2022年12月18日メッセージ「暗闇も、一緒に歩けば、怖くない」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、ルカによる福音書1章39節〜45節。

新共同訳新約聖書100ページ〜101ページです。

1:39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。

1:40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。

1:41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、

1:42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。

1:43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。

1:44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。

1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

「暗闇も、一緒に歩けば、怖くない」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

今日のメッセージのタイトルは、「暗闇も、一緒に歩けば、怖くない」です。

暗いところも、誰かと一緒だったら、怖くない。

今日の聖書の箇所には、そんなメッセージが語られています。

今日の箇所には、マリアさんが、エリサベトさんのところに会いに行った時の話が、書かれていますけれども、

そもそも、マリアさんは、何のために、エリサベトさんのところに行ったのでしょうか。

というのも、実は、この二人、住んでいるところが、とても離れていたんです。

地図で見てみたいと思いますが、

まず、マリアさんが住んでいたのは、ここ。

ガリラヤのナザレっていうところでした。

それに対して、エリサベトさんが住んでいたのは、ユダの町だったって、書いてあります。

ユダの町って、この辺、全部ユダの町なんですが、この中のどこの町か、詳しくはわかりません。

でも、仮に、一番近い町だったとしても、こんなに離れています。

距離でいうと、なんと、100km以上です。

100kmって言ったら、大分から、福岡に入るくらい。

それぐらいの距離を、マリアさん、多分歩いて、会いに行ったんです。

何日かかったでしょうか。

それはそれは、大変な旅だったと思います。

そうまでして、なぜマリアさんは、エリサベトさんに、会いに行ったんでしょうか。

相当なことがないと、こんな距離、歩いてなんて行かないと思います。

なんで、マリアさんは、エリサベトさんに会いに行ったんでしょうか。

それは、きっと、この時のマリアさんにとって、頼れるのは、エリサベトさんだけだったからです。

マリアさん、この時、大きな不安を抱えていました。

これは、先週、話したことですが、マリアさんは、天使から、

「あなたは、みごもって、男の子を産む。

その名をイエスと名付けなさい。

その子は、神の子である。」って、言われました。

言われた時、まだマリアさん、結婚していませんでした。

結婚する約束はしていたけど、まだ準備中だった。

それなのに、男の子が生まれるって言われて、マリアさん、とても困ってしまいました。

「どうしてそんなことがあり得るでしょうか。

私はまだ、結婚もしていないのに、早すぎです。」

結婚した後ならまだしも、結婚する前に、子どもができたなんて言ったら、結婚相手はどう思うでしょうか。

周りの人たちは、どう思うでしょうか。

「お腹の子は、神の子です。」そんなこと言っても、誰が信じてくれるでしょう。

でも、エリサベトさんなら、信じてくれる可能性がありました。

なぜなら、エリサベトさんも、同じように、神様によって、子どもを授かっていたからです。

マリアさんは、そのことを天使から聞いていました。

相談できるとしたら、エリサベトさんしかいない。

もう、心が破裂しそうなぐらい、ドキドキしながら、エリサベトさんに会いに行ったんだと思います。

「受け入れてくれるかな。信じてくれるかな。」

いっぱい不安を抱えながら、ついに、エリサベトさんに会った。

すると、エリサベトさん、マリアさんを見て言いました。

「よかったね。おめでとう。なんて、幸いな人でしょう。

あなたは、世界中の女性の中で、一番祝福された人です。

本当に、おめでとう。」

エリサベトさんは、マリアさんに起こったことを、全部理解して、受け止めて、そして、喜んでくれました。

「あなたに起こったことは、とても、素晴らしいことだよ。

喜んでいいんだよ。何にも心配いらない。

神様があなたと共にいるから。」

その言葉は、マリアさんにとって、どれだけ嬉しい言葉だったでしょうか。

緊張の糸が切れたのか、マリアさんは、歌い出しました。

今日の箇所の後には、その歌が書かれていますが、そこには、不安も、恐れもありません。

神様への感謝で、あふています。

問題は、何も、解決していません。

まだ、赤ちゃんが産まれたわけでもないし、結婚がどうなるかもわからない。

マリアさんの人生は、まだまだ、お先真っ暗です。

でも、マリアさんは、もう怖くなかった。

エリサベトさんがいる。

そして何より、神様がついてる。

だから、先は見えないけど、もう怖くない。

マリアさんと同じように、私たちにも、神様がついています。

そして、教会があります。

一緒に歩いてくれる人が、必ずいます。

そのことを、忘れないでいたいと思います。

不安になったり、迷ったりする時、ぜひ教会に来てください。

一人で抱えないでください。

「暗闇も、一緒に歩けば、怖くない。」

そのことを、ぜひ、覚えておいてほしいと思います。

お祈りします。

・子どもクリスマス会

いよいよ、クリスマスが近づいてきました。

先週は、日曜日の午後に、子どもクリスマス会がありました。

子どもが10名、大人が17名集まり、楽しい時を過ごすことができました。

このために、教育委員会の皆さんが、祈って、準備をしてくださいました。

妻も、委員の一人でしたので、私が、みつについてないといけないかと、思っておりましたが、

当日は、財津姉妹が、みつと一緒にいてくれました。

本当に楽しそうに、財津姉妹と遊ぶみつの様子を見ながら、とっても、嬉しくなりました。

そのおかげで、妻も、委員としての働きを担うことができましたし、

私も、写真を撮ったり、メッセージをさせていただくことができました。

一人では担えないものも、二人だったら担える。

三人だったら、楽しめる。

そんなことを教えられた、クリスマス会でした。

マリアもそうだったと思います。

マリアも、一人だったら、キリストの母になるなんて重荷、負えていなかったと思います。

その重荷だけでも重いのに、さらにマリアは、まだ結婚していませんでした。

婚約者のヨセフとも、まだ関係をもったこともなかった。

婚約者と関係を持つ前に、子どもをみごもってしまったとなれば、結婚は破断。

姦淫の罪で、石打ちの刑に処される可能性もありました。

そんな状況、とても一人では、耐えられなかったと思います。

まして、神様に感謝したり、賛美したりなんて、できるはずがなかったと思います。

エリサベトがいたから、

自分を受け入れ、喜んでくれる友がいたから、

だから、マリアは、その重荷を担うことができたし、感謝の賛美を歌うことができたのです。

友がいるということが、どれだけ幸いなことか。

マリアを通して、改めて、教えられているように思います。

一人じゃ担えない重荷も、支えてくれる仲間がいたら担うことができる。

褒めてくれたり、励ましてくれる友がいたら、頑張れる。

辛いとしか思えないようなことでも、一緒に担えば、楽しんだり、喜んだりすることもできる。

そんなことが、教えられているように思います。

・助け手を与えてくださる神

ただ、難しいのは、その友が、誰でも良いとは限らないということです。

そのためにマリアは、100キロ以上もの道のりを越えなければなりませんでした。

誰でもよかったのなら、そんな大変な想いをしなくて済んだわけですが、

マリアにとっては、エリサベトしかいなかった。

だから、マリアは、100キロ以上もの道のりを越えて行かねばなりませんでした。

もしかしたら、皆さんの中にも、そういう方がいらっしゃるかもしれません。

友とか、仲間とか、相談できる人、信頼できる人が、身の回りにいないという方。

自分の重荷を打ち明けられる仲間がいないという方が、いらっしゃるかもしれない。

「マリアは、いいな。

彼女には、エリサベトがいた。

いいな。自分には、誰もいない。」

そうやって、思っておられる方がいらっしゃるかもしれない。

でも、マリアとエリサベトは、もともと、仲が良かったんでしょうか。

親類であったとは書かれていますが、友達であったとは、書かれていません。

親しい交流があったかどうかも、わかりません。

住む場所も離れていましたし、歳の差もありました。

仮に、親しい仲であったとしても、だから、エリサベトに会いに行ったのではありません。

天使の言葉の中に、エリサベトの名前が出てきた。

「不妊の女」と言われた、あのエリサベトが、みごもっていると聞いた。

だからマリアは、エリサベトに、会いに行ったのです。

つまり、この出会いは、神様が与えてくださったということです。

離れた場所にいる両者を引き合わせたのは、神様だった。

神様は、マリアに、キリストの母になるという使命をお与えになると同時に、ちゃんと、必要な助け手を備えておられたのです。

マリアに、友達が多かったとか、交友関係に恵まれていたとか、そういうことではありません。

キリストの母になるという重荷を背負うことができるように、神様が、必要な助け手を、与えてくださったのです。

聖書が語る神様とは、そういうお方です。

天地創造の場面で、人をおつくりになった時、神様は言われました。

「人が独りでいるのは良くない。

彼に合う助ける者を造ろう。」

そう言って神様は、初めの人アダムに、エバを与えられました。

「独りでいるのは良くない。」

そう言って、「助ける者」をお与えになった。

アダムにはエバを、マリアにはエリサベトを。

そうやって神様は、必要な助け手を、私たちに、与えてくださるお方なのです。

決して、重荷だけを、背負わせるようなお方ではありません。

その重荷が担えるように、必要な助け手を与えてくださる。

私たちの信じる神様は、そういうお方なのです。

そして、何より、神様ご自身が、私たちと共にいてくださいます。

イエス様は、まさにそのことを伝えるために、この世に遣わされてきました。

インマヌエル、「神様は私たちと共におられる」。

その真理を伝えるため、その福音を知らせるために、イエス様は、マリアのお腹の中に、宿られたのです。

だから、私たちは、決して独りではありません。

そのことを、覚えたいと思います。

誰よりもまず、神様が、必要な助け手として、私たちと共にいてくださっている。

そして、同時に、神様は、私たちに、必要な助け手も、与えてくださる。

マリアに、エリサベトが与えられたように、必要な助け手を、備えてくださる。

そのことを覚えたいと思います。

そして、与えられる日々の出会い、一つ一つの出会いを大事にしていきたいと思います。

・出会いはいつも相互的

最後にもう一つ、覚えたいことがあります。

それは、出会いというのは常に、相互的だということです。

相互的というのは、お互い様ということです。

マリアにとって、エリサベトの存在が助けになったように、

エリサベトにとっても、マリアの存在、マリアとの出会いは、とても幸いなことでした。

今日は、マリアの視点に立って、エリサベトがいたことの幸い。

エリサベトとの出会いが与えられたことの幸いに注目してきましたけれども、

同じことが、きっと、エリサベトにも、言えると思います。

状況によって、関係というのは、変わっていきます。

ある時は、支える側になったり、またある時は、支えられる側になったり。

また、支えていると思ったら、支えられていたり、

支えられていると思ったら、支えていたり、ということもあります。

子育てなんかは、まさに、そうです。

親が、子どもを育てているばっかりではない。

親が子どもを育てると同時に、子どもが、親を育てているんです。

うちにも二人の息子がいますが、二人から、教えられることがたくさんあります。

そのように、出会いとか、関係というのは、いつも相互的。

助ける側になることもあれば、助けられる側になることもある。

だから、助け手を与えてくださいというだけでなく、私を、必要としている人のところへ、遣わしてください。

そのように祈ることも、大切であると思います。

・結論

今日はまず、必要な助け手を与えてくださる神様を信じることを、覚えましょう。

そして同時に、私も、誰かの助け手となるということを、覚えたいと思います。

「私に、必要な助け手を与えてください」と祈ると同時に、

「私も、必要としている人のところへ、遣わしてください」と祈る者となっていきましょう。

お祈りします。

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