コリントの信徒への手紙Ⅱ6:1~13
お店の目玉商品に「個数制限。特別価格」などと書かれていると、買うつもりがなかった物でも、なぜか手に入れたくなるものです。更に「今だけ」と言われると、なおさら気になってしまいます。機会を逃してしまえば、今後手にすることが出来ないかもしれないからです。振り返ってみれば、人との出会いも、何気ない日常も、二度と来ない「今」の積み重ねです。それでも私たちはつい、今を大切にしきれないこともあるでしょう。過去に引きずられたり、将来への不安に心一杯になったり、大事な今を後回しにしてしまうことがあるのではないでしょうか。
だからこそみ言葉は、私たちを焦らせるためではなく、目の前に差し出されている恵みを見失わないように「今や恵みの時、今こそ救いの日」と、語り掛けるのです。パウロは、多くの苦難を体験しました。夜も眠れず、行き詰まり、食べる物も無いような時もありました。困難の只中にいる時には分からなくても、振り返る時、主の助けがあり、恵みと救いによって守られ、支えられてきたことを知るのです。そうであるならば、今こそ、主のみ業を見逃してはならないのではないでしょうか。
人の評価は簡単に変わります。イエスは歓迎されてエルサレムの町に入りましたが、最終的には悪口を言われ、鞭打たれ、十字架にて死なれました。しかし、死んで終わりではありません。主は復活され、新しい命を示してくださいました。その方から託された良き知らせは、あり得ないような驚きと喜びに満ちています。それでも、初めて聞く人にとっては、信じられない話かもしれません。死んだ方が甦り、罰ではなく救いが与えられるのですから。私たちは、自分の経験や常識で物事を判断し、理解が及ばないものに対して心を閉ざしてしまうことがあります。しかし神は、私たちの思いをはるかに超えて救いを備えてくださいました。だからこそ今、与えられた主との出会いの中で、心を開き、主の恵みと救いを受け取らせていただこうではありませんか。







