2025年6月29日主日礼拝「祝福の源となるために」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、創世記12章1節〜8節。

新共同訳旧約聖書15ページです。

12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。

12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。

12:3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」

12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。

12:5 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。

12:6 アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。

12:7 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。

12:8 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。

「祝福の源となるために」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

おはようございます。

今日もまず最初に子どもメッセージからしたいと思いますが、今、私たちは、聖書を開いて最初にある創世記っていう書物を続けて読んでいます。

これまでに「ノアの箱舟」、そして「バベルの塔」のお話を読んできました。

今日からは、新しくアブラムの物語を読んでいきます。

アブラムっていうのは人の名前なんですが、聞いたことあるでしょうか。

アブラハムって言ったら、聞いたことがある人もいるかもしれません。

アブラムとアブラハムは、同じ人です。

途中から名前が変わって、アブラハムになるんですが、

この人は、聖書に出てくる人の中でも、特別な有名人です。

世界中の人たちから、尊敬されている人物です。

なぜなら、ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も、全ては彼から始まったからです。

アブラムという、たった一人の人物から、イスラエルという民族が生まれ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が生まれていった。

だから、アブラムは、信仰の父なんていうふうに、言われています。

今日の箇所には、そんなアブラムの、始まりの様子が書かれています。

信仰の父と呼ばれるようになるアブラムの始まり。

そこには、どんなことが書かれているか。

最初の一文読んでみると、そこには、「主はアブラムに言われた」って書いてあります。

主っていうのは、神様のことです。

「神様はアブラムに言われた」。

この言葉から、アブラムの物語は、始まっていきます。

では、その言葉とは、どんな言葉だったのか。

こんな言葉でした。

12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。

12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。」

始まりの時点で、もうすでに、「大いなる国民にする」って言われています。

さっき言った通り、実際アブラムから、子どもが生まれ、孫が生まれ、ひ孫が生まれ、やがて一つの国が生まれます。

そして、アブラムは、有名になります。

「あなたの名を高める」って言われている通りになります。

こんなふうに、アブラムの物語は、最初に全部書いてあるんです。

アブラムがどうなるかっていうことを、神様は、最初にもう言っちゃってるんですが、

ただ、そうなるためには、一つ、条件がありました。

その条件とは何かというと、それは、「生まれ故郷を離れ、私が示す地に行きなさい」ってことでした。

神様が示す地ってどこか。

はっきりしたことは何も書いていません。

そこに行くのに、どれだけの時間がかかるか、どれだけ歩かないといけないか、そこがどんな場所かも何もわからない。

そんな場所に行くって、とても怖いですよね。

ちょっと旅行に行くってだけならまだしも、神様が言っているのは、引っ越せってことです。

行ったこともない場所に引っ越していく。

とても、危険なことです。

言葉が通じる人がいるかどうかもわからない。

生活していけるかどうかもわからない。

そんな危険な場所に行くくらないなら、今いる場所にいたい。

このまま、この場所で、安全に暮らしたいって思うのが普通だと思います。

でも、アブラムは、出かけていきました。

神様の言葉だけを信じて、出発していきました。

このアブラムの一歩、神様を信じて踏み出した一歩が、世界の歴史を変えてしまうほどの、大きなことに、つながっていきました。

今日は、このことを、一緒に覚えたいと思います。

みんなにも、これから、行ったことがない場所に行くことになったり、やったことがないことに挑戦しなきゃいけない時が、来ると思います。

そんな時は、アブラムのことを思い出して欲しい。

神様を信じて踏み出した、アブラムの一歩が、歴史を変えるような、大きな出来事につながっていった。

そのことを思い出して、みんなも、一歩、踏み出す人になっていって欲しいと思います。

お祈りします。

・アブラムの物語

只今、話しました通り、今日からアブラムの物語を読んでいきます。

アブラムといえば、後にアブラハムという名を与えられ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教において、信仰の父と呼ばれることになる人物です。

今日の箇所には、そんな彼の始まりの様子が記されています。

アブラムは、どのようにして信仰の父と呼ばれるようになっていったのか。

ご一緒に、聖書から、聞いていきたいと思います。

・神の言葉から

先ほども話しました通り、アブラムの物語は、神の言葉から始まります。

神はアブラムに、「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように」と言われました。

この言葉通り、アブラムは、イスラエル民族という「大いなる国民」の父となっていきます。

アブラムが、イスラエル民族の父となっていったのは、彼の計画ではありません。

それは、神の言葉であり、神の計画でした。

神が彼を、「大いなる国民」の父としていったということです。

・模範になるような人じゃない

では、なぜ、アブラムだったのでしょうか。

なぜ神様は、アブラムを、「大いなる国民」の父として選んだのでしょうか。

「ノアの箱舟」の主人公だったノアは、神に従う無垢な人であったため、神の好意を得たと書いてありました。

このノアのように、アブラムも、神に従う正しい人だったのでしょうか。

実は、そんなことはなかったんです。

アブラムは、自分が生き残るために、他人を利用するようなこともしているんです。

今日の箇所の続きには、まさにその様子が記されているんですが、

そこには、自分の妻サライを妹と偽り、エジプトの王に差し出し、褒美を受けるアブラムの姿が記されています。

自分の妻を妹と偽って、王に差し出すなんて、酷いことをするなと思いますが、

もっと酷いのは、1度ならず2度までも、同じことを繰り返したということです。

アブラムは、エジプト王だけでなく、ゲラルの王にも、同じことをしました。

そういう彼の姿を見ると、お世辞にも、模範と呼ばれるような人物とは言えないなと思ってしまいます。

でも神は、そんなアブラムを選ばれたのです。

恐れを抱き、他人を利用して、生き延びようとする。

神を信頼せず、己の力で、しかも、人を騙したり、偽ったりして、生き延びようとする。

そんな、私たちと同じ、欠けた器であるアブラムを、神は選ばれたのです。

・名もなき寄留者を選ぶ神

もう一つアブラムを覚える上で重要なのは、彼が、寄留者だったということです。

寄留者とは、自分の土地を持たず、他人の土地に身を寄せる人々のことです。

アブラムも、そうでした。

もともと彼は、カルデアのウルというところに住んでいました。

前回「バベルの塔」の話を読みましたけれども、ウルというのは、そのバベルと同じ、ユーフラテス川流域の町です。

そこにも、やはり、当時最先端の技術を有し、高度に栄えていたメソポタミア文明がありました。

そのウルに、アブラム一家は、土地を持って暮らしていたわけです。

それなのに、どういうわけか父テラは、その暮らしを捨て、寄留者になる道を選び、家族と共にハランに移住しました。

もしかしたら、「バベルの塔」の物語にあったように、神様によって散らされた民だったのかもしれません。

はっきりしたことは分かりませんが、そのようにしてアブラムは、寄留者とならなければなりませんでした。

聖書において寄留者は、孤児ややもめと並んで、保護されるべき対象として、記されています。

それだけ、弱い立場にあったということです。

何の権利も持たない寄留者の生活が、どれほど過酷なものであったか。

自分の妻を妹と偽ったのも、そのせいかもしれません。

そういう卑怯なことをしなければ、生きていけない。

そういう弱い立場にあった。

そんなアブラムを、神は、選ばれたのです。

このようにアブラムが信仰の父となったのは、彼の力ではありません。

神が、名もなき寄留者であったアブラムの名を高め、祝福されたからです。

これは、前回話しましたバベルの塔に登場する民と対照的です。

彼らは、自分たちの力で、有名になろうとしました。

当時最先端の技術を使い、天まで届く塔を建て、世界にその名が轟くような町を作ろうとしました。

その結果、彼らは、神によって散らされてしまいました。

一方、アブラムは、何の力も持っていませんでした。

土地も持たず、他人の力に頼らなければ、生きていけない。

そんな名もなき者でした。

でも神は、そんなアブラムを選び、その名を高められるお方なのです。

欠けだらけで、何の力もない。

そんな名もなき者を選び、そこから大いなる御業を起こされる。

それが、聖書の語る神様なのだということを、心に留めたいと思います。

アブラムが信仰の父となっていったのも、この神の選び、神の恵みに基づくものでした。

・信じて、一歩踏み出す

大事なのは、その恵みを信じて、受け取っていくことです。

神の約束を信じて、従っていくことです。

アブラムは、信じて一歩、踏み出していきました。

だから彼は、約束されたものを、受け取ることができたのです。

どんなに恵み深い約束でも、信じて一歩踏み出さなければ、その恵みにあずかることはできませんでした。

アブラムは、神の恵み深い約束に対して、信じて一歩踏み出していきました。

そこに、神と人の理想的な関係があります。

私たちも、そのような関係へと招かれています。

アブラムが踏み出して行った一歩は、信仰がなければ踏み出せない一歩でした。

神の言葉に対する信頼。それしかない。

約束が実現する保証もなければ、生活していける保証もない。

示された土地には、すでにカナン人が住んでいました。

神は、「この土地を与える」と言うけれど、本当にその土地が得られるのか、わからない。

一方、寄留者ではありつつも、ハランには、父の家があり、生活の場がありました。

僕たちもいて、財産を蓄える余裕もありました。

何より、アブラムは当時75歳でした。

年齢を考えても、落ち着きたいと思うのが普通でしょう。

でもアブラムは、慣れ親しんだハランの生活を手放し、旅立っていきました。

それは、決して簡単な決断ではなかったと思います。

でも、それによって彼は、神の祝福の担い手となることができたのです。

・招きに応えて

時に神様は、アブラムに語られたように、私たちにも語りかけられることがあります。

「あなたが今いる場所を離れ、私が示す地に行きなさい。」

安心して、先が見通せる現在から、不安で、先の見えない未来へと、導こうとされることがある。

その導きに従って生きることは、決して簡単なことではありません。

恐れが湧いてきます。

不平不満が止まらない日もあるでしょう。

でも、信じて一歩踏み出すとき、神はその歩みに伴い、祝福してくださるのです。

欠けや弱さがあってもいい。

準備が整ってなくてもいい。

大切なのは、神の言葉を信じて、踏み出していくことです。

神様は、今日、私たち一人一人をも、招いておられます。

自分の力ではなく、神の約束を信じて、新しい一歩を踏み出すようにと、招いておられます。

その一歩によって、私たちもまた、神の祝福の担い手となっていくのです。

聖書には、祝福の源となるようにと、語られています。

アブラムの一歩によって、祝福を受けたのは、彼だけじゃない。

彼の家族、彼の周りの人々、世界中の人々が、神の祝福にあずかっていきました。

私たちも、そんな祝福の源になるようにと、招かれています。

祝福の源となるために、信じて、一歩、踏み出していきましょう。

お祈りします。

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