使徒言行録3章17節–26節
3:17 ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。
3:18 しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。
3:19 だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。
3:20 こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなたがたのために前もって決めておられた、メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。3:21 このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して昔から語られた、万物が新しくなるその時まで、必ず天にとどまることになっています。
3:22 モーセは言いました。『あなたがたの神である主は、あなたがたの同胞の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。彼が語りかけることには、何でも聞き従え。
3:23 この預言者に耳を傾けない者は皆、民の中から滅ぼし絶やされる。』
3:24 預言者は皆、サムエルをはじめその後に預言した者も、今の時について告げています。
3:25 あなたがたは預言者の子孫であり、神があなたがたの先祖と結ばれた契約の子です。『地上のすべての民族は、あなたから生まれる者によって祝福を受ける』と、神はアブラハムに言われました。
3:26 それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。」
『聖書 新共同訳』©︎1987,1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会
傷を治療するには、まず傷の状態を知る必要があります。隠したまま自然治癒に任せることもありますが、十分な手当がなければ化膿してしまうかもしれません。傷口に触れると痛みを伴いますが、どこが悪いのかを見極めなければ、医師は治療できません。人間関係でも、相手が何に傷つき、何に怒っているのか分からなければ、本当の意味で謝罪や和解はできないでしょう。信仰においても同じことが言えるのです。
ペトロは人々に向けて、知らずにイエスを十字架につけたのだと語ります。誰しも罪を指摘されると、耳を閉ざしたくなるものです。しかし、罪の自覚がなければ、赦しの恵みも実感することはできません。救い主を拒絶し、十字架につけた罪は取り返しのつかないものでした。しかし神は、その罪を責めるために御子を遣わされたのではありません。イエスが代わりに罪を担われたことを教え、赦しを与えるためです。そこには、罪人を絶望に追いやるのではなく、回復へと導こうとする神の願いがあります。ペトロ自身も、悔い改めの中で赦しと癒しを受け取った当事者です。だからこそペトロは、悔い改めて神に立ち帰るように招くのです。罪の重さを知る時、イエスの赦しの深さと大きさを知ります。ペトロの説教は、この御業が神の約束の成就であることを伝えます。多くの預言者たちもまた、この救い主の到来を指し示しました。アブラハムに与えられた「地上のすべての民族は、あなたから生まれる者によって祝福を受ける」という約束は、イエス・キリストによって実現したのです。神がイエスを遣わされた目的は、一人一人を悪から離れさせ、祝福にあずからせるためでした。神の祝福とは、単に願い事がかなえられることではありません。罪の赦しを受け取り、神との交わりが回復され、新しい命に生かされて歩むことです。私たちは今日も、その祝福へと招かれているのです。







