2026年5月31日主日礼拝「復活のイエスを証する」

使徒言行録2章22–39節

2:22 イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。
2:23 このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。
2:24 しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。
2:25 ダビデは、イエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、/わたしは決して動揺しない。
2:26 だから、わたしの心は楽しみ、/舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。
2:27 あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、/あなたの聖なる者を/朽ち果てるままにしておかれない。
2:28 あなたは、命に至る道をわたしに示し、/御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』
2:29 兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。
2:30 ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。
2:31 そして、キリストの復活について前もって知り、/『彼は陰府に捨てておかれず、/その体は朽ち果てることがない』/と語りました。
2:32 神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。
2:33 それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。
2:34 ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。
2:35 わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで。」』
2:36 だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」
2:37 人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。
2:38 すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
2:39 この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」
『聖書 新共同訳』©︎1987,1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会

 最近、嬉しかったことを誰かに話しましたか。美味しかったお店のこと、感動した映像、スポーツや芸術など、私たちは心動かされた出来事がある時に、その思いを分かち合いたくなるのではないでしょうか。それは喜びの出来事だけでなく、不安や悲しみにおいても同様でしょう。それでも心の内を共有する際には、一つのハードルがあります。自分が大切だと思うものを否定されたらという恐れもあるからです。
 聖書の中に、恐れを乗り越えて語り出した人々がいます。イエスの弟子たちは、人前で積極的に語るような人々ではありませんでした。イエスが処刑された後、彼らは恐れの中で家に閉じこもっていました。それでも、ペンテコステの日に聖霊を受けた弟子たちは、救い主であるイエス・キリストを語り始めたのでした。イエスは弟子たちに「聖霊が降ると、あなたがたはわたしの証人となる」と約束されていました。聖霊なる神の助けにより、弟子たちは「イエスは生きておられる」と証言することができたのです。証言者に求められていることは、上手に話すことではありません。見たこと、聞いたこと、自分自身が出会った恵みを分かち合うことなのです。弟子たちは、自分たちが出会わされた復活のイエスを証ししました。十字架の死で終わったのではなく、今も生きておられる救い主であることを伝えたのです。その言葉を聞いた人々は心を打たれ、「私たちはどうしたらよいだろうか」と尋ねました。そして彼らもまた悔い改めへと導かれ、洗礼を受け、罪の赦しと聖霊の賜物を授かったのです。さらに聖霊なる神の働きにより、今度は彼ら自身も、主イエスを証しする者に変えられていきました。聖書の約束は、二千年前だけに留まるものではありません。時代も場所も越えて、すべての人に与えられている約束です。復活の主イエスは、今を生きる私たちにも出会い、聖霊によって新しい歩みへと招いておられるのです。

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