使徒言行録2章1–16節
2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
2:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
2:5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、
2:6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
2:7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。
2:8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
2:9 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、
2:10 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、
2:11 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
2:12 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。
2:13 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
2:14 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。
2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。
2:16 そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。
『聖書 新共同訳』©︎1987,1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会
先日、店員さんと話す中で地元が同じであることを知り、本当に驚きました。懐かしい地名や学校名を聞くうちに、親しみと喜びが湧いて来ます。海外旅行中に日本語が聞こえたならば、ホッとする思いにもなります。また、共通の趣味や経験の話で盛り上がることもあるでしょう。私たちは、重なり合う言葉を聞くと、自然に心が開かれていくのではないでしょうか。反対に、どれほど正しい言葉であっても、自分とかけ離れているように感じると、なかなか心に入って来ないこともあります。しかし、自分の心に寄り添うような言葉は、深く届いていきます。それは、同じ痛みや喜びを通った言葉だからかもしれません。
ペンテコステの日、弟子たちは聖霊に満たされて、他国の言葉で神の偉大な御業を語り始めました。集まっていた人々には、不思議なことに皆、自分の故郷の言葉で聞こえたのです。私たちは、それぞれ言葉を持っています。同じ悩みを経験した人だからこそ、伝わる言葉もあるでしょう。病気の辛さ、子育ての不安、仕事の重圧、信仰の葛藤、似た経験を持つ人の言葉は、不思議と心に届くのです。神は、人々を一つの言葉に揃えたのではありませんでした。それぞれ異なる言葉や背景を持ったままで、神の御業が伝わるようにされたのです。違いをなくすのではなく、それぞれの違いを生かしながら福音は届けられていくのです。弟子たちは多言語を話すように、特別な学びをしていた訳ではありませんでした。師であるイエスを亡くした後には、家中に鍵をかけて閉じこもっていたような弟子たちです。それでも聖霊が降る中で、神の御業を語る者へと変えられていきました。これは、神さまが約束しておられた預言の成就です。限られた特別な人だけではなく、若者にも老人にも息子や娘にも、すべての人に主の霊を注ぎ、それぞれが用いられていくこと。だからこそ、福音を語り伝えるのは牧師だけではありません。あなたの人生を通った言葉だからこそ、届く人たちがいるのです。神は今日も、それぞれの言葉を通して、神の偉大な御業を伝えてくださるのです。







