで、川遊びをしたんですが、子どもたちが、夢中になって遊んでいました。

大人たちは、自分の体力のこととか、次のプログラムのことを考えて、どこかセーブしながら川に入っているんですが、

子どもたちは、そんなこと全く考えずにですね、いま、この時を、楽しんでいました。

そんな姿に、命の輝きを感じました。

子どもたちは、そうあってほしいと思います。

・神は養ってくださる

もちろん、大人は、そういうわけにはいきません。

次のプログラムのこともありますし、キャンプが終わるまで安全を守らないといけませんので、川遊びだけに集中するわけにはいきません。

「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉が流行りましたけれども、

今だけ良ければいいと言って、無責任に資源を使いすぎたり、問題を先送りしてはならないわけですが、

それにしても、大事なのは、いまをどう生きるかということです。

どんなに将来のことを考えても、いまの生き方につながらなければ、意味がありません。

そういう意味でも、イエス様の言葉は、とても大事だと思います。

「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

この言葉の前提には神の養いに対する信頼があります。

神が備えてくださる。養ってくださる。守ってくださる。

だから、明日のことまで思い悩むなと、イエス様はおっしゃっています。

明日のことを思って、不安を覚えない人はいないでしょう。

明日、大きな地震が起こるかもしれない。

明日、大きな事故に巻き込まれるかもしれない。

世界で起こっている争い、戦争は、常に、世界を終わらせる危険をはらんでいます。

そういう中で、いまを大事に生きるためには、信頼が必要です。

できることは自分で担いながらも、できないこと、見えない明日は神様に任せる。

そうすることで、私たちは、必要以上に思い悩まず、今を大事にすることができるのだと思います。

祈るという行為は、その実践の一つだと思います。

自分の力ではどうしようもないこと、それでも、思い悩まずにはいられないことを、神様に祈る。

そうすることで私たちは、できないことを神様に任せて、できることに心を注いでいく。

それが、祈りなのだと思います。

今日は、生きるということを考えました。

いまを生きる。

二度と訪れることのない、尊い今を感謝して、大事に生きる。

そのためには、神に対する信頼が必要だということを覚えました。

できないことは神に任せ、できることを、今を、大事に生きていきていく。

隣人を愛し、手を取り合って、共に生きていく。

それが、生かされている私たちに与えられている使命ではないでしょうか。

お祈りいたします。

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