コリントの信徒への手紙Ⅱ9:1~15
人から強制されてやらされることと、自主的に興味を持って取り組むことでは、同じ内容であっても、結果は大きく異なります。勉強でも、仕事でも、部活動でも、やりたくないと思いながら取り組むのと、やってみたいと思って取り組むのとでは、そこから生まれるものが違うのです。心と身体の向きが一致することは、とても大切です。自分から前向きに取り組むことで、初めて見出す喜びがあります。好きなことに熱中すると、いくらでも楽しく覚えられるという経験はないでしょうか。
スチュワードシップという言葉があります。本来は、他人や社会から預かった財産や資源や環境などを、責任を持って管理・運用することです。これをキリスト者の生き方に当てはめるならば、私たちの持っているものは、自分の力だけで得たものではなく、神さまから託されたものだと考えることができます。これまでの箇所で、神さまは私たちに和解の言葉を託し、福音を伝える働きを委ねてくださいました。そして今日の箇所では、財産という具体的な領域に目が向けられます。時間も、能力も、財産も、環境も、神さまから与えられたものです。私たちはそれらを自分のためだけに使う所有者ではなく、神さまから託されたものを用いる管理人なのです。
コリント教会は、経済的な厳しさの中にあったエルサレム教会のために献金することを決めました。しかし、さまざまな事情によって、その献金は滞っていました。私たちも、自分の手元に託されたものを、いつの間にか自分だけのものと考えてしまうことがあります。しかし、神さまから託された恵みを隣人のために用いるとき、そこに新しい実りが生まれます。神さまは、私たちが蒔くための種を与え、その種を通して義の実を増し加えてくださいます。主を愛し隣人を愛し、お互いの欠けを補い、喜びも悲しみも分かち合いましょう。神さまから託された恵みを用いるとき、神さまへの感謝もこの地に広がっていきます。私たちも、与えられた良き知らせを喜んで分かち合う、恵みの管理人として歩んでいこうではありませんか。






