コリントの信徒への手紙Ⅱ5:11~21
人と人との間には、時々見えない壁や断絶ができてしまいます。僅かな言動ですれ違い、いつの間にか距離ができてしまう。謝りたいと思っていても、何と言えばよいのか分からない。「自分は悪くない」と思うほどに、関係を回復することは難しくなります。また、自分自身との向き合い方に悩むこともあるでしょう。「あの時、どうしてあんな言葉を吐いてしまったのか。自分はどうしてこんな人間なのか。」過去の失敗や後悔で、いつまでも責め続けてしまうこともあります。
そんな私たちに、聖書は驚くべき知らせを告げています。「神は、イエス・キリストによって世を御自身と和解させられた。」人間は神と喧嘩していたのでしょうか。もしかすると、そのように考えたことはないかもしれません。だからこそ、少し立ち止まって考えてみたいのです。私たちはいつの間にか自分の思いを優先し、自分の力だけで生きようとし、神など必要ないかのように歩んでしまいがちです。親子関係にたとえるならば、独立という言葉のもとに、親との関わりを必要とせず、無関係に生きていくようなものかもしれません。しかし神は、そのような私たちを見捨てることなく、イエス・キリストを遣わしてくださいました。イエスは私たちの罪の責任をすべて担い、十字架で死に、復活されました。聖書が語る「和解」は、私たちが何か良いことをして、神との関係を修復する話ではありません。イエス・キリストによって、すでに和解の道は拓かれました。だからこそ、私たちに残されているのは、この和解を受け取ることなのです。そして神は、和解の言葉とその務めを委ねてくださいました。私たちを通して、今も神は一人ひとりを和解へと招いておられるのです。神の愛と赦しへと招いておられるのです。この招きを受け取る時、「古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」という御言葉を、私たちは人生の中で体験していくことでしょう。神との新しい関係の中で踏み出す、新たな一歩。そこには、神と共に歩む喜びと感動が待っています。







