2025年3月30日主日礼拝「神の愛」(梅木芳昭兄)

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、ローマの信徒への手紙8章31節〜39節。

新共同訳新約聖書285ページ〜286ページ。

8:31 では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。

8:32 わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。

8:33 だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。

8:34 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちの ために執り成してくださるのです。

8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

8:36 「わたしたちは、あなたのために/一日中死にさらされ、/屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。

8:37 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。

8:38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、

8:39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことは できないのです。

「神の愛」と題して、梅木芳昭兄に、メッセージをしていただきます。

子どもメッセージ

おはようございます。 自己紹介します。私はうめきよしあきといいます。このうめき も よしあき も聖書に名前が両方ともあるのです。すごくない? 名前のよしあきは旧約聖書のヨシュア記、モーセが出エジプトで目的のカナンの地に入る前モーセは亡くなりヨシュアに後を任せました。 そのヨシュア記と うめきはローマ書8章には3回もうめき がありますよ。まだ聖書の中では、まだたくさんの箇所でもあるのでよかったら探してね。

パウロさん以前はキリスト教徒を迫害するユダヤ教のラビ・指導者でした。キリスト教徒を迫害するその時に「サウロ、サウロなぜ私を迫害するのか」という光の中から聞こえるイエス様の声を聞いてパウロさんは目が開かられてイエス様に従う決意をしたのです。サウロはユダヤ教のヘブライ名ですね。弟子たちを迫害する=イエス様も自分が迫害されたのだと同じ気持ちになったのです。弟子たちが怖い恐ろしい死ぬ思いをしたときイエス様も同じ思いでおられたのです。私たちが苦しい悲しいときにもイエス様は同じ気持」になられるのです。嬉しいですね。その時パウロは「この方こそメシア救い主」だと信じ従う決意をしたのです。ユダヤ教はメシア預言の旧約聖書を聖典としていますからユダヤ教の指導者だったパウロは聖書に詳しくイエス・キリストこそ旧約聖書が示す救い主メシアだと信じることができキリスト教徒を迫害する者からキリストを伝道する者へ変えられたのですね。

パウロさんは3回の伝道旅行をしています。当時は今のように車も飛行機もありません。歩くのがほとんどでした。パウロさんは 約2万キロ歩いたそうです。質問です! 世界一周の距離はいくらでしょうか? 何Km?  4万Kmですね。パウロさんはすごいですね世界一周の半分を約8年間で歩いて伝道したのです。私も世界一周しましたよ。ただしパウロさんと違い飛行機と船で80日間で世界一周を2011年しました。美味しいものを食べて世界の教会や美術館、博物館そして世界遺産など見て回り遊んでばかりで4kg太りましたね。

ローマ書が書かれたのが紀元60年ごろパウロさんはまだ行ったことのないローマの教会に手紙を書いたのです。パウロさんやイエス様の弟子たちが各地で伝道したのでキリスト信徒が増えて当時「全ての道はローマに続く」と言われるほどローマは世界の中心で一番栄えていました。多くの人が集まりキリスト信徒の教会が形成されていました。ローマ書の内容は人が義とされる。難しい言葉ですが、神様の子とする霊を受けた、これは神の自由な賜物である。とパウロは主イエス・キリストを信じることはユダヤ人はもちろん異邦人も含めて全人類の唯一の救いの道である。特にローマ書は他の手紙と違い組織的に書かれ「神の愛」についてローマの教会に送ったのです。

もう一つ質問して終わります。旧約聖書は何篇あるでしょうか?また新約聖書は何篇でしょうね? 

旧約聖書は39篇ですね新約聖書27篇です。掛け算で覚えると覚えやすいですよ。旧約の39篇の3と9を掛け算すると3×9=27その答えが新約聖書27編となります。

パウロさんのすごいのは新約聖書27編あるうちの13編を書いたのです。すごくない!約半分ですよ。だからパウロさんは最初の神学者といわれます。

詳しく言うとパウロさんが直接書いたのは7編で後は弟子たちがパウロさんの名前で書いたと言われています。パウロさんはイエス様の弟子ではありませんでしたが多くの人にイエス様のことを宣べ伝えパウロさんのようになりたいと思っている方がたくさんいます。私は魚釣りが大好きなこともありペトロさんがなぜか好きですねペトロは漁師さんで無学な所が好きですね。皆さんもイエス様の弟子の中からでもパウロさんでも他の弟子でもいいですから好きな人を見つけると聖書が楽しく読めると思いますよ。聖書が一貫して語るのは「神は愛である」ということです。聖書を好きになってたくさんたくさん読んでくださいね!そしてうめきもたくさん見つけてね!

祈り

 神様、今日この場に立たせてくださったこと感謝申し上げます。パウロやイエス様の弟子たちの苦労のおかげで今を生きる私たちにもキリストの愛が届いていますこと感謝申しあげます。パウロさんがローマの信徒の手紙で伝える神様は私たちを義としてくださること。主イエス・キリストによって示された神の愛を喜んで受け取りたいと願います。この後の礼拝にも変わらぬ聖霊の導きが豊かにありますよう主イエス・キリストのみ名によりお祈りいたします。

挨拶

皆さん改めておはようございます。今日この場に立たせて頂けること主に感謝申し上げます。おかげで今年、傘寿80歳にあと2ケ月でなります。5年前の1月に階段から転落して頸椎多発骨折して両手両脚が全く動かない生活から病院でリハビリの毎日で車いす生活を覚悟していましたが、いつまで生きることができるだろうか誕生日まで、喜寿まで、と生きる望みをつないできて、この様に80歳まで生きることができ神様の守りと恵み、皆さまの祈りに支えられ健康でおられること感謝しています。

導入

「神の愛」God is love [神は愛なり]なんと素敵な言葉でしょうか。          God is loveには若い時に苦い思い出があります。高校入学し先輩にさそわれ教会に行くようになってすぐ教会で宣教師が開いているバイブル・クラスに参加しましたら「God」を順番に言わせるわけです。可愛いセーラー服の方はスラスラ一回でOKです。私の番に来ると何回も何回も何回も「God」をやり直しされられたのです。宣教師が「God」私が「God」―宣教師が「God」私が「God」――G O D何回も、何回もやり直しされ10回以上かな、もっとかな。高校一年生紅顔の美少年は顔は真っ赤っか穴があれば入りたい、もう止めて、みんながこっちを見てる。もうこの場から出て行きたい恥ずかしくて早くOKを!もうだめ二回で辞めました。このためGODは嫌い神様につまずきそうなものですが、ここに立たせてくださいました。神様ごめんなさい。でもこんな私を捕らえてくださったのです。GODの苦い思い出はこの年になっても酸っぱい思い出です。

ローマ書

ローマ書はパウロが第3回伝道旅行の途中コリントからローマの教会宛てに書き送りました。しかしローマにはまだ行ったことがありません「すべての道はローマへ」と言われるほど道が集中している大都会、世界の中心でイエス様の復活から30年ぐらい経過していましたからキリスト教も各地に伝えられ教会・群れが出来ていました。誰がローマの教会を始めたかは分かりません。イエスが復活された後にローマからエルサレムを訪れた人の内で、ペンテコステで回心した者は福音のメッセージをもってローマに帰ったに違いありませんしパウロや弟子たちの伝道によりキリストを信じたユダヤ人、ギリシャ人、ローマ人や異邦人などがローマに移り住んだのですね。

弟子たちは

弟子たちは十字架のイエス様のあと2人の弟子は失望・落胆し故郷に帰ろうとしてエルサレムからエマオに向かっている時にですよ。復活のイエス様が来て一緒に歩いていて話し合っているのに気が付かない。ついにエマオの村に着くまでイエスだと分かりません。2人の弟子たちの「目が遮られていました」遮られるとはイエス様と弟子たちの間に遮る何ものかが入ってイエスを見えなくする。それは物体ではなく精神的、霊的なものを意味します。私たちもイエス様が一緒にいても見えない。イエス様が一緒なのに見えない時。聖霊の助けを頂いてこそイエス様が見えるのではないでしょうか。

エマオの晩餐 エマオの晩餐写真と拡大写真も順番に見せます。 

これをご覧ください。私が2016年国立西洋美術館で見て購入したものです。絵画ではありません。記念の本です。エマオの晩餐の絵です。見た方が良く分かると思い準備しました。イタリアの画家カラヴァッジョが書きました。 カラヴァッジョの絵は光と闇のコントラストで輪郭と遠近を描いているのが特徴です。人物の表情が何を思ってるのでしょうか(ルカ24:29)弟子の二人が「一緒にお泊りください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」といって   無理に引き止めたのでイエスは泊まるために家に入られた。

2人の弟子はイエスと一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り賛美の祈りを唱えてパンを裂きお渡しになった時に2人の目が開けイエスだと分かったのです。ルカ24:46節(メシアは苦しみを受け3日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」あなたがたはこれらの証人となる。) 12弟子の一人クレオパが右の人ではないでしょうか。熱心にイエスに語り掛けているというか食いつくように興奮されています。イエスに何を聞いているのでしょうか。イエス様、本当に生きてるのとか③の拡大写真も順番に見せます。もう一人の弟子は後ろ向きで名前は分かりません70人の弟子たちの一人ではないかといわれています。その後イエスはエルサレムに行きで弟子たちに現れ40日間イエス様から福音・宣教の教育を受け弟子たちは「心燃やされ」世界伝道に散らされます。あの無学のペトロも語れば語るほど雄弁になり、何より「心燃やされた」ことイエス様の十字架の事実・福音を語ることがキリスト教を広めていくこととなりキリスト教徒が増えてローマにも教会ができたのですね。

8書15節から

ではこれらのこと(31)とは前の箇所で5つのことをさしてます。時間の制約もありますので短くしますし5つの箇所で「私は」を挿入します①(15節)神の子とする霊を「私は」受けた②(17節)キリストと共同の「私は」相続人③(23節)救いの霊を「私は」受けた④(26節) 霊の取り成しが「私は」ある⑤(30節)罪の赦しと栄光を与える神が私たちを選び子とされるイエス様と「私は」共同相続人、いつも聖霊を与えとりなしてくださる。そして栄光を与えてくださるのです。「霊」「聖霊」が風のように私の内に居てくださる。イエス様と共に私はいつもある。ある時は姿も見せてくださるのです。5つの箇所で「私は」挿入すると身近になりませんか。

うめき

ここに「うめき」が3つあります気が付かれましたか①22節「共にうめき」②23節「心の中でうめき」③26節「言葉に表せないうめき」は復活されたキリスト・イエスが取り成し共にうめきをもって愛して神の右に座らせてくださるための「うめき」声なのです。もう一度申します「共にうめき」「心の中でうめき」「言葉に表せないうめき」うめき声。皆さまにもうめき、はするでしょう、ありますよね!  私は梅木芳昭です。

イエス様とお会いする

先日2月2日礼拝後に大下姉は退院され証しされた時イエスさまとお会いしたそうです。その時、大下姉から聞いたのですが今回入院される前に牧師にメメントメリを始めて渡されたそうです。覚悟の入院だったと思います。_イエス様が入院中ずっと大下姉の側にいてくださったのですね。大下さん頑張ったねとイエス様が姿を見せてお会いしたそうです。私も階段転落で入院し9日目意識が回復したとき同じようにイエス様がそばに居てくださった経験をしましたので涙が出るほど嬉しかったことを思い出しました。今は神様から迎え帰天の時には感謝で受けたいと思うのです。先輩の多くがそうでしたから。

キリスト教は死後の神の国は花園パラダイスです。この世で死んだ後の自分の姿を考えたことありますか私はあります。死後肉体は焼かれて土に帰りますが主イエス・キリストを信じる者は、ある映画「神の小屋」の天国の場面では人々が光と色で表されて自由に風のように移動しているのです。昔に亡くなった人々にもお会いしているでしょう。私にはこれが天国の人々だと感じることができ嬉しく見たことを思い出します。

「キリスト様」「聖霊様」

「忘れられない心に残る言葉を思い出しましたので皆さまにもご披露します大分教会から神学校に行かれ牧師になられた吉高國彦さんの口ぐせと言っていいのでしょうか。  吉高國彦さんとお話すると 「キリスト様」「聖霊様」の言葉がいつもいつでも出るのです。この「キリスト様」「聖霊様」を聞くと不思議に心が落ち着くのですね。私はいまリハビリに通っています。その時に認知症予防の体操でこのような動きをしますので、これを利用して。

「キリスト様」を右の手で「聖霊様」を左手で、あなたと共にのwith you           ②「キリスト様」を右の手で「聖霊様」を左手で、あなたと共にのwith  me             ③「キリスト様」を右の手で「聖霊様」を左手で、with  all    これを行うと右手、左手で主を賛美するので右手、左手で悪さできなくなりますよ!              

ローマ書8章

ローマ書8章は子供メッセージでもお話しましたが「人が義とされる。」大切な箇所です。マタイ6章には有名な(何よりもまず、神の国と、神の義を求めなさい。)とあります。またマタイ5:6(義に飢え渇く人々は幸いである。その人たちは満たされる。)神の前に義と認められる人は、神の交わり・神の国に迎えられます。義に飢え渇くとは神の交わりに生きるものとなることを切に願うとイエス様に人は満たされ神の前に義とされる。神との交わりに入り、その人は義である人なのです。パウロはローマの教会宛て書き送りローマの各教会で読まれるのです。読まれるために短くする必要があり神の愛の前には5つの霊を受けた私を神が義として下さったことを述べます。

キリスト者の勝利

キリスト者の勝利について3つのことがあります①(31節)神が私たちの味方である②(33節)神が義としてくださる③(35-37節)私たちは神によって圧倒的勝利者になる。パウロの言葉はローマ書のクライマックスに達しキリストの愛は十字架で表された愛いらい 聖霊によって私たちの内に注がれている、いや内在してくださる「神の愛」なのです(38-39節)死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、創造主なる神が私たちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、私たちを引き離すことは出来ないのです。全知全能の神がおられるのに。いったい私は何に、誰に時間とお金ともろもろのコストをかけてきたのか恥じるばかりです。しかし神はこういって下さると思うのです。神は「あなたは私にとって尊い」と。「神の愛」とは神は私たちの内に働いて御心のままに望ませ行わせておられるのは神だからです。神は私たちの心の深みにおられるのです。それは自分や他人の喜びの前に、まず神を喜ばせたいという願いを起こさせるのです。神の力が今日も私たちに心の深みで働いて行っていることを信じ感謝して応答したいと思います。

祈り ご在天の父なる神様、今日この場に立たせてくださったこと感謝申し上げます。     私たちは神様がイエス様の十字架で示された愛による神様の愛に生かされていることを感謝感謝もうしあげます。貴方さまが私たちを義として下さいますことを忘れがちですが、いつも私たちの内に働いて御心のままに働かせてくださいますこと感謝に堪えません。これからも私たちを聖霊によりお導きください。主イエス・キリストのみ名によりお祈りいたします。

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