2026年1月18日主日礼拝「継承」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、出エジプト記10章1節〜9節です。

12:21 モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。

12:22 そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。

12:23 主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。

12:24 あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。

12:25 また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。

12:26 また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、

12:27 こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」民はひれ伏して礼拝した。

12:28 それから、イスラエルの人々は帰って行き、主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。

「継承」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

おはようございます。

今日も最初に子どもメッセージをしたいと思いますが、

先週は、エジプトで苦しめられていたイスラエルの人たちを救うために、神様が、十の災いを下したっていうお話をしました。

どんな災いがあったか覚えているでしょうか。

一つ目の災いは、川の水を血に変えるという災いでした。

川の水は飲めなくなり、魚も死に、ひどい臭いがエジプト中に広がりました。

二つ目の災いは、カエルの災いでした。

大量のカエルがエジプトを襲いました。

こうやって神様は、エジプトに災いを下していったんですが、今日の箇所には、その最後の災いについて書かれています。

最後はどんな災いだったかというと、それは、

神様が、エジプト中の長男の命を奪うというものでした。

王様の長男から、奴隷の長男まで、さらには、家畜の子どもの命も奪われていきました。

でも神様は、イスラエルの人たちには、事前に、このことが起こると教えていました。

そして、その時に、「小羊の血を家の門に塗りなさい。

それが塗ってある家には、災いを下さない」って約束していました。

それで、イスラエルの人たちは、家の門に小羊の血を塗って、災いを受けずに済みました。

そして、ついに、イスラエルの人たちは、エジプトから解放されていくんですが、

でも神様は、「あーよかった、よかった」って言って、終わらせるんじゃなくて、毎年、過越の祭りっていうお祭りをして、この出来事を記憶し続けなさいって言われたんです。

それで、イスラエルの人たちは、毎年、過越の祭りになると、小羊の血を家の門に塗ったり、小羊を食べたりして、神様が、エジプトから救ってくださった時のことを覚え続けています。

今も、これは、続いています。

神様がイスラエルの人たちを救ったのは、紀元前13世紀、今から3000年以上昔のことです。

だから、3000年以上、過越の祭りを通して、神様が救ってくださったことを覚え続けているということです。

3000年以上も昔のことを覚え続けるって、すごいですよね。

もちろん、それは、一人でできることじゃありません。

親から子に、子から孫に、孫からさらにその子どもに・・・。

そうやって、代々、受け継がれているということです。

今日の箇所には、どうやって親から子へ、受け継いできたのかということも、少し書かれていて、

面白いのは、過越の祭りの大事な役割を、子どもが担当しているということです。

子どもが「この儀式にはどういう意味があるんですか」とか「なんで過越って言うんですか」って質問をする。

この質問が過越の祭りの、大事なプログラムなんです。

子どもたちの質問コーナーがあるって、すごくいいなって思います。

みんなの抱く疑問、何でだろう、どうしてだろうって思う気持ちが、大事にされていく。

これが、3000年間、記憶を受け継いでいくために、必要なことだったんだって、神様は教えています。

私たちも、お互いの疑問や質問、わからないってことを、大事にしたいと思います。

わからないって、決して恥ずかしいことじゃない。

わからないことを、ちゃんとわからないって言い合える、そして一緒に考えられる。

そのことを、大事にしていきましょう。

お祈りします。

先ほどの子どもメッセージは、大人の私たちこそ、心に留めなきゃいけないことだと思います。

子どもたちの声、子どもたちの疑問を、簡単に流してしまわない。

その声に立ち止まり、一緒に考えられる者でありたいなと思わされます。

さて、今日は、継承ということについて考えたいと思います。

神様は、エジプトから解放された日、その出来事を忘れないために、イスラエルの民に、儀式を守るよう命じました。

それ以来、3000年以上の間、イスラエルの民は、この儀式を守り続けてきました。

改めて、すごいことだなと思いますが、

今日はこの儀式に注目しながら、継承ということについて考えたいと思います。

イスラエルの民は何を、どのように受け継いできたのでしょう。

まず何を受け継いできたかということですが、もちろんそれは、救いの出来事です。

神様が、エジプトを撃ち、苦しみから解放してくださった。

この出来事は、イスラエルの民の信仰の原点となっていきます。

困難に襲われた時、不安になったり迷ったりした時、いつも立ち返ることができる。

自分たちはどういう共同体なのか、わからなくなった時、いつも立ち返ることができる。

そんなイスラエル民族にとっての、信仰の原点となっていきます。

でも、その救いの出来事を意義深く記憶するためには、イスラエルの経験した苦しみも覚える必要があります。

イスラエルがエジプトで、どれだけ大変な目にあったか。

どれだけ苦しい時を過ごしたか。

儀式の中で、苦菜を食べる場面がありますが、それは、奴隷として虐げられてきた苦しみを想起するためでした。

そうやって、苦難の記憶を受け継いでいく。

それが、救いの記憶をより意義深いものとして、想起させるのです。

今の生活、当たり前のように生きている日々が、決して当たり前のことではない。

そのことを改めて心に覚え、神に感謝し、民は、神の民として生きる想いを整えられていったのです。

さらに、三つ目に記憶せよと言われているのは、救いのために支払われた犠牲です。

神様は、小羊を屠り、その血を家の鴨居と柱に塗るように言われました。

そして、そのしるしがある家には災いを下さず、通り過ぎられました。

そのように、イスラルの民が救われるために、小羊の命が犠牲となったのです。

彼らはタダで救われたわけじゃありません。

そこには、代わりに犠牲になった命があったのです。

このことを覚えることを通して民は、命の重みを確認していきました。

そのように、先達の経験した苦しみや救い、そのために支払われた犠牲を覚えることで、民は、神の民としての自覚を深め、今日に至るまで歩んできたのです。

人は忘れていく生き物です。

どんなに鮮烈な記憶も、時間と共に、薄れていきます。

まして、生まれる前の経験、実際に経験していないことを、あたかも経験したかのように自分のこととして記憶し続けるというのは、これはもう大変なことです。

特に昨年は、そのことを突きつけられるような1年でした。

昨年は戦後80年という節目の年でした。

戦争を知っている世代の減少に伴い、記憶や教訓の風化が進み、再び同じ過ちが繰り返されるのではないかという危機感の高まりを感じた1年でした。

2024年、被団協がノーベル平和賞を受賞し、話題になりました。

核廃絶に向けた大きな一歩になると多くの人が期待しました。

しかし、昨年行われた参院選では、「核兵器を保有すべきだ」とか、「核武装は安上がり」と発言した候補者が当選するという事態が起こりました。

総理も、非核三原則を変更することに対して、はっきりとノーとは言っていません。

被団協代表委員の箕牧さんは「ノーベル平和賞を日本被団協がもらったのだから、少しは世界が変わるかと思ったが、かわりゃせん。トンネルから出たと思ったら、またトンネルに入ってしまった」と、取材に答えていました。

戦争の教訓、被害の歴史だけでなく、加害の歴史についても、どう継承していくかということが問われています。

また昨日は、阪神淡路大震災から31年を迎える日でした。

この31年間の間に、東日本大震災があり、熊本地震や、能登半島地震がありました。

今後も、南海トラフ地震や、首都直下型地震が起こると言われています。

そういう意味では、震災で得た教訓を、どう継承し、生かしていくかが問われています。

そのように、私たちには、忘れてはならないこと、受け継いでいかなければならないことがあります。

過去のためではありません。

今を生きるため、私が私であり続けるために、忘れてはならないことがあります。

イスラエルの民にとっては、それが出エジプトの出来事だったわけですが、

しかし、それを受け継いでいくということは、並大抵のことではありません。

黙っていたら消えてしまう、忘れられてしまう。

そのことにあらがい、記憶し続ける。伝え続ける。

そういう努力の上に、継承は、果たされていくのです。

これは、教会にも言えることです。

私たちが今日、ここに集まり、礼拝を献げているのも、一つの継承の営みです。

週の初め、イエス・キリストの復活の朝を記念して、私たちは、毎週日曜日、ここに集まり、礼拝を献げています。

これも、2000年間、受け継がれてきた営みです。

そこには、今日まで受け継いできてくださった方々がいます。

先週水曜日、午前1時半ごろ、Mさんが天に召されました。享年91歳でした。

Mさんは、中学3年の頃に初めてこの大分教会に来られました。

1950年、大分教会が創立した年でした。

そして、翌年1951年にバプテスマを受けられました。

これがその当時の写真です。

どれがMさんか、すぐにわかると思います。

この笑顔は、晩年も変わりませんでした。

これは、1975年、大分教会創立25周年の写真です。

ここにも弘さんがおられます。

さらに、これは、2000年、創立50周年の写真です。

ここにも弘さんがおられます。

そして、これは、2020年、創立70周年の写真です。

ここにもMさんがいらっしゃいます。

このようにMさんは、70年以上にわたって、この大分教会を支えてきてくださいました。

こういう方々のおかげで、今日の大分教会があるのだということを、忘れてはいけないと思わされます。

そして今日、Tさんがバプテスマを受けられ、新しくこの教会の群れに加われました。

去っていく方もいれば、新しく加わってくださる方もいる。

そうやってこの大分教会は75年間歩んできたし、これからも歩んでいきます。

その中で、何を受け継いでいくか。

それは、今を生きる私たちに、常に問われることです。

全てを受け継ぐ必要はありません。

時代と共に変わっていくべきこともあります。

その中で、私たちは、何を、どのように受け継ぎ、また次の世代に受け渡していけるでしょうか。

教会が教会として立ち続けていくために、何を継承していくでしょうか。

お祈りします。

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