聖書をお読みいたします。
聖書箇所は、申命記31章1節〜8節です。
31:1 モーセは全イスラエルの前に歩み出て、これらの言葉を告げた後、
31:2 こう言った。「わたしは今日、既に百二十歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない。主はわたしに対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた。
31:3 あなたの神、主御自身があなたに先立って渡り、あなたの前からこれらの国々を滅ぼして、それを得させてくださる。主が約束されたとおり、ヨシュアがあなたに先立って渡る。
31:4 主は、アモリ人の王であるシホンとオグおよび彼らの国にされたように、彼らを滅ぼされる。
31:5 主が彼らをあなたたちに引き渡されるから、わたしが命じたすべての戒めに従って彼らに行いなさい。
31:6 強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」
31:7 モーセはそれからヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの前で彼に言った。「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、主が先祖たちに与えると誓われた土地にこの民を導き入れる者である。あなたが彼らにそれを受け継がせる。
31:8 主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」
「先立つ神を信じて」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。
・子どもメッセージ
おはようございます。
今日も最初に子どもメッセージからしたいと思いますが、
これまで私たちは、イスラエルの人たちが旅をする様子を、続けて読んできました。
エジプトから始まって、荒れ野を通って、イスラエルの人たちは、とても大変な旅を続けてきました。
でも、そんな旅もいよいよ終わりが近づいてきました。
川を渡れば、ゴールはもうすぐです。
でも、この川を渡るというのが、簡単なことじゃなかったんです。
なぜか。
川が深いとか、流れが早いとか、そういう理由じゃありません。
渡ること自体は、そんなに大変じゃありません。
大変だったのは、恐れに打ち勝つことでした。
イスラエルの人たちは、川の向こう側に行くのが、怖かったんです。
川の向こうには、知らない土地が広がっていました。
そして、そこには、知らない人たちが住んでいました。
どんな人たちなのか、本当にそこで住むことができるのか、みんな心配だったのです。
実はイスラエルの人たちは、40年前にも同じようなことがありました。
その時も、もう少しでゴールに辿り着くところまで来ていました。
でも、人々は怖くなってしまいました。
「川の向こうにいる人たちは、みんな強そうだ。私たちはきっと倒されてしまう。」
そう言って、渡ることをやめてしまったのです。
私も、ちょっと前に似たようなことがありました。
仕事で東京に行った時のことです。
せっかく東京に行ったので、普段食べれないものが食べたいと思って、携帯で調べてみました。
そしたら、良さそうなお店が出てきたんで、そこに行ってみたんです。
でも、いざ行ってみると、お店の雰囲気は、思っていたのと違いました。
なんか暗くて、中もあんまり見えませんでした。
なんか入りづらいなと思って、ふと横を見てみたら、そこには、CoCo壱のカレー屋さんがありました。
「いや、ダメダメ、せっかく調べてきたんだから、こっちに入ろう」と、そう思ったんですが、結局私は、勇気が出せず、ココイチに入ってしまいました。
もちろんCoCo壱は美味しかったんですが、なんか、満たされない気持ちを抱えながら、大分に帰ってきました。
私は、そんなことがよくあります。
新しい場所に行ったり、新しい人に会う時、とても緊張しますし、心が不安になります。
だから、川を渡れなかった人たちの気持ちが、よくわかります。
でも、そんな人たちにモーセは言うんです。
「恐れてはならない。神様が先立って行かれる。」
「先立って行く」というのは、先に行くっていうことです。
あなたよりも先に、神様が行っておられる。
神様が先に行って、あなた方を待っておられる。
だから、恐れなくて良いって、モーセはそう言って、川を渡る人たちを励ましたんです。
この言葉を聞いて、人々は川を渡ることができました。
川の向こうに神様がいる。
神様が先に行って、待ってくださっている。
そう信じる時、川を渡る勇気が湧いてきたんです。
私たちも、モーセの言葉を信じて、新しい場所へ、踏み出して行きたいと思います。
もうすぐ4月になります。
4月になると、学校が変わったり、新しいクラスになったり、みんなも、新しい場所へ行くことになると思います。
「大丈夫かな」と思ったり、不安になったりする時も、きっとあるでしょう。
そんな時は、ぜひ今日の話を思い出してほしい。
「神様が、先に行ってくださっている。
先に行って、準備を整えて、待ってくださっている。
だから、大丈夫。」
この言葉を思い出して、新しい一歩を踏み出して行ってほしいと思います。
きっとそこには、素敵な出会いが待っているはずです。
神様を信じて、新しい一歩を、踏み出して行きましょう。
お祈りします。
・序
モーセに導かれ、荒れ野を旅してきたイスラエルの民は、ついにヨルダン川のほとりまでやってきました。
川を渡れば、いよいよ目的地である、約束の地カナンです。
でもモーセは、川を渡れませんでした。
この時、モーセは120歳でした。
もはや自分の務めを果たすことはできないと言っています。
確かに、それも、川を渡ることのできない理由の一つであったでしょう。
でも、それだけではありませんでした。
川を渡ることができないのは、神の定めでもありました。
モーセはかつて、神の意志に背いたということで、「あなたはこのヨルダン川を渡ることができない」と告げられていました。
民数記20章にその時のことが記されていますけれども、とても厳しい定めだと思います。
このために彼は、川のほとりにとどまらなければなりませんでした。
モーセが、神様によって遣わされたのは80歳の頃でした。
以来40年間、モーセは、神と民との間に立って、とりなし、仕えてきました。
不信仰で、不平不満の止まらない民と、その度に激しい怒りを燃やす神との間をとりもつことは、容易なことではありませんでした。
命懸けで、その使命を果たしてきました。
それなのに、約束の地を目前にして、彼の旅は終わらなければならないのです。
さぞ、悔しかったことだろうと思います。
でもモーセは、不満や嘆きを訴えるのではなく、川を渡って行く人々の背中を、一生懸命に押し出して行きました。
最後の最後まで、イスラエルの民を導く指導者として、与えられた使命に仕えていきました。
その姿に、心を打たれます。
今日の箇所には、そんなモーセの励ましの言葉が記されています。
川を渡って行く民と、後継者として選ばれたヨシュアに向けて、モーセはどんな言葉を語ったのか。
その言葉には、今を生きる私たちにとっても必要なメッセージが語られています。
・恐れてはならない
注目したい言葉に入って行く前に、一つ、立ち止まって考えたい言葉があります。
それは、神が、カナンの国々を滅ぼし、それを得させてくださるという言葉です。
この言葉は、簡単に受け入れてはならない言葉だと思います。
少なくとも、この言葉は、武力による侵攻を良しとするものではありません。
モーセは、この言葉を、力無き民に対して語りました。
土地を持たず、戦う力も持たない民に、神が、居場所を与えられる。
そういう言葉として、受け取っていきたいと思います。
このことに注意しながら、まず今日、共に注目したいのは、「恐れてはならない」という言葉です。
モーセは、川を渡って行こうとする人々に、「恐れてはならない」と語りました。
これは、大変重い言葉です。
なぜなら、40年前、イスラエルの民は、恐れのために川を渡ることができなかったからです。
その様子は、民数記の13章から14章に記されています。
この時も人々は、ヨルダン川のほとりまできていました。
そこで神様は、各部族から一人ずつ代表者を選び、カナンを偵察するよう命じました。
彼らは、川を渡り、40日間、カナンを調査しました。
その結果、「あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々よりも強い」と言いました。
「我々が偵察して来た土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。
我々が見た民は皆、巨人だった。
我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない。」
そう言って彼らは、イスラエルの人々に報告しました。
同じものを見ても、心の状態によって、見え方というのは、変わってくるものです。
幸せな時は、何を見ても、輝いて見えるでしょうし、沈んでいる時は、反対に、暗く見えると思います。
高校時代、私は野球部に所属していましたが、時々、甲子園に出ているような有名な高校と試合をすることがありました。
立派な設備、大きなグラウンド、選手たちの体も大きく見えるわけです。
イスラエルの民は、巨人に見えたって言っていますけれども、私も、巨人のように見えました。
そして同時に、自分たちの姿が、小さく見えました。
イスラエルの民は、イナゴのように見えたって言っていますが、私は、まるで、中学生が社会人チームに向かって行くような、そんなふうに思えました。
先日からwbcが始まりまして、今ちょうど日本対ベネズエラの試合が行われていますけれども、
前回大会の決勝前に、大谷選手が、「憧れるのをやめましょう」と言って、話題になりました。
憧れたら、勝てないわけです。
同じ力を持っていたとしても、発揮できなくなってしまう。
それだけ気持ちというのは、大事だということです。
カナンの土地に生きる人々は、偵察に行った人々の目に、大きく見えました。
城壁も高く、とてもかなう相手ではないと思いました。
そんな彼らの報告は、イスラエルの人々に、恐怖を与えました。
人々は、モーセに不平を訴えました。
「エジプトの国で死ぬか、この荒れ野で死ぬ方がよほどましだった。どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ。」
そして、エジプトへ帰ろうと言い出しました。
12人の偵察隊の中で、2人だけ、「大丈夫、川を渡ろう」と言った人たちがいました。
その1人がヨシュアだったわけですけれども、
でも、その2人を、人々は、石で打ち殺そうとしました。
それほど頑なに、カナンの地に入って行くことを拒否したわけです。
これに神は怒り、40年間、荒れ野を彷徨わせることになったのです。
もしこの時、神を信じて川を渡っていたなら、モーセも、カナンの地に行くことができたでしょう。
だからこそモーセは、「恐れてはならない」と強く語りかけたのです。
・先立つ神を信じて
モーセは、「主が」先立っていき、その土地を得させてくださると言います。
この点において、民は大きな間違いをしていました。
自分たちが、カナンの人々と戦わなければならないと思っていました。
自分たちの力で、カナンの地を手に入れなければならないと、そう思っていました。
でも、モーセは「主御自身があなたに先立って渡り…それを得させてくださる」と言います。
必要なのは力ではなく、神に対する信頼でした。
見上げるべきは、敵ではなく、神様だったのです。
神を見上げるというのは、現実から目を逸らすということではありません。
むしろ、恐れず、冷静に現実を見つめるために、私たちは、先立つ神を見上げる必要があるのです。
神様が、私たちの行く道を先立って進んでおられる。
大変心強い言葉です。
私はよく、車を運転しますけれども、高速道路なんかを走ります時には、前に車がいるというのは、とても心強いものです。
特に、霧の時などは、前の車のランプが見えますとホッとします。
お化け屋敷なんかでも、私は、先頭に行きません。
誰かを先に行かせて、大丈夫だとわかってから行くようなところがあります。
食事に行く時なんかもですね、私は、よく調べます。
調べずに入るということは、まずありません。
このお店は美味しいか、値段はいくらぐらいか、先に行ったことがある人の情報を聞いてから、行くようにしています。
ま、それでも、入れないことがあるくらいなんですが、
そんな臆病者の私にとって、先が見えない、わからない時に、先を行ってくれている存在がいるというのは、とてもありがたいことです。
モーセは、神様が、私たちに先立って歩んでくださっていると語ります。
神様が先に行って、私たちを待ってくださっている。
その言葉が、私たちの心に、勇気と希望を与えてくれます。
今日は、この言葉を、心に留めたいと思います。
・信じて踏み出そう
私たちも今、新年度、新しい歩みに向けて、歩み出そうとしています。
新しい歩みには、不安がつきものです。
どんな出会いや出来事が待っているか、わかりません。
特に、大分教会は、4月から新しい牧師を迎えて、また新しく歩み出していきます。
私自身も、新天地で、新たな歩みが始まります。
どんな歩みになるのか、誰にもわかりません。
この道を進んで大丈夫だろうか。
ちゃんと歩いていけるだろうか。
不安になるのは、当然のことです。
だからこそ、モーセの言葉を心に留めたいと思います。
「主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。
主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。
恐れてはならない。おののいてはならない。」
神様が、私たちより先に行ってくださっています。
私たちが行くその場所に、すでに神様がおられるのです。
だから、恐れることはありません。
先立つ神を信じて、新しい道へ踏み出していきたいと思います。
もちろん苦労は避けられませんが、そのような歩みをも、益としてくださるのが神様です。
先立つ神を信じて、新しい歩みに大いに期待し、新しい道へと、踏み出していきましょう。
お祈りします。







