2025年12月14日アドベント第三主日礼拝「もうひとりじゃない」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、ルカによる福音書1章5節〜20節。

1:39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。

1:40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。

1:41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、

1:42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。

1:43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。

1:44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。

1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

「もうひとりじゃない」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

おはようございます。

今日も最初に子どもメッセージからしたいと思いますが、

皆さんは、心の中にある不安な気持ちとか、怖い気持ちを、誰にも言えなくて苦しんだことがあるでしょうか。

私は小さい頃、友達のおもちゃを壊してしまったことがあります。

その時に、すぐにごめんねって言えばよかったんですが、怖くて、言えませんでした。

友達は、壊れたおもちゃを見て、悲しそうにしていたんですが、その姿を見れば見るほど言えなくなって、とうとう最後までごめんねって言えなかったことがあります。

その時は、とても心が苦しかったことを覚えています。

そんなふうに、皆さんにも、誰にも言えずに、苦しんだことがあるかもしれません。

今日の聖書のお話に登場するマリアさんもそうでした。

マリアさんも、とても大きな不安を抱えながら、誰にも言えずに、苦しんでいました。

その不安というのは、お腹の中の赤ちゃんでした。

マリアさんは、ある日突然、天使から、「あなたはもうすぐ男の子を産む。

その子は、神の子だ」って、言われました。

言われた時、マリアさんは、結婚をする準備をしていました。

もうすぐ結婚するっていうのに、赤ちゃんができたなんて言ったら、結婚がダメになってしまうかもしれない。

神様の子だって言ったって、誰が信じてくれるでしょう。

それでマリアさん、誰にも言えずに、苦しんでいたんですが、

でも、一人だけ、「神の子だ」って言って、信じてくれそうな人がいたんです。

エリサベトさん、っていう人です。

エルサベトさんなら、わかってくれるかもしれない。

そう思って、マリアさんは、エリサベトさんに会いに行きました。

でも、100%信じてくれるとは限りませんでした。

エリサベトさんは別に、友達ではありません。

親戚だったって書いていますが、年も離れていたので、仲が良かったかどうかもわかりません。

唯一、エリサベトさんを頼ろうと思ったのは、エリサベトさんも、神様から赤ちゃんを与えられたって、天使が言っていたからでした。

この天使の言葉を信じて、それだけを頼りに、マリアさんは、エリサベトさんに会いに行ったんです。

もう心は不安でいっぱいだったと思います。

信じてくれなかったらどうしよう。

親戚中にバラされたらどうしよう。

心の中では、怖くて、震えていたと思います。

それでも、マリアさんは、エリサベトさんに会いに行きました。

すると、エリサベトさん、マリアさんを見て言いました。

「おめでとう。あなたは、世界で一番幸せな人です。

ほら、私のお腹の子も、喜びのあまり飛び跳ねていますよ。」

エリサベトさんは、マリアさんに起こったことを全部受け止めて、そして、喜んでくれました。

「あなたに起こったことは、とても、素晴らしいことだ。

喜んでいいんだよ。何にも心配いらない。神様があなたと共にいるから。」

その言葉を聞いて、マリアさんの不安はどこかに飛んでいきました。

かわりに、喜びが溢れてきて、マリアさんは、神様に感謝の歌を歌いました。

問題は、何も、解決していません。

まだ、赤ちゃんが産まれたわけでもないし、結婚がどうなるかもわからない。

マリアさんの人生は、まだまだ、お先真っ暗です。

でも、マリアさんは、もう怖くなかった。

エリサベトさんがいる。神様がついてる。もうひとりじゃない。

そのことが、マリアさんを支えていました。

マリアさんと同じように、私たちにも、神様がついています。

不安な時も、苦しい時も、私たちは決してひとりじゃありません。

だから、不安な時、ひとりで辛いと思う時、今日のお話を思い出してください。

マリアさんがひとりじゃなかったように、私たちも決してひとりじゃありません。

「私たちは決してひとりじゃない」この言葉をしっかり心に留めて、歩んでいきましょう。

お祈りします。

・賛美へと導いたのは?

アドベントも早いもので3週目に入りました。

今年のアドベントは、ルカによる福音書を読みながら、クリスマス物語を辿っておりますけれども、

1週目は、洗礼者ヨハネの父ザカリアの物語を読みました。

2週目は、イエス・キリストの母マリアの物語を読みました。

それぞれの受胎告知の場面を読みながら思うのは、対照的な点が多いということです。

まず年齢が対照的です。

ザカリアは老人であり、マリアは乙女であったと記されています。

この年齢が、まず対照的です。

それから、天使の知らせの受け取り方も対照的です。

ザカリアは、天使の知らせを信じることができませんでしたが、

マリアは、戸惑いつつも、最終的には、「この身になりますように」といって、天使の言葉を受け入れていきました。

この点も、対照的に語られています。

さらにもう一つ、対照的なのは、その後の二人の様子です。

ザカリアは、天使によって、口を閉ざされますが、マリアは、今日の箇所の後に記されていますように、かの有名なマリアの賛歌を歌っています。

一方は口を閉ざされ、一方は心からの賛美を歌う。

とても対照的に見える二人ですが、しかし、今日の箇所を読んでみますと、マリアもすぐに賛美したわけではなかったことがわかります。

今日は、この点に注目したいと思います。

マリアは、賛美を歌う前に、エリサベトのところを訪ねるわけですが、

このエリサベトとの出会いが、マリアの賛美とどう関わっているのか。

そのことに注目しながら、今日の箇所を読んでいきたいと思います。

・エリサベトまでの道のり

天使の知らせを受けた後、マリアは、洗礼者ヨハネの母であるエリサベトのところへ向かいました。

39節には「急いで」向かった記されています。

それだけ強く、エリサベトに会いたいと思ったということです。

でも、急いだからと言って、エリサベトには、すぐに会えるわけではありませんでした。

聖書を読むと、すごく簡単に会ったような感じで書かれていますが、エリサベトの住むユダの町は、マリアのいるナザレの町から、100km以上も離れていました。

100kmといえば、ここから、日田まで行けるくらいの距離です。

その距離をマリアはひとり、歩いて行ったのです。

どれくらいの時間がかかったでしょうか。

人の歩く速度は、時速5キロ前後だそうですけれども、仮に時速5キロで100キロ歩いたとしたら、20時間かかることになります。

しかも、平坦な道ではありません。山道です。

もちろん、舗装もされていません。

そんな道のりを、マリアはひとり、歩いて行ったのです。

なぜそこまでして、エリサベトに会いに行ったのでしょうか。

そこには、エリサベトでなければならない理由がありました。

・誰にも言えない

この時マリアは、誰にも言えない重荷を背負っていました。

婚約中にもかかわらず、みごもったということです。

それは聖霊によるものだと天使は告げたわけですが、そんなこと、誰が信じてくれるでしょうか。

このことが公になったら婚約は破談、最悪、姦淫の罪で処刑される可能性もありました。

ですから、誰にでも打ち明けられることではなかったんです。

むしろ、公にならないように、隠さないといけない。

でも一方で、とてもじゃないけど、ひとりでは抱えきれない。

誰かに話さないではいられない。

この時マリアは、そういう状況にあったんだろうと思います。

そんな中でマリアは、迷うことなく、エリサベトのところへと向かいました。

普通、大切なことを相談する場合、誰に話すかということをよく吟味すると思います。

適切なアドバイスをしてくれる人は誰か。

口が硬いかどうか。

よく考えてから、相談すると思います。

でも、マリアには、考えた様子はありません。

すぐに、急いでエリサベトのところへ向かいました。

それは、エリサベトしかいなかったからです。

選んでいる余地はなかったのです。

子どもメッセージでも言いました通り、彼女は、マリアの友達ではありません。

親類だったと書いていますが、親しい交流があったかどうかもわかりません。

住む場所も離れていましたし、歳の差もありました。

仮に、親しい仲であったとしても、だから、エリサベトに会いに行ったわけではありません。

天使のお告げの中に、エリサベトの名前が出てきたからです。

「不妊の女」と言われた、あのエリサベトが、みごもっている。

それを聞いて、マリアは、「自分と同じように、神のみ業によってみごもった彼女なら、受け止めてくれるかもしれない。

もう彼女しかいない」。

そう思って、エリサベトのもとへ急いだのです。

でも、エリサベトが、受け止めてくれるなんて保証は、どこにもありません。

ことを公にされるリスクだって、なかったわけじゃありません。

それでも100キロの道のりを超えて、エリサベトに会いに行ったのは、やっぱりひとりじゃ抱えられなかったからだと思います。

聞いてほしいという想いと、言って大丈夫だろうかという気持ちと、マリアの中で激しい葛藤があったと思います。

その葛藤を抱えながら、100キロの道を歩いて行ったのです。

そして、ついにマリアは、エリサベトに会うわけですが、そこには思いがけない出会いが待っていました。

・エリサベトとの出会い

エリサベトは、マリアの挨拶を聞いただけで、全てを理解して言いました。

「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。

わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。

あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。

主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

その言葉を聞いて、どれだけマリアが安心したことか。

エリサベトは、マリアのことを受け止めるだけじゃなく、祝ってくれた。

幸いだと言ってくれた。

この時初めてマリアは、「喜んで良いんだ」って思ったと思います。

それまでは、重荷でしかなかった。

婚約中に身ごもるなんて、バレたらどうしよう。

婚約も破談だし、もしかしたら、死刑にされるかもしれない。

そもそも神の子を身ごもるなんて、大丈夫なんだろうか。

心も体も準備なんてできていない。

乙女マリアにとって、天使の知らせは、重荷でしかなかったと思います。

でも、そんなマリアが、心からの、喜びの賛美を歌うことができた。

それは、エリサベトとの出会いがあったからです。

彼女が、祝福を持って、マリアとお腹の子を、喜んでくれた。

そのことによって、マリアは、神の恵みに気づくことができ、喜びを持って、讃美の歌を歌うことができたのです。

一人で抱えていた時には重荷でしかなかったことが、誰かと分かち合えた時、喜びに変わる。賛美になる。

そんなことがあるんだということが、教えられています。

これは、すごいことだと思います。

マリアの重荷が、なくなったわけではありません。

子どもが産まれたわけでもありませんし、結婚がどうなるかもわかりません。

でも、マリアはもう怯えていません。

それは彼女がひとりじゃないと知ったからです。

共に重荷を負ってくれるエリサベトがいる。

何より神様が共にいる。

エリサベトとの出会いを通して、マリアは、そのことを確信していきました。

「もうひとりじゃない」。

この確信が、マリアを賛美へと導いて行ったのです。

この話を思う時に、わたしは、ある高校生のことを思い出しました。

彼女とは、今年の10月、ある研修会で出会いました。

彼女は現在18歳、高校3年生です。

どこに国からやってきたのかはわかりませんが、ひとりで外を歩けないほど危険な国で、逃げるようにして9歳の時に、日本にやってきたそうです。

出国することも容易ではなく、家族以外、誰にも言えずに、この日本にやってきたそうです。

でも、在留資格は与えられず、今も、仮放免中です。

彼女が、仮放免という言葉を知ったのは、中学生の頃だったそうです。

仮放免は、在留許可ではありませんので、ご両親は、仕事もできませんし、保険もありません。

そのため、家賃も払えず、病院にも行けません。

もちろん友達と遊ぶお金もありませんし、制服も買うことができません。

そんな中で、彼女が高校生になるというのは、途方も無いことだったのだと思います。

言葉もわからないところから、彼女は本当に努力して、高校まで進学しましたが、どんなに頑張っても、強制送還されたら、無駄になってしまう。

希望を失う時もあったそうです。

この現実を、友達や学校の先生に話したこともあったそうですが、思うように伝わらず、かえって傷ついたこともあったようで、誰にも言えずに、抱えてきたそうです。

仲の良い友達であればあるほど、話せない。

話したら関係が悪くなってしまうと思って、怖くて話すことができない。

だけど、自分のような人がいるということを知ってほしいということで、支援者を通じて、研修会で、ご自身のことを話してくださいました。

彼女が繰り返し言っていたのは、仮放免ということを知ってほしいということでした。

自業自得なんて、冷たいことを言わずに、その実態を知ってほしい。

なぜ、仮放免にならなければならなかったのか。

どうして、在留資格もなく、この日本に生きているのか。

そのことを知ってほしいということおっしゃっていました。

彼女もまた、マリアのように、喜びへと導かれる日が来るんでしょうか。

讃美の歌を歌える日が来るんでしょうか。

皆さんの中にも、誰かに聞いてほしいけど誰にも言えず、ひとりで重荷を背負っている方がいるかもしれません。

マリアにはエリサベトがいたけど、わたしにはいないと、そう思っておられる方がいらっしゃるかもしれません。

そんなお一人お一人に今日、神様は、あなたは決してひとりじゃないというメッセージを伝えておられます。

このメッセージが伝わるために、私たちは、今度はあなたが、エリサベトになるようにと、招かれているのかもしれません。

話せる人、受け止めてくれる人、寄り添ってくれる人を、探し求めている人がいます。

そのことを心に留めて、私たちも、誰かのエリサベトになっていきたいと思います。

一人で抱えていた時には重荷でしかなかったことが、誰かと分かち合えた時、喜びに変わる。賛美になる。

そんなすごいことがあるんだと、聖書は教えています。

その喜びを信じて、私たちも、ひとりじゃないということを、伝えていくものになっていきましょう。

お祈りします。

関連記事

  1. 2025年11月30日主日礼拝「沈黙から始まるクリスマス」

  2. 2024年4月21日主日礼拝メッセージ「愛によって不自由に」

  3. 2022年10月9日メッセージ「バプテスト教会って、何?」

  4. 2025年11月23日主日礼拝「わたしは必ずあなたと共にいる」

  5. 2023年11月12日礼拝メッセージ「憐れみ深い人々は幸いである」

  6. 2025年10月5日主日礼拝「共におられる神と共に生きる」

  7. 2025年11月16日世界祈祷礼拝「イエスはまことのぶどうの木」(西脇…

  8. 2024年4月14日主日礼拝メッセージ「神の同労者」

行事カレンダー

2026年 1月
28
29
30
31
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31

主日礼拝

祈祷会