聖書をお読みいたします。
聖書箇所は、創世記39章1節〜23節。
41:37 ファラオと家来たちは皆、ヨセフの言葉に感心した。
41:38 ファラオは家来たちに、「このように神の霊が宿っている人はほかにあるだろうか」と言い、
41:39 ヨセフの方を向いてファラオは言った。「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにはいないであろう。
41:40 お前をわが宮廷の責任者とする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ。」
41:41 ファラオはヨセフに向かって、「見よ、わたしは今、お前をエジプト全国の上に立てる」と言い、
41:42 印章のついた指輪を自分の指からはずしてヨセフの指にはめ、亜麻布の衣服を着せ、金の首飾りをヨセフの首にかけた。
41:43 ヨセフを王の第二の車に乗せると、人々はヨセフの前で、「アブレク(敬礼)」と叫んだ。ファラオはこうして、ヨセフをエジプト全国の上に立て、
41:44 ヨセフに言った。「わたしはファラオである。お前の許しなしには、このエジプト全国で、だれも、手足を上げてはならない。」
41:45 ファラオは更に、ヨセフにツァフェナト・パネアという名を与え、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトを妻として与えた。ヨセフの威光はこうして、エジプ トの国にあまねく及んだ。
41:46 ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立ったとき三十歳であった。ヨセフはファラオの前をたって、エジプト全国を巡回した。
41:47 豊作の七年の間、大地は豊かな実りに満ち溢れた。
41:48 ヨセフはその七年の間に、エジプトの国中の食糧をできるかぎり集め、その食糧を町々に蓄えさせた。町の周囲の畑にできた食糧を、その町の中に蓄えさせたの である。
41:49 ヨセフは、海辺の砂ほども多くの穀物を蓄え、ついに量りきれなくなったので、量るのをやめた。
41:50 飢饉の年がやって来る前に、ヨセフに二人の息子が生まれた。この子供を産んだのは、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトである。
41:51 ヨセフは長男をマナセ(忘れさせる)と名付けて言った。「神が、わたしの苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった。」
41:52 また、次男をエフライム(増やす)と名付けて言った。「神は、悩みの地で、わたしに子孫を増やしてくださった。」
41:53 エジプトの国に七年間の大豊作が終わると、
41:54 ヨセフが言ったとおり、七年の飢饉が始まった。その飢饉はすべての国々を襲ったが、エジプトには、全国どこにでも食物があった。
41:55 やがて、エジプト全国にも飢饉が広がり、民がファラオに食物を叫び求めた。ファラオはすべてのエジプト人に、「ヨセフのもとに行って、ヨセフの言うとおり にせよ」と命じた。
41:56 飢饉は世界各地に及んだ。ヨセフはすべての穀倉を開いてエジプト人に穀物を売ったが、エジプトの国の飢饉は激しくなっていった。
41:57 また、世界各地の人々も、穀物を買いにエジプトのヨセフのもとにやって来るようになった。世界各地の飢饉も激しくなったからである。
「決して無駄に終わらない」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。
・子どもメッセージ
おはようございます。
今日も最初に子どもメッセージからしたいと思いますが、今、礼拝では、ヨセフ物語を続けて読んでいます。
今日で4回目になりますが、これまでの話を覚えているでしょうか。
1回目は、ヨセフがお兄さんたちから嫌われるという話。
2回目は、そのお兄さんたちによって罠にかけられ、商人に売られてしまうというお話でした。
その後、ヨセフはエジプトに連れて行かれ、王様の家来をしていたポティファルという人に売られてしまいます。
そして、奴隷として働かされるんですが、そんなヨセフに、人生を変える、大きな出来事が起こります。
今日の箇所にはその様子が記されています。
ヨセフに何があったのか、紙芝居で読んでみたいと思います。
タイトルは、1、「ヨセフ、総理大臣になる」。
2、兄たちに憎まれ、商人に売られてしまったヨセフは、
3、エジプトに連れて行かれ、王の家来をしていたポティファルの奴隷になりました。
ヨセフはそこで、一生懸命働きました。
4、そんなある日、エジプトの王様が夢を見ました。とても不思議な夢でした。
川から七頭の太った牛が上がってきて美味しそうに草を食べていると、後から七頭の痩せた牛が上がってきて、まるまると太った牛たちを飲み込んでしまいました。
「一体なんだったんだ、今の夢は…。」
5、王様は、また夢を見ました。
今度は、よく実った麦の穂が7つと、しなびた麦の穂が7つでてきました。
見ていると、しなびた麦の穂が、よく実った麦の穂を、飲み込んでしましました。
「今度はなんだ。なんでこんな夢ばかり見るんだ。」
気になってしょうがない王様は、夢の意味を解き明かすようにと、国中の学者たちを集めました。
しかし、誰一人、説明できる人はいませんでした。
最後に呼ばれたのは、ヨセフでした。
ヨセフは以前、人の夢を解き明かしたことがありました。
そこで王様は、自分の見た夢を、ヨセフに話しました。
するとヨセフは言いました。
「王様、それは、この国に、7年の大豊作と、7年の大飢饉がやってくるということですよ。」
ヨセフは、見事に夢を解き明かしました。
王様は、とても感心し、エジプトをヨセフに任せることに決めました。
6、ヨセフは、大豊作の7年のうちに、国中から食べ物を集め、倉庫にしまっておきました。
7、すると7年後、ヨセフの言った通り、ひどい飢饉が始まりました。
雨が降らず、畑が乾いて、麦も野菜も取れません。
でも、大丈夫。この時のためにしまっておいた食べ物がたくさんあります。
ヨセフは、その食べ物をみんなに分けました。
こうしてエジプトは、ヨセフのおかげで、救われました。
これが、今日のお話です。
なんでヨセフの人生が変わったか、わかったでしょうか。
きっかけは、王様の夢を解き明かしたことでしたが、それだけじゃありません。
お兄さんたちに裏切られたこと、エジプトに連れてこられたこと、奴隷にされたこと。
そういう辛い出来事の一つ一つを神様は見ておられました。
そして、そのままじゃ終わらせないって導いてくださった。
それによって、ヨセフは、エジプトを救う人になっていったんです。
生きていれば、私たちにも、辛いことや苦しいことがあると思います。
でも、それで終わらせない神様がいる。
神様は、辛いことや苦しいことの後に、生きていて良かったと思える日を用意してくださっている。
ヨセフの話を通して、そのことを今日は、覚えておきたいと思います。
お祈りします。
・序
先日テレビを見ていましたら、中高生の将来なりたい職業ランキングというのがやっていました。
男女で分かれていたんですが、男女とも、第一位は公務員でした。
なにかこう世相をあらわしているような、そんな感じがしましたけれども、
それを見ながらですね、自分は何になりたかったんだろうと考えさせられました。
私が将来なりたかった職業は、教師でした。
特に夜間中学の先生になりたいと思っていました。
きっかけは、山田洋次監督の「学校」という映画なんですが、その映画が好きで、西田敏行さん演じる教師の姿に、憧れを持っていました。
それで、教育大に進みたいと思っていたんですが、気づいたら理系に進んでいまして、工業大学に進学していました。
それで今度は、発展途上国の支援に関わるような、そんな仕事がしたいと思うようになったんですが、
これも、途中で方向転換させられまして、気づいたら神学部に進んでいまして、牧師になっておりました。
まさか将来、自分が、そんなことになるなんて、思ってもいませんでした。
人によっては、将来の夢を目指して、真っ直ぐ一本道の人生を歩んでいく人もいるかもしれませんが、
挫折したり、変えられたりしながら、思ってもいないところに辿り着くという人が多いんじゃないでしょうか。
ヨセフもそうでした。
ヨセフも、思い通りにいかない人生を歩んだ一人でした。
兄たちに裏切られ、エジプトに連れて行かれ、奴隷になり、あらぬ罪を着せられ、囚人にまで身を落としてしまう。
まさかそんなことになるなんて、思ってもいなかったと思います。
でも、そんな思い通りにならない人生の中で、彼は、どんな道のりも、決して無駄に終わらない。
その一歩一歩を益としてくださる神様と出会わされていきました。
・
子どもメッセージで話しました通り、今日読んでおります創世記41章には、ヨセフの人生を大きく変える出来事が記されています。
最初彼は、囚人でした。
彼を奴隷として買い取ったポティファルの妻に陥れられ、あらぬ罪を着せられ、牢屋に入れられていました。
でも、そこから彼は、エジプトのNo.2に任命されます。
きっかけは、夢解きでした。
先ほどみました通り、ヨセフは、ファラオが思い悩んでいた夢の話を聞いて、それが7年の大豊作と7年の大飢饉を暗示していると解き明かしました。
これにファラオは感心して、「このように神の霊が宿っている人はほかにあるだろうか」(38節)と言って、彼をNo.2に任命したわけですが、
ヨセフは、どんな気持ちだったんでしょうか。
No.2になって、嬉しかったのでしょうか。
エジプトの命運を任されるなんて、そんな大役、荷が重かったんじゃないでしょうか。
そういったヨセフの心境は、何も書いてないのでわかりませんが、決して、手放しで喜べるような、そんな状況ではなかったと思います。
・
ファラオの期待を一身に受けながら、ヨセフは、任された務めにあたっていきます。
彼に与えられた務めは、訪れるであろう飢饉に備えて、食糧を蓄えさせることでした。
それは、決して簡単なことではなかったと思います。
有り余る食料を前にして、贅沢になるのが世の常だからです。
ヨセフは、エジプト全土を巡回し、飢饉に備え、食糧を蓄えなさいと指示しました。
でも、人々はどう思ったでしょう。
こんなに実りがあるのに、なんで食べちゃダメなんだ。
飢饉なんて、本当にくるんだろうか。
そう思った人は、少なくなかったと思います。
飢饉が来るという根拠は、ファラオの見た夢と、ヨセフの解釈だけでした。
そんな曖昧なものを信じて大丈夫だろうか。
人々は不安だったと思います。
でも、ヨセフは、着実にことを成していきました。
迷っている様子もありません。
そこには、神様に対する信頼があったんだと思います。
神様がなんとかしてくれる。
神様が導いてくれる。
それだけを信じて、務めにあたっていったんだと思います。
・
そんな中、ヨセフに二人の息子が与えられます。
長男には、マナセと名付けました。
「神が、わたしの苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった。」
そう思って、忘れさせるという意味のマナセと名付けました。
次男には、エフライムと名づけました。
「神は、悩みの地で、わたしに子孫を増やしてくださった。」
そう思って、増やすという意味のエフライムと名付けました。
これまで、あまり語られていませんでしたけれども、やっぱりヨセフは、苦しんでいたんだということがわかります。
兄たちに裏切られ、奴隷として売られ、濡れ衣を着せられて牢屋に入れられた。
その苦しみの数々を、神が「忘れさせ」、新しい祝福を「増やして」くださった。
神の恵みと喜びを、ヨセフは、息子たちの名前に刻みました。
これまでの苦労が報われるような、そんな瞬間だったんだと思います。
・
ヨセフの歩みを振り返ると、彼が歩んだどの道も、決して無駄に終わることはなかったと思わされます。
兄たちと共に過ごした日々も、ポティファルのもとで奴隷として働かされた日々も、監獄で過ごした日々も、決して無駄ではなかった。
その思い出は、ヨセフにとって、忘れたいと思うような日々だったかもしれません。
でも、その日々を通して、得たもの。
夢を解くという賜物もそうですし、ポティファルの家で学んだ財産管理も、監獄で任された囚人たちの管理も、そのすべてが、後にエジプト全土を治める働きの土台となっていきました。
人の目には失敗とか、不幸に見える事柄も、神は決して無駄にされない。
失敗も涙も悔しさも、益としてくださるのが神様なんだ。
それが、ヨセフの人生を通して語られているメッセージだと思います。
ちょっと、変な言い方になるかもしれませんが、昨日、車を運転していましたら、カーナビのテレビで、ポツンと一軒家という番組の再放送が流れていました。
音だけしか聞けなかったんですが、亡きお父さんからハスカップ畑を引き継いだご夫婦の話でした。
その中で、奥さんの方がですね、「ハスカップにもいろんな品種があって、甘いのもあれば、苦いのもある。
でも、捨てることはありません。全部使えます。
甘いのは生でも食べれますし、苦いのはドレッシングとか、塩漬けにして食べると美味しいんです」っておっしゃっていたんです。
その言葉を聞いて私は、今日の箇所と、とてもリンクするように思いました。
甘いところだけじゃなく、苦いところも無駄にしない。
そんなご夫婦の姿が、神様と重なって感じました。
私たちの人生にも、甘いところがあれば、苦いところもあると思います。
でも、全て無駄にならない。
全て無駄にさせない、そんな神様がおられる。
使徒パウロは、「神を愛する者たちには、万事が益となるように神が共に働く」(ローマ8:28)と書き残しています。
それはヨセフの生涯においても、私たちの人生においても真実であると思います。
人生は、良いことばかりではありません。
失敗や挫折、不条理なこともたくさん起こります。
でも、どんなことも、無駄にならない。
どんなことも、無駄にさせない神様がいる。
万事が益となるように働いてくださる神様がいる。
それが、ヨセフの人生を通して、語られているメッセージであると思います。
そのメッセージを、信じて生きる者となっていきたいと思います。
・
ヨセフの物語は、さらに続いていきます。
ヨセフがしたことは、エジプトの人々だけでなく、その周辺諸国の人々をも救っていきます。
そして、その出来事と出会の中で、ヨセフ自身も救われていきます。
万事が益となるように働いてくださる。
その神様の御業を、共に、見つめてまいりましょう。
お祈りします。







