コリントの信徒への手紙Ⅱ 1章1~11節
1:1 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。
1:2 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。
1:4 神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。
1:5 キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。
1:6 わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。
1:7 あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。
1:8 兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。
1:9 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。
1:10 神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。
1:11 あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人のお陰でわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです。
『聖書 新共同訳』©︎1987,1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会
私たちは皆、それぞれに痛みを抱えて生きています。大きな悲しみを経験している人もいれば、誰にも言えない悩みや不安を抱えている人もいます。時には、生きる望みさえ手放したくなるほどの出来事に直面することがあるかもしれません。クリスチャンになっても、信仰を持って生きていても、苦しみや悩みがなくなるわけではありません。
福音をローマ世界に宣べ伝えたパウロでさえも、死の宣告のような耐え難い苦しみの中、生きる望みを失ったと率直に告白しています。聖書に記されている信仰者であっても、大きな苦しみの中で心が折れそうになっていたのです。それでも彼は、自分ではどうすることもできなかった状況から、主によって助け出されることを経験しました。そして、神を「あらゆる慰めの神」と賛美しているのです。それは苦しみから解放されたからではありません。苦しみのただ中にあっても、神が共におられることに、慰めを受けたからです。自分の力では立ち上がれなくなった時、死者をもよみがえらせてくださる神に信頼するように導かれ、主の御手によって支えられていたのでした。
神の慰めは、昔も今も一人ひとりに注がれています。イエス・キリストは、私たちの苦しみを遠くで眺めておられる方ではありません。十字架において苦しみを担い、死を味わい、復活によって、希望の道を開いてくださいました。だからこそ私たちは、どれほど深い悲しみの中にあったとしても、一人ぼっちではなく、慰めの主が共にいてくださいます。苦しみの中にある時こそ、十字架の苦しみを担われたイエスが、誰よりも私たちの近くにいてくださることを深く知らされるのです。そして私たちは、慰めの主のもとへと引き寄せられ、その恵みに新たに出会わされるのです。こうして主から受けた慰めは証となり、隣人を支える祈りの輪が結び合わされていくのです。







