2025年11月2日主日礼拝「歴史を動かす小さき人々」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、出エジプト記1章22節〜2章10節。

1:22 ファラオは全国民に命じた。「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」

2:1 レビの家の出のある男が同じレビ人の娘をめとった。

2:2 彼女は身ごもり、男の子を産んだが、その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた。

2:3 しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。

2:4 その子の姉が遠くに立って、どうなることかと様子を見ていると、

2:5 そこへ、ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りて来た。その間侍女たちは川岸を行き来していた。王女は、葦の茂みの間に籠を見つけたので、仕え女をやって取って来させた。

2:6 開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。王女はふびんに思い、「これは、きっと、ヘブライ人の子です」と言った。

2:7 そのとき、その子の姉がファラオの王女に申し出た。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。」

2:8 「そうしておくれ」と、王女が頼んだので、娘は早速その子の母を連れて来た。

2:9 王女が、「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当てはわたしが出しますから」と言ったので、母親はその子を引き取って乳を飲ませ、

2:10 その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。その子はこうして、王女の子となった。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」

「信じて歩み出す」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・序

おはようございます。

先週までヨセフ物語を読んできましたが、その続きとして、今日からモーセの物語を読んでいきます。

モーセといえば、海を分かち、十戒を受け取り、イスラエルの民をエジプトから解放した偉大な指導者として有名ですが、もちろん、最初から偉大だったわけではありません。

むしろ、小さく弱い、ごく普通の人間でした。

そんなモーセが、どのようにして偉大な指導者となっていったのか。

今日はまず、モーセの誕生の場面を読んでいきたいと思います。

・いつ、どんな時代に

モーセが生まれたのは、イスラエルの民がエジプトに移住して、350年後のことでした。

当時、イスラエルの民は、奴隷として、酷使されていました。

ヨセフが生きていた頃とは大違いです。

先週まで私たちは、ヨセフ物語を読んできました。

ヨセフ物語では、ヨセフがエジプトのNo.2に選ばれ、エジプトの民を大飢饉から救う様子が記されていました。

王は、誰よりもヨセフを信頼していましたし、民も、ヨセフのことを命の恩人と言って讃えていました。

そんなヨセフのおかげで、カナンから移住してきた家族も、異例の待遇を受けました。

最上の産物、最良の家財道具、そして望んだ土地を与えられました。

父ヤコブが亡くなった時には、まるでエジプトの王様のように、国をあげて葬られました。

そんなイスラエルの民が、どうして、奴隷のように扱われることになったのか。

1章8節を見てますと、そこには、「ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配するようになった」と書いてあります。ヨセフのことを知らないということは、イスラエルの民がなぜエジプトに住んでいるのか、どういう経緯で移住してきたのかを知らないということです。

ヨセフによって国の危機を救われたということも、イスラエルの民がその恩人の子孫であるということも知らない。

そんな人が王様になったということが、エジプトとイスラエルの民の関係を悪化させた一つの原因になっていたのです。

歴史の継承、歴史を語り継いでいくということの大切さを改めて感じます。

歴史というのは、常に、忘れられていくという危機にさらされています。

放っておけば、消えてしまいます。

誰かが誰かに伝えていかなければなりません。

嬉しい記憶や、輝かしい記憶を伝えていくことは、さほど難しくはないでしょう。

でも、なかったことにしたいと思うような失敗の記憶。

恥ずかしい記憶や不名誉な記憶、そして、罪の記憶。

そういった、いわゆる”黒歴史”というものを受け継いでいくことは、簡単ではありません。

とても勇気のいることですし、強い意志がなくてはなりません。

でも、本当は、そういった歴史こそ、受け継いでいく価値のあるものだと、私は思います。

成功よりも、失敗から学ぶことの方が多いですし、過ちを繰り返さないためには、過去の過ちから学ばなくてはいけません。

エジプトの民にとって、イスラエル人のヨセフに救われたという記憶は、おそらく不名誉な記憶だったのだと思います。

もともとエジプト人は、イスラエル人のような遊牧民を嫌い、関わりを避けていました。

そんなイスラエル人に、国のピンチを救われたというのは、受け継いでいきたいと思うような記憶ではなかったのでしょう。

それが、ヨセフを知らない王の誕生につながり、イスラエルの民を虐げることにつながっていったのです。

・王の命令

ヨセフのことを知らない新しい王は、国民に警告しました。

1章9節10節「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。 抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。」

ここには、二つの恐れがあります。

一つは、イスラエルの民が数を増し、強力になっているということ。

もう一つは、戦争が起こった時に裏切って、敵側につくのではないかということですが、これについては、何の根拠もありません。

なぜ王様がこんなことを言ったのか。

イスラエル人を排除しようという狙いがあったのか、それとも本当にイスラエル人のことが怖くなったのか。

理由は分かりませんが、この警告によって、イスラエル人に対する見方が変わったことは、間違いありません。

イスラエル人は危ない、取り締まらないと危険だ。

信頼関係は壊れ、国中に、不安と嫌悪感が広がっていきました。

そんな中、イスラエルの民は、どんな想いで、生きていたでしょうか。

友好国であったはずのエジプトの人々から、敵意を向けられるようになった。

その恐怖と不安は、どれほどのものだったのでしょうか。

王様は、イスラエルの人々を監視し、強制労働を課しました。

それでもなおイスラエルの民が増え続けると、さらに王様は「生まれた男の子を一人残らずナイル川に放り込め」と命じました。

モーセは、そんな時代に生まれたのです。

・モーセ、救われる

本来であれば、生まれてすぐ、ナイル川に放り込まれるはずだったモーセですが、母親は、3ヶ月間、モーセのことを隠していました。

もちろん、王の命令に背く行為です。

見つかったら、どんな目にあわされるかわかりません。

そんな中、母親は、モーセのことを3ヶ月間、隠しました。

3ヶ月間、赤ちゃんを、誰にも見つからないように育てることなんてできるんでしょうか。

生まれて3ヶ月といえば、3時間おきに授乳しなければならないような時期です。

そんな時期の赤ちゃんを泣かせないなんてことは、不可能です。

ぐずったり、夜泣きしたり、その度に、死の危険を感じながら、子育てをしなければならないなんて、想像もできません。

これは、モーセの家族だけに迫られた事ではありません。

エジプト中のヘブライ人の夫婦は皆、ファラオの命令に苦しめられていました。

多くの夫婦は、命令に従って、やむなく赤ちゃんをナイル川に流したんだろうと思います。

隠していたことが見つかって、捕らえられた人もいたかもしれません。

赤ちゃんを隠していると、密告する人もいたかもしれません。

そんなことを考えると、モーセを3ヶ月間、隠して育てたということが、どれだけ辛いものだったか。

赤ちゃんを育てるというだけで大変なのに、そのストレスは、計り知れません。

しかし、とうとう、隠しきれなくなったのでしょう。

母親はモーセを、ナイル河畔の葦の茂みに置きました。

するとそこに王の娘が通りがかり、モーセを見つけます。

彼女が可哀想に見つめていると、その様子を見ていたモーセの姉が「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んできましょうか」と言いました。

王の娘が「そうしておくれ」と頼んだので、モーセの姉は、自分の母、つまりモーセの母を連れてきました。

王の娘は「私に代わってこの子に乳を飲ませておやり」と言って、モーセを母親に渡しました。

こうしてモーセの命は守られ、母親のもとで、王女の養子として、育てられていきました。

・歴史を動かす小さき人々

このように、モーセの命を救ったのは女性たちでした。

エジプトの王は女性たちのことを軽んじていました。

男の子だけがナイル川に放り込まれ、女の子が生かされたのも、きっと女性は、どんなに増えても、脅威にならないと思われたからでしょう。

でも、そんな女性たちによってモーセの命は救われました。

モーセを見つけ、ふびんに思い、養子として受け入れた王女。

その王女に、絶妙なタイミングで乳母を勧めたモーセの姉。

モーセの母親も、ただ単にモーセを、ナイル河のほとりに置いたわけではありません。

パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、その中にモーセを入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置きました。

もしかしたら、王女が水浴びに来るということも知っていて、そこに置いたのかもしれません。

確かなことはわかりませんが、しかし、モーセの母親が、モーセの命を諦めたわけではなかったということは確かでしょう。

そんな女性たちの想いや行動によって、モーセは救われました。

この小さな命の救いが、やがて、イスラエルの民の解放という、歴史を動かすほどの大きな出来事へと繋がっていきます。

小さな命を守った、小さき人々の行動が、歴史を動かすほどの大きな出来事を生み出していった。

このことを今日は、心に留めたいと思います。

聖書において神が用いられる人々は、皆、このような小さき人々です。

今日の箇所に登場する女性たちもそうですし、モーセもまたそうでした。

モーセはこの後、王女の養子として成長していきますが、ある出来事をきっかけに、全てを失うことになります。

そのことについてはまた今度お話ししますが、そんなモーセを用いて、神様は、イスラエルを解放されるのです。

なぜ神は、そのような小さき人々を用いられるのか。

それは、小さき者にしか見えないこと、わからないことがあるからだと思います。

今日の箇所で言えば、ナイル川のほとりに置かれた小さい赤ちゃん。

この小さき命の尊さは、大きな者にはわかりません。

小さき命の泣き声は、大きな者には聞こえません。

どんなに赤ちゃんが泣き叫んでも、どんなにその家族が悲しみの叫びを上げたとしても、エジプトの王様には聞こえません。

小さき人々だからこそ、その小さい命の尊さに気づき、泣き声に心を痛めることができたのだと思います。

だからこそ、神は、そのような人々を選び、用いられるのだと思います。

私たちもまた、その神によって召された一人一人として、小さき者であることを、覚えたいと思います。

そして、小さき者であるが故に聞こえる声、見ることのできる輝きを、大事にしたいと思います。

神の御業は、世界の片隅から、小さき者から始まっていきます。

お祈りします。

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