2025年8月17日主日礼拝「わたしは決して見捨てない」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、創世記28章10節〜22節。

28:10 ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。

28:11 とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。

28:12 すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。

28:13 見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。

28:14 あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。

28:15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」

28:16 ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」

28:17 そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」

28:18 ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、

28:19 その場所をベテル(神の家)と名付けた。ちなみに、その町の名はかつてルズと呼ばれていた。

28:20 ヤコブはまた、誓願を立てて言った。「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、

28:21 無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、

28:22 わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」

「わたしは決して見捨てない」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

おはようございます。今日は、下関教会の皆さんともご一緒に、礼拝を献げることができておりますことを、感謝いたします。

共にみ言葉に聞いていきたいと思いますが、

大分教会では、まず、子どもたちに向けて、メッセージをしておりますので、いつものように、まず子どもメッセージからさせていただきたいと思います。

今、私たちは、聖書の一番最初にある創世記という書物を続けて読んでいます。

中でも、8月は、エサウとヤコブという双子の兄弟の物語を続けて読んでいます。

どんなお話だったか、覚えているでしょうか。

今日は、新しいお友達もいますので、おさらいも兼ねて、これまでのお話を紙芝居で読んでいきたいと思います。

1、イサクとリベカの夫婦に、エサウとヤコブという双子の兄弟が与えられました。

どっちがお兄さんだったか、覚えていますか。ーそうエサウですね。

2、兄エサウは、野を走り回る狩人になりました。

弟のヤコブはとてもおとなしく、外を出歩くよりも、家の手伝いをする方が好きでした。

性格も、好きなことも、全然違う兄弟ですが、ある事をきっかけに、二人は離れ離れになってしまいます。

3、どんな事があったかというと、それは、弟のヤコブが、お兄さんに与えられるはずの祝福を奪ってしまうということでした。

本当は、お兄さんが、お父さんから祝福をもらうはずでした。

それなのに、弟ヤコブは、お兄さんのふりをして、目の見えないお父さんを騙して、祝福を手に入れてしまった。

4、それを知ったお兄さんは、カンカンに怒ります。

「ヤコブのやつ、よくも祝福を奪ったな!!絶対に許さない。」

お兄さんが怒っているのを知ったお母さんは、このままではまずいと思って、おじさんの家に、ヤコブを逃すことにしました。

ヤコブは、お母さんに言われるまま、逃げるように家を出て行きました。

ここまでが、先週のお話です。今日のお話は、ここからなんですが、家を出て行ったヤコブは、この後、どうなっていったのか。続きを読んでいきたいと思います。

5、家を出て行ったヤコブは、お母さんに言われる通り、親戚のおじさんの家を目指して歩きます。

しかし、その途中、日が沈んできたので、ヤコブは、石を枕にして眠ることにしました。

ヤコブは一人ぼっち。不安な気持ちでいっぱいでした。

「自分は、なんてことをしてしまったんだろう。お兄さん、さぞ怒ってるんだろうな。

これからどうなるんだろう。生きていけるんだろうか。はあ、家に帰りたいな。」

そんなことを思いながら、いつしかヤコブは眠ってしまいます。

6、すると、ヤコブは夢を見ます。

地面から天まで届く階段が伸びていて、そこを、天使たちが、上ったり下りたりしています。

不思議に思って見ていると、今度は、すぐそばから声が聞こえてきます。

「私は、あなたのおじいさんや、お父さんを導いてきた神である。

みよ、私はあなたと共にいる。どこへ行ってもあなたを守る。そして必ずこの土地に連れ帰る。私はあなたを決して見捨てない。」

7、眠りから覚めると、ヤコブは言います。

「私は知らなかった。神様が、こんな私と、共にいてくれているなんて。

神様は、どこへ行っても守るって、決して見捨てないって、言ってくださった。」

ヤコブはもう、一人ぼっちじゃありません。

神様が共にいる。それだけで、勇気が湧いてきます。

皆さんは、家を追い出されたことがあるでしょうか。

故郷にも、家族のもとにも帰れずに、石を枕にして寝たことがあるでしょうか。

この時のヤコブさん、どんなに不安だっただろう、どんなに寂しかっただろうって思います。

でも、そこに神様はおられた。

寂しさと不安でいっぱいのヤコブさんと共に、神様はおられた。

神様はどこにいるんだろうって、考えたことがあるでしょうか。

神様がいる場所。それは、素晴らしい神殿の中でも、神聖な森の中でもありません。

不安や寂しさを抱えて苦しんでいる。そんな一人一人の隣にいる。

そして、「私が一緒にいる。私は絶対に見捨てない。だから、一緒に生きよう」って、言ってくださっているんだって、聖書は教えています。

今日は、このことを覚えておきたいと思います。

今、心の中に不安があるっていう人、一人ぼっちで寂しいって思っている人。

神様は、そんなあなたの隣にいます。

どんなに姿が見えなくても、どんなに声が聞こえなくても、神様は共にいる。

そして、「決してあなたを見捨てない」って言っておられる。

そのことを信じて、歩んでいってほしいと思います。

お祈りします。

・導入・・・神はどこにおられるのか

今、子どもメッセージの中で、神様はどこにいるんだろうって、考えたことがあるかと伺いましたが、皆さんはどうでしょうか。

神はどこにおられるのか。

神の居場所を、私たちがどう思い描いているか。

これは、私たちにとって、非常に重要なテーマであると思います。

荘厳で立派な神殿の中に、神の居場所を思い浮かべる人もいるでしょう。

病気が癒やされるとか、命が助かるとか、受験で合格するとか、そういう良いことがあった時に、神がいると思う人もいるでしょう。

逆にいうと、悪いことが起こったり、願いが叶わなかったりした時には、神なんていない。

あるいは、神はどこにおられるのかと言って、思い悩むことがあるかもしれません。

でもそれは、聖書に照らして見た時に、果たして、合っているんだろうか。

私たちが考える神の居場所と、聖書が語る神の居場所は、合致しているのか。

今日は、そんなことをテーマに、ご一緒に聖書を読んでいきたいと思っています。

聖書は、神の居場所について、なんと語っているのか。

静まって、聖書に聞いていきたいと思います。

・逃亡の旅

最初に少し戻りまして、27章42節~45節まで読みたいと思います。

ここには、エサウの怒りを聞いて、母リベカが言った言葉が書かれています。

「ところが、上の息子エサウのこの言葉が母リベカの耳に入った。彼女は人をやって、下の息子のヤコブを呼び寄せて言った。「大変です。エサウ兄さんがお前を殺して恨みを晴らそうとしています。

わたしの子よ。今、わたしの言うことをよく聞き、急いでハランに、わたしの兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。

そして、お兄さんの怒りが治まるまで、しばらく伯父さんの所に置いてもらいなさい。

そのうちに、お兄さんの憤りも治まり、お前のしたことを忘れてくれるだろうから、そのときには人をやってお前を呼び戻します。一日のうちにお前たち二人を失うことなど、どうしてできましょう。」

ことの経緯をご存知の方は、よくそんなことが言えるなと思うかもしれません。

「二人を失うことなど、どうしてできましょう。」と言っていますが、そもそも二人の間を引き裂く原因を作ったのは、母リベカでした。

彼女が、ヤコブに、祝福を奪うよう仕向けたわけです。

ヤコブから言わせれば、「祝福を奪わせたのは、あなたでしょ。

どうして私一人で逃げなきゃいけないの」と、そう思ったかもしれません。

しかも、リベカの言うことは、とても楽観的です。

「しばらくすれば、お兄さんの怒りも治まり、お前のしたことを忘れてくれるだろうから」って言ってますけれども、本当にそうなのか。

しばらくって、どのくらいなのか。

殺したいとまで言っているエサウが、忘れるなんてありえるのか。

なんの見通しも立たないままで、ヤコブは、旅に出なければなりませんでした。

どれだけ不安だったでしょう。

どれだけ孤独だったでしょう。

時に私たちも、先が見えず不安になったり、孤独に襲われ苦しくなったりすることがあるでしょう。

そんな不安や苦しみを抱えながら、ヤコブの旅は始まっていきました。

・神はどこに

旅の途中、名前もない「とある場所」で、ヤコブは思いがけない出会いを経験します。

日が沈み、石を枕に寝ていた時、夢の中でヤコブは、先端が天まで達する階段が地に向かって伸びているのを見ます。

よく見ると、その階段を、神の御使いたちが上ったり下ったりしていました。

すると突然、神がヤコブの「傍らに立って」言われます。

「今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。…見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」(13~15節)。

この言葉を聞いてヤコブは、「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった」(16節)と言いました。

今日のテーマであります、神の居場所が、問題になっています。

ヤコブは、まさかこの場所に、神様がおられるなんて、思ってもいなかったと驚いているわけです。

だいぶ前になりますが、高校時代の知り合いと、教会で再会するということがありました。

高校時代には、彼がクリスチャンだということも何も知りませんでしたので、まさか彼と、教会で再会するなんて、思ってもいませんでした。

道端で会っていたら、声もかけずに通り過ぎていたようなそんな関係しかなかったんですが、再開した場所が教会だったということが意外すぎて、お互いにとても驚き、話し込むということがありました。

ヤコブも、神との出会いの場が、「この場所」だったということに驚いているわけです。

まさか、こんな場所に神がおられるなんてと、そう思っているわけです。

ヤコブの言う「この場所」とはどんな場所でしょうか。

聖書には、「とある場所」と記されています。

名前もありません。

特別なものも何もありません。

ヤコブにとっては、たまたま通りすがっただけの道端でした。

単なる通過点でしかないその場所が、神様と繋がっていた。

天まで届く階段が、そのことを示しています。

「階段」と訳されていますが、正確には、「梯子」と訳されるべき言葉だそうです。

その様子を描いた絵があります。

フランスのニコラス・ディプレという画家の絵だそうですけれども、ちょっと、上ったり下ったりしずらそうに見えますが、しかし、梯子であるというのには、大事な意味があります。

それは、天と地がつながっているということです。

梯子というのは、高いところと低いところをつなぐ象徴的なものです。

翻って、天と地は繋がっている。

ヤコブがいるその場所は、天から切り離された場所ではない。

繋がっているんだということが、あらわされています。

さらに、聖書を読んでみると、主が「傍に立って言われた」と書いてあります。

「傍ら」という、この言葉も神の居場所をあらわしています。

この絵には、天に神様が描かれていて、ヤコブとは少し距離があります。

しかし、聖書は、神様が、ヤコブの傍らで語られたと言っています。

傍らというのは、すぐそばということです。

主がすぐそばまで来られて話しかけられた。

傍らという言葉には、近さとか、親しみが表されています。

さらに神様は、ヤコブに語りかけた、その言葉の中で、「わたしはあなたと共にいる。

あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る」とそう言っておられます。

「どこへ行っても」というのは、「あなたがいる場所ならどこでも」といことです。

山の上とか、丘の上だけじゃない。

荒れ野でも、砂漠でも、「あなたがいる場所ならどこでも」かまわない。

「私は、あなたと共にいる」と、そう語られた。

「あなた」というのは、当然ヤコブのことですが、

この時のヤコブは、父を騙し、兄から祝福を奪い、故郷を追われた罪人です。

自分のしてしまったことに後悔しながら、不安と孤独に襲われ、居場所のない放浪者であった、そんなヤコブのいる場所に、神はおられると言われた。

・神は共にいる

神様はその場所を、ヤコブに与え、「必ずこの土地に連れ帰る」と約束されました。

最初にこの箇所を読んだ時、連れ帰るというなら「この土地」ではなくて、故郷であり、家族のいる場所なんじゃないか。

それがヤコブの願いだったのではないかと思いました。

だって、この土地というのは、名もなき「とある場所」です。

故郷を追われ、伯父ラバンのところへ行く、途中の場所です。

そんな場所に連れ帰られても困ると思うのが、普通なんじゃないかと思っていました。

でも、そんな場所が、ヤコブにとっては忘れることのできない、忘れてはならない特別な場所になったんです。

特別な場所に、神様がおられるのではない。

神様がおられる場所が、特別になっていくんだということです。

最早、その場所は、名もない「とある場所」ではありません。

ヤコブは、その場所を、「神の家」「天の門」と呼びました。

神様が、共にいてくださると約束してくださった場所。

神様が、自分と繋がっていると知った場所。

その希望の場所に、戻ることができる。

どんなに道を外れても、必ず神様が連れ帰ってくださる。

共にいる、守るというその約束に、神様が連れ帰ってくださる。

神様が言われた、「必ずこの土地に連れ帰る」という約束は、そういう約束なんだろうと思うのです。

・結論

神様はどこにおられるのかということを念頭におきながら、ヤコブの物語を読んできました。

そこで語られていたのは、特別な場所に、神様がおられるのではなく、神様がおられる場所が、特別になっていくんだということでした。

そして、その場所こそ、私たちの傍らである。

神様は私たちのすぐそばで、私たちに伴って歩んでくださっている。

より正確に言うならば、失敗し、後悔し、不安と孤独に襲われ、身を震わせて泣いている、そんな私たちと共におられるということです。

そんなふうに、聖書の語る神様は、良い時、順調な時だけ、私たちと共におられるのではありません。

私たちが不安を感じる時、孤独を感じる時、自分の弱さや罪に打ちのめされている時も、神は共におられる。

たとえ神に見放されたと感じる時も、いや、そんな時こそ、神は共におられる。

私たちが神を最も遠くに感じる時、実は神は、私たちの最も近くおられるんのだと、聖書はそう教えているように思います。

ヤコブは、その福音を胸に、旅を続けます。

先の見えない状況は変わりませんが、もう独りではありません。

神が共にいる。この福音に支えられて、新しくヤコブは歩み出していきます。

私たちも、今日、「神は私たちと共におられる」ということを覚えたいと思います。

「神の居場所は、ここなんだ」不安を抱え、孤独を抱え、苦しんでいる一人ひとりのところに、神はおられる。

このことを心に覚え、またここから、新しく歩み出していきましょう。

お祈りします。

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