コリントの信徒への手紙Ⅱ 1:23~2:11
1:23 神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです。
1:24 わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです。
2:1 そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました。
2:2 もしあなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませる人以外のいったいだれが、わたしを喜ばせてくれるでしょう。
2:3 あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです。わたしの喜びはあなたがたすべての喜びでもあると、あなたがた一同について確信しているからです。
2:4 わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。
2:5 悲しみの原因となった人がいれば、その人はわたしを悲しませたのではなく、大げさな表現は控えますが、あなたがたすべてをある程度悲しませたのです。
2:6 その人には、多数の者から受けたあの罰で十分です。
2:7 むしろ、あなたがたは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです。
2:8 そこで、ぜひともその人を愛するようにしてください。
2:9 わたしが前に手紙を書いたのも、あなたがたが万事について従順であるかどうかを試すためでした。
2:10 あなたがたが何かのことで赦す相手は、わたしも赦します。わたしが何かのことで人を赦したとすれば、それは、キリストの前であなたがたのために赦したのです。
2:11 わたしたちがそうするのは、サタンにつけ込まれないためです。サタンのやり口は心得ているからです。
『聖書 新共同訳』©︎1987,1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会
人間関係の傷は、どうすれば癒されるのでしょうか。信頼していた人に裏切られると、心には深い傷が残ります。「もう二度と傷つきたくない。だから誰も信じない。」そのような思いを抱えている人も少なくありません。一方で、過ちを犯してしまった人も、「もうやり直せない。受け入れてもらえるはずがない」と苦しみます。傷つけた人も、傷つけられた人も、それぞれに痛みがあります。その傷が癒やされ、失われた関係が回復することは、決して簡単なことではありません。
今から約2000年前、コリントの教会において、人々を深く悲しませる出来事が起こりました。多くの人が悲しみ、教会はその人に対して厳しい対応を取りました。そこでパウロは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないようにと、「赦しと慰め」を教会に勧めるのです。もちろん、犯してしまった罪に向き合うことは必要です。しかし、いつまでも裁き続けることが神の願いではありません。神の愛は、人を立ち直らせ、回復へと導くのです。
それでも、赦しは簡単ではありません。「赦さなければならない」と、自分の心を無理に押さえ込まなくても良いでしょう。神は、私たちの痛みや葛藤を無視して、無理やり赦しへと追い立てる方ではありません。「今はまだ赦せない」という思いも含めて、ありのままの私たちを受け止めてくださいます。しかし同時に、憎しみの思いを握り続けるならば、苦しみは相手だけでなく、自分自身をも縛り続けてしまいます。神は、私たちを傷の中に閉じ込めたままにはされません。時間をかけて心を癒やし、少しずつ解放へと導いてくださいます。傷ついた自分自身を神に委ねていく歩みは、心の重荷が解き放たれていく道のりとなることでしょう。イエスは「私たちの負い目をお赦しください。私たちも自分に負い目のある人を赦しますように」と祈るように教えられました。私たちもまた、神に赦されて生かされている者です。その恵みの中で、神は私たちを少しずつ、人を赦す者へと変えてくださいます。神の愛は人を支配するのではなく、自由と回復へと導いてくださるのです。







