2024年12月8日アドベント第二主日礼拝「あなたは決してひとりじゃない」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、マタイによる福音書1章18節〜21節。

新共同訳新約聖書1ページ〜2ページです。

1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。

1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。

1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

「あなたは決してひとりじゃない」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

今日は、一冊の絵本を、読みたいと思います。

1、「それしかないわけないでしょう」っていう絵本です。

「それしかないわけないでしょう」

2、妹「うーん雨だ。お父さんは今日は晴れるって、言ってたけど。

大人の言うことは結構外れるな。

あ、お兄ちゃん、おかえりー。」

兄「ただいまー。ねえねえ、知ってる?未来は大変なだぜ。」

妹「ん?」

3、妹「みらいって何?」

兄「明日とか、1年後とか、10年後とか、この先のことだよ。

未来の世界は、大変なことばっかりなんだってさ。

人が増えすぎて、食べ物がなくなったり。

病気がはやったり、戦争が起きたり、宇宙人が攻めてきたり、地球が壊れたりするんだって。

僕たちが大人になる頃は大変なことしかないんだってさ。」

妹「えー!!ほんと!?そーなの!?」

4、妹「ガーン。おばあちゃん・・・。未来が大変なの・・・。」

おばあちゃん「なになに、どうしたの!?」

妹「お兄ちゃんがね、こんなふうに言ってたの・・・。」

5、おばあちゃん「だーいじょうぶよ!

未来がどうなるかなんて、誰にもわからないんだから!

大変なことだけじゃなくて、楽しいことや面白いことも、たーくさんあるんだから!

大人はすぐに「未来はきっとこうなる」とか、「だからこうするしかない」とか、言うの。

でも、たいてい当たらないのよ。」

妹「おとうさんも、今日は晴れるって言ってたけど、雨だった。」

おばあちゃん「ねー!そんなもんなのよ。

あと、大人はよく「これとこれ、どっちにする?」とかいうけれど、

6、どっちもなんか違うなーって思った時は、

こっちにたくさんあるじゃない!あたしはこれ!

新しいものを自分で見つけちゃえばいいのよ!

未来はたーくさんあるんだから!」

妹「そっか。二つとか三つしかないわけないもんね。」

おばあちゃん「そうよ!それしかないわけないじゃない!」

7、妹「お兄ちゃん!!

大変な未来しかないわけないでしょう。いろんな未来があるでしょう。たとえば・・・。

毎日ウインナーの未来。

一日中パジャマでもいい未来。

毎週土曜日は、クリスマスの未来。

8、ロボットが抱っこして、どこでも連れて行ってくれる未来。

落としたイチゴをギリギリで拾ってくれる未来。

宿題を代わりにやってくれる未来。

自分の部屋がスイッチ一つで無重力になる未来。」

兄「あはははは!イチゴを拾ってくれる未来って、いいね!」

妹「ね?いいでしょう!」

9、妹「それしかないわけないでしょうって、面白いな。

そう言えば、好きか嫌いかとか、良いか悪いかとか、敵か味方かとか、よく聞かれたりするけれど、

それだって、どっちかしかないわけないわよねー。

好きでも嫌いでもない、すらいとかあってもいいわよねー。

10、おばあちゃん!私はね、大人になったら、未来を考えるお仕事をするわ!」

おばあちゃん「あら素敵!いいわね!

・・・でも、その頃にはもう、おばあちゃんは天国に行っちゃってるかなー。」

妹「ちょっと!おばあちゃん!それしかないわけないでしょう!

明日突然、すごい元気になって、世界旅行に出かけちゃうかも知れないし、

たとえ天国にいっちゃっても、次の日、なぜかクマのぬいぐるみになって、帰ってくるかも知れないし、

11、300年経っても、元気かも知れないじゃない!」

おばあちゃん「あははは!そうよね!ほんとよね!天国しかないわけないわよね!」

妹「未来っていいでしょう!」

おばあちゃん「未来っていいわね!」

「それしかないわけないでしょう」っていう絵本でした。

どうだった?面白かった?

「それしかないわけないでしょう」。

この言葉は、クリスマスに、神様がみんなに伝えたいメッセージでもあります。

ピンチの時、もうダメだって思う時、神様は、見えないけれど一緒にいて、「それしかないわけないでしょう。私が一緒にいるでしょう。あなたは決して一人じゃない。私がいるし、仲間になってくれる人が、きっといる。」そう言ってくださる。

悩んだり、もうダメだって思う時に、ぜひ、思い出して欲しい。

「それしかないわけないでしょう」って神様が言ってるってこと。

みんなは決して一人じゃない。神様がいるし、仲間になってくれる人が、きっといる。

少なくとも、教会は、みんなの仲間です。

そのことを、ぜひ、今日は、覚えておいて欲しいと思います。

短く、お祈りします。

できるお友達は、手を合わせて、目をつぶって、聞いていてください。

・序

先週から12月に入りました。

いよいよ、クリスマスが近づいてきましたけれども、皆さんにとって、クリスマスは、どんな日でしょうか。

嬉しい日、楽しい日、忙しい日、中には、寂しい日という人もいるかもしれません。

人によって、様々なクリスマスがあると思います。

実は、聖書が語るクリスマスも、一つではありません。

まるで分担したかのように、福音書によって、様々な物語が語られています。

中でも、今日読んでいますマタイによる福音書には、イエス様の父となったヨセフの物語が記されています。

今日は、このヨセフの物語を通して、メッセージを聞いていきたいと思います。

ヨセフにとってのクリスマスとは、一体どんなものだったのでしょうか。

ヨセフの視点に立って、クリスマスの出来事を見つめていきたいと思います。

・ヨセフの戸惑い

ヨセフの物語は、婚約者であったマリアの妊娠がわかったところから始まります。

それは、ヨセフにとって、受け入れ難いことでした。

なぜなら、お腹の子は、ヨセフの子ではなかったからです。

聖書には、「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」と記されています。

「二人が一緒になる前に」というのは、「まだ関係を持つ前に」ということです。

まだ、関係を持ったこともないのに、マリアがみごもってしまった。

ヨセフは、さぞ戸惑ったことでしょう。

「お腹の子は、一体誰の子なのか。少なくとも、自分の子ではない。マリアは、自分を裏切ったのか。」

混乱し、困惑し、悲しみや怒りも湧いてきたと思います。

二人は婚約中でした。

きっと、思い描いていた計画があったはずです。

婚約し、結婚し、そして子どもが生まれる。

生まれたらこんな名前にしよう。こんなふうに育てよう。二人で、話し合っていたこともあったかもしれません。

ヨセフは大工だったようですから、「新しい家族が住む家は、こんな家がいいな」なんてことも考えていたかもしれない。

きっと、結婚に向けて、幸せな家族生活を、思い描いていたことでしょう。

そんな彼の計画、思い描いていた幸せなストーリーが、ガラガラと音を立てて崩れていく。

「どうしてこんなことになったのか。なぜ、マリアは、みごもっているんだ。」

ヨセフは、一人、思い悩みます。

そして、ひそかに、離縁することを決心するのです。

・ヨセフの優しさ

「ひそかに」というのは、マリアのためでした。

もし、このことが、表沙汰になったら、マリアは、姦淫の罪で、死刑にされる可能性があったからです。

ユダヤの慣習で婚約は、結婚とほぼ同じことでした。

夫婦として、住民登録をすることも可能でしたし、別れるためには、離縁状が必要でした。

そのような状況で、マリアがヨセフ以外の子をみごもったとなれば、姦淫の罪にみなされる可能性があったわけです。

ユダヤの律法で、姦淫は、死をもって償わなければならないほど、重い罪でした。

マリアの妊娠が公になれば、姦淫の罪で、死刑にされてしまうかもしれない。

それを防ぐために、ヨセフは、誰にも言わず、「ひそかに」離縁することを決心したのです。

離縁した後に、子どもをみごもったということであれば、姦淫の罪にはなりませんので、そうすることで、マリアの命を守ろうと思ったのでしょう。

それが、ヨセフの、マリアに対する、精一杯の愛だったのです。

このヨセフの愛情は、決して、軽んじられるものではありません。

ヨセフは、マリアが、姦淫の罪を犯したと思っていました。

婚約者である自分を裏切って、誰の子かもわからない子どもをみごもった。

しかも、それを、聖霊によってみごもったなんて、言い方をする。許せない。

そんな感情もあったかもしれません。

でも、彼はその怒りを、ぐっと堪えて、表沙汰にせず、ひそかに縁を切ろうと決心するのです。

それは、マリアに対する精一杯の愛であったと思います。

でも、同時に、その決断は、彼の愛の限界でもありました。

・それしかない

確かに、ヨセフの決断によって、姦淫の罪を免れることはできたかもしれません。

でも、そのあとは、どうなるでしょうか。

当時、男性中心のユダヤ教社会で、女性が一人で生きていくというのは、大変なことでした。

まして、妊娠した女性が、一人で出産し、一人で育てていくなんて、不可能に近いことでした。

マリアを思っていたヨセフですから、そういうことも想像したでしょう。

別れた後、マリアはちゃんと子どもを産めるんだろうか。

子育てはできるんだろうか。

生活は、だれか助けてくれる人が、いるだろうか。

いろんな問いかけが、矢のように自分に突き刺さってきたと思います。

でも、やっぱり、結婚することはできない。

そこには、マリアに対する不安もあったでしょう。

結婚しても、また、裏切られるかもしれない。

そんな相手と結婚するなんて無理だという想い。

また、自分に対する不安もあったでしょう。

自分以外の子をみごもった相手を、愛し続けるなんて、自分にできるんだろうか。

誰の子ともわからない子の父親になるなんて、自分にできるだろうか。

自分に対する恐れ、不安もあったことでしょう。

このことを、ヨセフは、誰にも相談できず、一人で考えていました。

ぐずぐずしている時間もありません。早くしないと、マリアが妊娠していることが、外に漏れてしまうかもしれない。

マリアとお腹の子、二人の命が、ヨセフの肩に重くのしかかっていました。

相当な重荷だったと思います。

そりゃ、できることなら、二人の命を救いたい。

でも、やっぱり、結婚することはできない。

思い悩んだ末に、ひそかに離縁することを決めました。

もうそれしか道はないと思ったのでしょう。

・天使の呼びかけ

そんなヨセフに天使が現れて言うのです。

「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」

この言葉を読みました時に、子どもメッセージで読みました絵本の「それしかないわけないでしょう」という言葉が浮かんできました。

先ほども言いました通り、ヨセフは、一人で悩んでいました。

誰にも相談せず、一人で背負い込み、そして、一人で、結論を出しました。

相当プレッシャーもかかっていたでしょう。

冷静に、選択肢を考える余裕など、なかったと思います。

キューっとこう、視野が狭まっていく中で、もう、こうするしかない。

ひそかに縁を切る以外に、道はない。

そんなふうに追い詰められていったんじゃないでしょうか。

そんなヨセフに、神様が言いたかったのは、まさに、「それしかないわけないでしょう」だったんじゃないでしょうか。

「それしかないわけないでしょう。

マリアの子は、私の子だ。

私があなたたちと共にいる。

だから、恐れるな。一人で抱えるな、一人で全部を背負おうとしなくていい、私があなたと共にいるから」って、そんなふうに、神様は、語りかけておられたのではないでしょうか。

・一人で悩まない

コヘレトの言葉に「ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。」という言葉がありますが、やっぱり、一人で悩むよりも、二人で悩んだ方がいい。

一人で考えるよりも、みんなで考えた方が良いって、そう言われているように感じます。

先日、祈祷会の近況報告の時間に、大友兄弟が、神妙な顔つきで、歯を抜かなきゃいけないって言われました。

虫歯じゃないんですが、歯茎が痛い時があって、歯医者に行ったら、抜いた方が良いと言われたそうです。

でも、その後、痛みがなくなって、やっぱり抜きたくないなと思ったんだそうです。

一度抜いたら、生えてきませんからね。

それに、抜いたら今度は、入れ歯にするか、ブリッジにするか、引き続き処置が必要になります。

だから、できることなら抜きたくないって、思っていたそうです。

でも、歯を抜くために、他の病院から、わざわざお医者さんがきてくれる。

その手筈まで整っていましたので、もうこれは、抜かなきゃしょうがないだろうって、祈祷会ではそう言われました。

すると、他の参加者から、「セカンドオピニオンを受けたら」とか「嫌なら断ったら」とか、「お医者さんに、事情を話して、相談してみたら」という声が出ました。

それで実際、歯を抜く日、大友さん、お医者さんに相談したそうです。

そしたら、多少渋い顔をされたそうですが、抜かなくて済んだそうです。

この間の祈祷会で、嬉しそうにそのことを、報告してくださいました。

ヨセフには、相談できる人はいなかったんでしょうか。

公になったらまずいというのは、わかります。

二人の命がかかっているというのは、もちろんそうなんですが、でも、だからこそ、誰かに相談すべきだったと思うのです。

皆さんは、どうでしょうか。

自分の悩みを、話せる人がいるでしょうか。

よく、「話す」ことは、「手放す」ことだと言われます。

自分の抱えている悩みや不安を、誰かに話す。

それだけで、背負っている重荷が軽くなるそうです。

話すことは、手放すこと。

一人で悩むよりも、誰かと一緒に悩むこと。その大切さを、覚えておきたいと思います。

そして、何より神様が、一緒に背負ってくださっていることを、忘れないでいたいと思います。

ヨセフの物語を通して、私たちに、送られているメッセージ。

それは、何より、「あなたは決して一人じゃない」ということです。

そのメッセージは、縁を切るしかないと思っていたヨセフに、お腹の子も含めて、マリアを迎え入れる勇気を与えていきました。

ひとりじゃないって思うだけで、勇気が湧いてくる。

ヨセフじゃないですけれども、実は、私も先日、妻から、思いがけないことを言われました。

「20日に福岡で、コンサートをすることになった。行っていい?

そして、そのために、8日礼拝が終わったら、リハーサルに行きたいんだけど、行っていい?」と言われました。

ヨセフの気持ちが、少しわかるように感じました。

そりゃ行かせてあげたいけど、こちらにはそんな余裕はありません。

特に、20日と言えば、クリスマス礼拝とキャンドル礼拝の準備に追われている頃ですので、すぐに行っておいでとは言えませんでした。

でも、頑張って準備していますし、成功のために祈っていますし、もう光さん一人の問題でもなくなってきておりまして、どうしようと悩んでおりました。

そんな時に、今日の箇所を読みまして、送り出せって言われているのかなと感じました。

人には「一人じゃない」って言いながらですね、光さんには、行っちゃダメって言っていたら、説得力ないなと思いまして、行っておいでと言いました。

どうぞ覚えて祈っていただければと思います。

「一人じゃない」そのメッセージが、私たちに勇気を与えます。

神様だけじゃありません。

私たちの周りには、必ずや仲間になってくれる人がいます。

教会もその一つです。

どうせ悩むなら、一緒に悩みましょう。

良い結果につながるかどうかはわかりませんけれども、でも、一人で悩むよりは良いはずです。

私たちは、一人じゃないし、一人にならない。

このことを今日は、ご一緒に心に留めたいと思います。

お祈りいたします。

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