聖書をお読みいたします。
聖書箇所は、ルカによる福音書1章5節〜20節。
1:26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
1:27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
1:28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
1:34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
1:36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
1:37 神にできないことは何一つない。」
1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
「戸惑いから始まるクリスマス」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。
・子どもメッセージ
おはようございます。
今日も最初に子どもメッセージからしたいと思いますが、先週に続いてクリスマスの話をしたいと思います。
クリスマスは、イエス様の誕生日ですが、イエス様が生まれるという知らせを最初に聞いたのは誰だったか、知っていますか。
それは、イエス様のお母さんとして選ばれた、マリアさんでした。
マリアさんは、天使から、そのことを聞かされるんですが、聞いた時、どう思ったでしょう。
喜んだでしょうか。
やったーって思ったでしょうか。
違いました。
聖書には、「戸惑った」って書いてあります。
「戸惑った」っていうのは、どうしていいか、わからなかったってことです。
これは、思いもしないことが起こった時に出てくる、反応です。
昔、バイクを運転していた時に、信号を待っていたら、突然、エンジンが止まったことがありました。
なんで!?どうして!?って思って、すごい戸惑いました。
それから、そんなに仲良しでもない人の結婚式で、ビンゴに当たったことがありました。
この時も、ものすごい戸惑いました。
そんなに仲良しでもないのに、自分が景品をもらっていいんだろうか…って思って、素直に喜べませんでした。
そんなふうに、思いもしないことが起こった時に、私たちは戸惑うわけですが、マリアさんもそうだったんです。
イエス様のお母さんになるなんて、思ってもないことを言われて、どうしていいかわからなかった。
喜びよりも、不安の方が大きかったと思います。
でも、マリアさんは、天使の知らせを受け入れていきました。
戸惑いが消えたわけではありません。
恐れも不安も残ったままでした。
この先どうなるんだろう。
なんで私なんだろう。
こんな私が、イエス様のお母さんになんて、なれるんだろうか。
そういう不安や迷いを抱えたままで、それでもマリアさんは、天使の言葉を受け入れていきました。
神様が共にいる。だから大丈夫。
そう信じて、踏み出して行きました。
その一歩によってマリアさんは、想像もしないような喜びに満たされていくことになります。
皆さんにも、戸惑うことがあると思います。
思いもしないようなことが起こって、どうしていいかわからなくなることがあると思います。
そんな時、今日の話を思い出してほしいと思います。
マリアさんのクリスマスは戸惑いから始まっていった。
戸惑いの中で、それでも、神様がいるから大丈夫。
そう言って、マリアさんは踏み出していった。
そして、想像もしないような喜びに満たされていった。
そのことを心に覚えておいてほしいと思います。
戸惑いの先には、想像もしないような喜びが待っています。
神様が共にいて、その喜びへと連れていってくださる。
そう信じて、戸惑いの中も、歩んで行ってほしいと思います。
お祈りします。
・序
いよいよ12月に入りました。
クリスマスの足音が聞こえてくる、そんな季節になりましたけれども、今年もやっぱり、心が落ち着かない。
インフルエンザも流行っていますし、クリスマスに向けた準備も大丈夫だろうか。
考えると不安になりますけれども、でも、そんな時こそ、聖書の言葉は力になるなと思わされます。
この説教の準備をしながら、そう思わされました。
先週に続き、今日も、ルカによる福音書を通して、イエス様誕生の物語を、読んでいきます。
先週は「沈黙から始まるクリスマス」という話しをしましたが、今日は「戸惑いから始まるクリスマス」という話をしたいと思います。
これは、イエス・キリストの母として選ばれたマリアのクリスマス物語です。
・マリアのクリスマス
ある時、マリアのもとに天使が現れて言いました。28節29節、
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
天使が告げた最初の言葉は、「おめでとう」でした。
「おめでとう」と言われたら、続く言葉は大体「ありがとう」だと思いますが、マリアは、そうじゃありませんでした。
マリアは、戸惑い、なんのことかと考え込んでしまいました。
「おめでとう」と言われても、なんのことだか、わからなかったのです。
それで天使は、マリアに、おめでたいことの中身を、話して聞かせたわけですが、その内容は、さらにマリアを困らせました。
天使が語ったのは、男の子を身ごもるということでした。
それは、当時のマリアにはありえないことでした。
なぜなら、まだマリアは、男性と関係を持ったことがなかったからです。
だからマリアは言いました。
「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
すると天使は答えました。
「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
神にできないことは何一つない。」
聖霊が降ってきて、いと高き方の力が自分を包む。
生まれてくる子どもは、神の子。
神にできないことは何一つない。
とても力強い言葉ですが、同時に、マリアを追い込む言葉にも聞こえます。
とにかく、ありえないことが起こる。
人間の力ではなく、神の力によって、そのことが起こるということです。
自分の体にありえないことが起こる。
とても怖いことです。
加えて、当時マリアはヨセフと婚約していました。
そんな状況で身ごもったら、どうなるでしょう。
ヨセフは、マリアの子どもが神の子だって、信じて受け入れてくれるでしょうか。
浮気相手との間にできた子どもだって、そう思われて、婚約を解消される可能性もありました。
最悪の場合、姦淫の罪で訴えられ、死刑になる可能性だってありました。
これが、おめでたいことでしょうか。
天使のもたらした知らせは、マリアにとって、都合の悪いものでした。
マリアにも、思い描いていた人生があったと思います。
婚約中のヨセフと結婚し、子どもを産み、幸せな家族をつくっていく。
ささやかでも、幸せな家族になっていく。
そういうマリアの予定などお構いなしに、天使の知らせはもたらされたのです。
どんなにおめでたいことであったとしても、タイミングを間違ったら、こういうことになるわけです。
食事を済ませた後に、食事に誘われるみたいなこと、私たちにもあると思います。
学生時代、よくそんなことがありました。
今日はもう面倒だから、カップラーメンでも食べて寝ようと思って、カップラーメンを食べ終わったら、そのタイミングで、焼肉行こうって誘ってくる友達がいましたけれども、
そういうふうに、本来嬉しいことも、タイミングが違うと、喜べないことがあるわけです。
マリアの話なんてまさにそうで、天使の知らせのタイミングは、マリアにとって、最悪と言っていいほど悪いタイミングで、喜びたくても喜べない、マリアにとっては、決しておめでたいものではなかったのです。
・受け入れていったマリア
でも、マリアは、「お言葉どおり、この身に成りますように」と言って天使の言葉を受け入れていきました。
天使の知らせを受け入れるということは、自分の都合とか予定を諦めるということでもあったわけですが、それでもマリアは、天使の言葉を受け入れていきました。
戸惑いが消えたわけではなかったと思います。
この短時間で、覚悟を決めるなんてことは、できなかったでしょう。
戸惑ったまま、恐れも不安も残ったままで、マリアは、「お言葉どおり、この身に成りますように」と言って、不確かな道へ踏み出していったのです。
この一歩が、
戸惑いながら踏み出したその一歩が、クリスマスの恵みへと向かう一歩となっていきます。
この後、マリアは、エリサベトのところへ行きます。
そして、エリサベトとの出会いを通して、不安や戸惑いが少しずつ解かれ、あの有名なマリアの讃歌へとつながっていくのです。
戸惑いながらも踏み出した、その一歩によって、彼女は、その讃美を歌うものへと変えられていったのです。
・結論
私たちの人生もまた、予想外の出来事の連続です。
戸惑ったり、苛立ったり、不安になったり、そんな瞬間が日々訪れます。
それをすぐに神の恵みとして受け入れることなんて、できないと思います。
しかし、それでもなお、そこには希望があると信じて、
揺さぶられながらも受け入れて歩んでいく時、想像を超えた神のみ業が現されていくのです。
信仰の歩みというのは、確信から始まるのではありません。
戸惑いながらも踏み出した、その一歩から始まっていくのです。
「戸惑いから始まるクリスマス」を心に留めながら歩んでいきたいと思います。
恐れがあっていい。
不安があっていい。
揺れながらでもいい。
その足を支え、喜びへと導いてくださるのは、私たちではなく、神様ご自身です。
その神様に、委ねて、不完全なままで、一歩を踏み出して行きましょう。
戸惑いながらも踏み出すその一歩は、確かに、恵みへとつながっている。
そう信じて、戸惑いつつも希望をもって歩む者となっていきましょう。
お祈りします。







