2024年6月23日主日礼拝メッセージ「天の故郷へ」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、申命記34章1節〜8節。

新共同訳旧約聖書338ページ〜339ページです。

モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。ギレアドからダンまで、ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまでである。主はモーセに言われた。「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間、モーセを悼んで泣き、モーセのために喪に服して、その期間は終わった。

「天の故郷へ」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・佐藤徹丞兄の召天

先ほど、司式者のお祈りにもありましたように、先週の木曜日、6月20日未明に、佐藤徹丞兄弟が天に召されました。

享年89歳でした。

20日の午前9時半ごろ、次女の育子さんから電話があり、朝起きてこないので、様子を見にいったところ、亡くなっていたということを伺いました。

徹丞さんのご意向により、葬儀は、翌21日(金)13時~、私が司式をさせていただいて、ご家族近親で執り行われました。

これは、その時の写真です。

ご家族の了承をいただきましたので、ご紹介したいと思います。

葬儀は、幸葬儀社の斎場で行われました。

先週の日曜日にも、叔子さんと共に、礼拝に来られておりましたので、信じられないと思います。

亡くなる前日の19日水曜日も、いつもと変わらず過ごされ、就寝される時も、いつもと変わらないご様子だったそうです。

そして、翌朝、起きてこないので、様子を見にいったところ、すでに亡くなっていたということで、本当に眠りながら息を引き取っていかれたのではないかということでした。

最初にご遺体と面会した時も、本当に、眠っておられるような安らかなお顔でした。

ご家族にとっても、本当に突然のことで、お別れを言う間もなく、旅立っていかれたということで、叔子さんは、「自分の良いように行ってしまった」と、そうおっしゃっていました。

ご家族のお許しをいただきましたので、今日は、佐藤徹丞兄弟のことを思いながら、礼拝メッセージをさせていただきたいと思います。

・佐藤兄個人消息

礼拝に参加の皆さんには、週報と合わせて、徹丞さんの略歴を、配らせていただきました。

それをご覧いただきながら、聞いていただけたらと思います。

佐藤徹丞さんは、1935年1月28日、父春人さん、母ハルエさんのご長男として、大分県大分市に、お生まれになられました。

教会に初めて来られたのは、1955年8月、ちょうど20歳の頃でした。

葬儀の準備をしておりましたら、古い資料の中に、徹丞さんのバプテスマ志願書というのが出てきまして、

これがその写真ですけれども、

この中に、「教会最初の出席年月日」という欄がありまして、そこに、昭和30年、1955年8月10日と書いてありました。

今から約70年前のことです。

きっかけは、拾った一枚のチラシだったそうです。

そのチラシに導かれ、やってきた教会が、この大分教会でした。

そして、教会に来て1ヶ月も経たない1955年9月4日、北原末男牧師より、バプテスマを受けられました。

徹丞さんは、その後、牧師になるべく、献身の想いを与えられ、バプテスマを受けてから3年後の1958年4月より、西南学院大学へ進まれます。

いつか、献身に至る話を聞かせていただいたことがあります。

当時の大分教会は、青年会がとても賑やかで、ウォーカー宣教師を中心に、とても楽しい交わりを経験されたそうです。

中でも、クリスマスの夜に行われた、「闇鍋パーティー」の話を、楽しそうにしておられました。

徹丞さんだけでなく、同じ時期に、同世代の青年の中から、4名の方々が献身し、牧師となられています。

吉髙國彦さんや、大塚九三子さんもそうです。

その様子を思う時に、単に、楽しい交わりというだけでなく、聖書の言葉を中心にした信仰の交わりが、そこにあったのだと思わされます。

これも葬儀の準備をしている時に見つかったものですけれども、徹丞さんが献身される時に書かれた、献身の決意書が、教会の書庫から見つかりまして、読ませていただきました。

そこには、繰り返し、「弱い私」とか「弱き僕」という言葉が書かれていました。

徹丞さんが、ご自分のどこに、弱さを覚えておられたのかは、わかりません。

でも、その弱い自分を、神様が必要としてくださっている。

用いようとしてくださっている。

そのことに対する喜び、感謝の言葉が綴られていました。

献身された徹丞さんは、まず英文科で学ばれ、1962年に卒業。

その後、神学科に進まれ、さらにその後、神学専攻科でも学ばれ、1965年に卒業されます。

そして、その年の4月より、現在の鳥栖バプテスト教会であります、西南学院教会鳥栖伝道所の牧師として、働きを始められます。

ちょうどこの時期に、叔子さんと結婚され、ご夫婦、二人三脚で、牧会の歩みを始められました。

1970年には、和歌山教会牧師に移られ、附属幼稚園であります、和歌山ひかり幼稚園の園長にも就任されています。

15年間、和歌山で働かれ、その後、郷里伝道の想いを与えられ、大分に帰ってこられます。

そして、1986年、現在の別府国際バプテスト教会の前身であります、別府伝道所を開設、初代の牧師となられます。

5年間、伝道所の牧師をされた後、1991年より広島県にあります大竹キリスト教会で牧師をされます。

9年間、牧師として働かれ、2000年に辞任、郷里の大分へ帰ってこられました。

私は、2014年より大分教会で牧師をさせていただいておりますが、それから今日に至るまで、約10年間、共に礼拝を献げ、交わりをいただいてきました。

私のつれあいである光の父は、奥村敏夫と言いまして、今年4月から佐賀教会で牧師をしておりますが、かつて、大阪の平野教会で牧師をしておりました。

その時に、和歌山で牧師をされていた佐藤先生ご夫妻と、良い交わりをいただいて、とてもお世話になったと聞いております。

そのような繋がりもあって、私が大分に赴任してから、妻が体調を崩したりする度に、差し入れを持って、叔子さんと一緒に、牧師館を訪ねてくださいました。

私が知っている徹丞さんは、とても静かで、ご自分から話されることはほとんどない方でしたが、私の妻や子どもたちのことを、いつも気にかけ、休んだりする時には、いつも、声をかけてくださいました。

先週の日曜日も、教会に来られておりまして、ちょうど父の日ということで、うちの次男のみつからプレゼントを受け取って、喜んでおられた姿を思い出します。

当然、今日のこの礼拝にもこられると、そう思っておりました。

皆さんもそうだと思いますが、私にとっても、あまりに突然のことで、未だに実感が湧いてこないような、そんな状況です。

・モーセの最期に心を寄せていた徹丞さん

葬儀の準備をしながら、一冊の本が、目に留まりました。

「光のある間に」という、徹丞さんがされた、説教の要約をまとめた本です。

私自身、説教を準備する時などに、時々、読ませていただいてきました。

300以上の説教の要約が収められておりますが、その最後に、永眠者記念礼拝(私たちの教会でいう召天者記念礼拝)でされたメッセージの要約が、収められていました。

その聖書の箇所が、先ほど読んでいただきました、申命記34章1節~8節です。

この箇所は、十戒で有名な、あのモーセが、天に召される場面です。

その場面から、徹丞さんは、次のようなメッセージを残しておられます。

「モーセの死の迎え方は、読む者に感動を与える。指導者として、エジプトでの苦しい奴隷生活からイスラエルの民を救い出し、様々な困難と戦い、40年の荒野の試練も経て、やっと夢にまで見た約束の地カナンを目の前にした時、彼は神から、「これをあなたに見せるが、・・・そこへ渡って行くことはできない」と言われている。彼はその時、百歳を過ぎていたが、目も気力も衰えてはいなかった。しかし、彼は、神の言葉に従って、肉親や同胞を約束の地カナンに送った後、異教の地モアブで死んでいる。そして誰も彼の墓を知る者はいないという。人間的には、その時彼は断腸の思いであっただろうと思うが、彼のそれまでの信仰から察すれば、彼は与えられた命も、使命も、十分に生き尽くしてきたという満ち足りたものがあったに違いない。私たちもまた、死を迎えた時、そのような人生でありたいものだ。」

・モーセの最期・・・

徹丞さんもおっしゃっていますように、モーセの生涯は、苦難の連続でした。

モーセは、エジプトの地で、奴隷として虐げられていたイスラエルの民を解放するために、神様に選ばれました。

それから、ファラオとの戦いがあり、エジプトを脱出した後も、厳しい荒れ野の旅路がありました。

その旅路の中で、民は、絶えず、不平不満を訴えました。

「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。荒れ野で飢え死にするよりも、エジプトで死んだ方がマシだった。」

約束の地カナンを目前にした時も、「どうして我々をこの土地に連れてきたのか。剣で殺されるくらいなら、エジプトで死ぬか、荒れ野で死ぬ方がマシだった。」そう言って、約束の地カナンに入ることを拒みました。

そのせいで、40年間、荒れ野を彷徨うことになるのですが、

そんなふうに、モーセは、イスラエルの民と神様との間に立たされながら、引き裂かられるような日々を歩んでおりました。

そして、とうとう、念願の約束の地カナンに足を踏み入れるまできた。

そこで、神様に言われるわけです。

「これをあなたに見せるが、・・・そこへ渡って行くことはできない。」

・どんな思いで?

神様は、モーセを、ネボ山の山頂に導き、約束の地カナンの景色を見せられました。

「ギレアドからダンまで、ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまで」

40年間荒れ野を彷徨った末に、モーセは、とうとう約束の地カナンを目にすることができた。

でも、入っていくことはできないと、言われるのです。

どんな想いで、モーセは、カナンの地を見つめていたのでしょうか。

徹丞さんが言われるとおり、人間的に見るならば、とても耐え難い。

「なぜ、カナンの地に入れないのか。

こんなにも神様に従ってきたのに、なぜ、約束の地に渡ることを、拒まれなければならないのか。」

疑問や、悔しさ、悲しさでいっぱいになるのが、普通だろうと思います。

でも、そうじゃなかったのです。

今日の箇所の直前、33章には、モーセが、生涯を終えるに先立って、イスラエルの民に残した最後の言葉が記されています。

それは、祝福の言葉だったと記されています。

恨み言は一切ありません。

むしろ、神の伴いと守りを信じるようにと、語られています。

「イスラエルよ、あなたはいかに幸いなことか。

あなたのように主に救われた民があろうか。

主はあなたを助ける盾

剣が襲う時のあなたの力。

敵はあなたに屈し

あなたは彼らの背を踏みつける。」

・なぜ?

カナンの地に入って行ってはならないと言われる神様を、なぜ、このように讃えることができたのでしょうか。

なぜ、このように満たされた想いで、最期の時を迎えることができたのでしょうか。

それは、徹丞さんの言うとおり、「十分に生き尽くした」という満足感もあったかもしれませんが、同時に、モーセが目指していた終着点は、カナンではなく、天の故郷だった。

いつか、神様のおられる天の故郷へと、召される時が来る。

その約束を、信じていた。

だからこそ、カナンの地に入れずとも、満足して、最期の時を迎えることができたのではないでしょうか。

・ヘブライ人への手紙・・・天の故郷を熱望していた

人生の終着点を、どこにおくか。

どこを目指して生きるのか。

それによって、死に対する向き合い方も、変わってくるのではないでしょうか。

聖書は、私たちの終着点が、神のみもとにあることを教えています。

今日、礼拝の最初に読んでいただきました、ヘブライ人への手紙11章13節~16節には、信仰を抱いて死んだ、信仰の先達たちのことが記されています。

モーセもその1人ですが、その人々は、この世のどこにも勝る故郷。

天の故郷を熱望していたと記されています。

モーセ同様、ここに語られています人々は、その生涯において、約束されたものを手にすることができなかった人々ですが、天にこそ、神様のみもとにこそ、帰るべき故郷がある。

自分が自分でいられる場所。

ありのままで、安心して、いられる場所がある。そう信じていました。

そして、そのような信仰に対して、聖書は、「神様が、彼らの神と呼ばれることを恥となさらない。

神は、彼らのために都を準備されていたからだ」と語っています。

これはつまり、神様が、信仰を抱いて死んでいった人々を誇りに思っておられるということです。

天に故郷が用意されていることを信じる信仰を喜んでおられる。

翻ってそれは、彼らの信仰が間違いではないということです。

彼らは、自分たちに都合の良い妄想をしていたのではなかった。

天には、確かに、私たちのための場所がある。

神様は、その場所を、準備しておられる。

そう聖書は、教えているのです。

天の故郷がある。

神様が、私たちの終着点を、整えてくださっている。

そして、その場所へと、私たちを導いてくださる。

私たちが、自分の力でたどり着くのではありません。

神様が、その場所に、私たちを、持ち運んでくださる。

徹丞さんも、そう信じて、召されて行ったのではないでしょうか。

徹丞さんは、最後の最後まで、礼拝に参加し、信仰者として生きられました。

その歩みは、きっと、天の故郷を目指す者であったでしょう。

今、徹丞さんは、まさにその天の故郷に帰り、平安に満たされていると信じます。

私たちもまた、天の故郷を目指して、人生の旅路を、歩む者でありたいと思います。

徹丞兄弟の旅の終わり、天の故郷に召されたことを信じて、一言お祈りいたします。

・祈り

命の源である主なる神様

み言葉を感謝いたします。

佐藤徹丞兄弟の人生の旅路を、ここまで導き、支えてくださったことを、感謝いたします。

また、徹丞兄弟は、その人生をあなたに献げ、牧師として、働いてこられました。

徹丞兄弟を通して、たくさんのメッセージを語り、残してくださったことを覚えて、心から感謝いたします。

どうぞ、その、徹丞兄弟の生涯を通して語られたメッセージを、私たちも、心に留めながら、歩んでいくことができますように。

人生の旅路において、どんな困難があっても、

望んだものを手にすることができなかったとしても、

旅の終わりに、私たちの想いを遥かに超えた平安が用意されている。

天の故郷が用意されている。

そのことを、遥かに望みながら、地上での旅路を、歩んでいくことができますように。

ここに集いました、一人一人の旅路をも、どうぞあなたが見守り、支えてください。

主イエス・キリストの御名によって、お祈りいたします。

アーメン

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