コリントの信徒への手紙Ⅱ4:1~15
大切なものを、私たちはどのように保管しているでしょうか。タンスや冷蔵庫、あるいは金庫にしまっておくかもしれません。火事や洪水からも守られるように、丈夫で安全な器に納めたいと願うでしょう。大切なものほど、壊れにくく、傷つきにくい場所に置いておきたい。それが私たちの自然な感覚です。
ところが聖書は、私たちの常識とはかけ離れたことを語ります。神は、かけがえのない大切な宝を「土の器」に納めたというのです。ここで語られている「土の器」は、人間のことを指しています。聖書のはじめに、人間は土から造られました。弱く、もろく、傷つきやすく、罪を抱えた存在です。必死に弱さを隠そうとしたり、失敗を隣人の責任に押し付けたり、姿や大きさを他の器と比べて、高ぶったり、落ち込んだりしてしまうこともあります。しかし神は、私たちを立派に飾られた頑丈な器に造ってから、宝を与えられたのではありません。弱く、もろい土の器である私たちの内に、キリストという光を置いてくださったのです。
宝であるイエス・キリストの福音の光は、私たちという器の内から輝きます。それは自分自身の力で手に入れたものではなく、神から与えられた、かけがえのない宝です。たとえ四方八方から困難が取り囲んでいても、行き詰まることはありません。それにも勝る神の御力があるからです。虐げられたとしても、見捨てられることはありません。地上にまで降られた神の伴いがあるからです。自分ではもう駄目だと途方に暮れたとしても、失望することはありません。それを上回る神の希望が与えられているからです。打ち倒されたとしても、滅ぼされることはありません。死を越えた復活の命が、私たちの内に働いているからです。土の器は、弱くてもろいものです。それでも、器についた傷やヒビから、神の栄光は溢れ出していくのです。私たちの弱さや傷さえも通して、神は用いてくださいます。今日も神の恵みによって、一人ひとりの土の器を通して、キリストの光がこの地を輝き照らしますように。







