ルカによる福音書6章37節–38節
6:37 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
6:38 与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
『聖書 新共同訳』©︎1987,1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会
戦後81年を迎えますが今も世界では不幸な戦争が絶えません。加納莞蕾(かんらい)は「世界の子どもが幸せにならねば平和はこない」、「『赦し難きを赦す』という奇跡が恒久平和に繋がる」と語ります。加納氏は中国で従軍画師として戦争の悲惨さを経験されます。戦後故郷で運命的な出会いがありました。海軍元少尉古瀬貴季(たけすえ)氏が「戦争は誤りであった。」との言葉に加納氏は衝撃を受けます。その後古瀬氏はフィリピンの軍事法廷に立ち「我に罪あり、私に死刑を」と証言し、死刑が宣告されました。ニュースでこの裁判を知った加納氏は、古瀬氏のような人こそが生きて日本のために証言してもらうことが必要だと嘆願行動をするのです。戦争末期の1944年10月アメリカ軍と日本軍はフィリピン・マニラで激しい市街戦となり、キリノ大統領は妻と3人の子供を目の前で日本兵に殺されてしまいます。この戦いにおいてフィリピンの総人口1700万人の内、110万人が死亡。犯罪容疑は一般市民に対する殺害、虐待致死、不当逮捕監禁が242件、強姦が45件、略奪や物資の徴発が41件といった内容で、反日感情は最悪を極めました。キリノ大統領の心境は「怒り」と「赦し」の狭間に置かれたと言われますが、彼の眼には家族の虐殺が焼き付いております。到底“赦し”えず“怒り”を越えて裁きの心境だったと察します。カトリック信徒であるキリノは、神のみが下す裁きを自身が下すことに葛藤を覚えたことでしょう。そして“赦し”の心へと自らの魂が導かれるよう祈ったのではないでしょうか。キリノは大統領を辞する直前に「赦し難きを赦す」ことを決心します。古瀬氏を含む日本人戦犯105人全員が特赦を受け、家族の待つ日本に帰国することになりました。加納氏が「『赦し難きを赦す』という奇跡が恒久平和に繋がる」と、繰り返し送った嘆願書は300通を超えていました。







