使徒言行録2章22–39節
最近、嬉しかったことを誰かに話しましたか。美味しかったお店のこと、感動した映像、スポーツや芸術など、私たちは心動かされた出来事がある時に、その思いを分かち合いたくなるのではないでしょうか。それは喜びの出来事だけでなく、不安や悲しみにおいても同様でしょう。それでも心の内を共有する際には、一つのハードルがあります。自分が大切だと思うものを否定されたらという恐れもあるからです。
聖書の中に、恐れを乗り越えて語り出した人々がいます。イエスの弟子たちは、人前で積極的に語るような人々ではありませんでした。イエスが処刑された後、彼らは恐れの中で家に閉じこもっていました。それでも、ペンテコステの日に聖霊を受けた弟子たちは、救い主であるイエス・キリストを語り始めたのでした。イエスは弟子たちに「聖霊が降ると、あなたがたはわたしの証人となる」と約束されていました。聖霊なる神の助けにより、弟子たちは「イエスは生きておられる」と証言することができたのです。証言者に求められていることは、上手に話すことではありません。見たこと、聞いたこと、自分自身が出会った恵みを分かち合うことなのです。弟子たちは、自分たちが出会わされた復活のイエスを証ししました。十字架の死で終わったのではなく、今も生きておられる救い主であることを伝えたのです。その言葉を聞いた人々は心を打たれ、「私たちはどうしたらよいだろうか」と尋ねました。そして彼らもまた悔い改めへと導かれ、洗礼を受け、罪の赦しと聖霊の賜物を授かったのです。さらに聖霊なる神の働きにより、今度は彼ら自身も、主イエスを証しする者に変えられていきました。聖書の約束は、二千年前だけに留まるものではありません。時代も場所も越えて、すべての人に与えられている約束です。復活の主イエスは、今を生きる私たちにも出会い、聖霊によって新しい歩みへと招いておられるのです。







