聖書をお読みいたします。
聖書箇所は、マタイによる福音書2章9節〜12節。
新共同訳新約聖書2ページです。
2:9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
2:10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
2:11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
2:12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
「思い通りにいかなくても」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。
・子どもメッセージ
今日もまず子どもメッセージからしたいと思いますが、今日の聖書のお話は、先週の続きです。
先週は、イエス様が生まれたっていうことを聞きつけて、東の国から、博士たちがやってきたっていうお話でした。
今日のお話は、その続きで、博士たちが、どうやって、自分の国に帰って行ったか、というお話です。
どうやって自分の国に帰って行ったか。
聖書には、こう書いています。
「『ヘロデのところへ帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」
イエス様と会った夜、眠っていると、博士たちは夢を見た。
どんな夢だったか。詳しいことは、わかりません。
でも、その夢の中で、「ヘロデのところへ帰るな」っていう言葉を聞いたんです。
ヘロデっていうのは、当時、その土地を支配していた偉い人でした。
そのヘロデと、博士たちは、ある約束をしていました。
どんな約束かというと、イエス様の居場所がわかったら、教えてあげるっていう約束でした。
だから、博士たちは、帰り道に、ヘロデのところへよって帰るつもりでした。
だけど、夢で、「ヘロデのところへ帰るな」ってお告げがあった。
それで、急遽予定を変更して、別の道を取って帰ることにしました。
でも、この予定変更が、イエス様を救ったんです。
実はヘロデは、イエス様の命を狙っていました。
イエス様の居場所がわかったら、命を奪いに行こうと考えていました。
もし、博士たちが、予定通り、ヘロデのところに行っていたら、イエス様は、危険な目に遭っていたかもしれません。
予定変更のおかげで、博士たちは、ヘロデの策略に巻き込まれずに済んだし、イエス様の命も、守ることができました。
このお話を通して教えられるのは、予定を変更するって、悪いことばかりじゃないんだなってことです。
みんなにも、計画していたのに、うまくいかなかったこととか、予定を変更しなきゃいけなくなったことが、あると思います。
旅行に行く計画をしていたのに、風邪を引いて行けなくなっちゃったり、
楽しみにしていた運動会が、雨で中止になっちゃったり、
そういう時は、悲しい気持ちになったり、イライラしちゃったりすると思います。
でも、そんな私たちに、聖書は、予定を変更するって、悪いことばかりじゃないよって教えています。
予定が変わったからこそ、新しい道が開かれることもある。
予定が変わることで、かえって良くなることもあるんだよって、教えています。
みんなの人生にも、思い通りにいかないことがあるかもしれません。
でも、そんな時も、神様がきっと、一番良い道に、導いてくださる。
思い通りにいかなくても、神様はきっと、新しい道を用意してくださるって、そう信じて、歩んでいきましょう。
お祈りします。
・序
クリスマスも終わり、2024年も最後の礼拝となりました。
今年は、皆さんにとって、どんな1年だったでしょうか。
思い描いていた通りの1年になったでしょうか。
それとも、思い通りにならなかった1年だったでしょうか。
人生には、想定外の出来事がつきものです。
計画通り進まなかったり、予定を変更させられたり・・・。
そういうことが起こると、私たちの心は、たちまち不安や混乱に襲われます。
悲しみや、怒りが湧いてくることもあります。
でも、聖書は、そうした予定変更を通してしか通れない道や、巡り会えない出会いがあることを、教えています。
・博士たちの歩み
先週から、星に導かれて、イエス様のもとにやってきた博士たちの話を読んでいます。
彼らこそまさに、予定変更の道を通らされた人々でした。
そもそも彼らの旅は、彼らが計画したものではありませんでした。
9節にありますように、彼らの旅路を先立って導いたのは、星でした。
思いがけず星と出会い、その星の導かれて、彼らの旅は始まっていきました。
どこに連れて行かれるかもわからない。
いつ、その旅が終わるのかもわからない。
ただただ、星が導くままに、彼らは、旅をしていきました。
その結果、救い主に出会うという大きな恵みに与ることができました。
さらに彼らは、イエス様と出会った後、夢で、「ヘロデのところへ帰るな」というお告げを受けました。
子どもメッセージでも言いました通り、彼らは、イエス様が生まれた場所がわかったら、ヘロデに知らせるという約束をしていました。
しかし、お告げを受けた博士たちは、予定していた道を変更し、別の道を通って帰って行きました。
これによって、博士たちは、ヘロデの策略に巻き込まれずに済み、イエス様の命も、守ることができました。
・予定を変更させられた人たち
クリスマスの物語を振り返る時、予定変更を迫られていったのは、博士たちだけではありませんでした。
イエス様の母として選ばれたマリアもそうです。
当時マリアは、ヨセフと婚約中でしたが、両者はまだ結ばれていませんでした。
それなのに、突然天使から、「おめでとう、恵まれた方」と言われて、いわゆる受胎告知、神の子をみごもると告げられるわけです。
マリアにとっては、青天の霹靂で、とっても戸惑うわけですが、しかし彼女は、「お言葉通り、この身になりますように」と言って、その出来事を、受け止めていきました。
同時に、ヨセフも、神の子の父になるという迫りを受けることになります。
ヨセフにとってそれは、受け入れ難いことでした。
それで彼は、一度は、マリアと縁を切ろうと決心しますが、夢で、天使の語り掛けを受けて、マリアとお腹の子を、受け入れていきました。
きっと、マリアにも、ヨセフにも、思い描いていた結婚生活があったでしょう。
結婚する時期も、子どもが生まれる時期も、考えていたことがあったと思います。
それらの計画は、見事に、打ち砕かれていきました。
そして、想定外の道へと、押し出されていきました。
しかし、それによって、マリアとヨセフは、イエス・キリストの親になるという、大変名誉な役割に、与ることができたのです。
聖書には、そういう人たちの話が、たくさん記されています。
アブラハムもそうですし、モーセもそうですし、イエス様の弟子たちも、パウロもそうでした。
皆、人生の途中で、予定を変更させられた人たちです。
でも、その予定変更を通して、彼らは、神の働き人として、用いられていきました。
・予定変更によってもたらされる恵み
そのような人々を通して、教えられるのは、計画通りに進むことが、最善とは限らないということです。
私たちは、計画通りに進むことを、良いことだと考え、そうならないことを、否定的に捉えることがあると思いますが、聖書は、むしろ、人間の計画が崩され、予定が変えられていくことの中に、神の恵みがあることを、語っています。
博士たちもそうでした。
彼らも、予定を変えられていった結果、イエス様と出会うことができ、イエス様を守ることができました。
星と出会うまでは、彼らにも、自分たちの計画があり、予定があったでしょう。
もし、それを優先して、星の導きに従っていなかったとしたら、彼らがイエス様と出会うことは、ありませんでした。
もし彼らが、夢のお告げを聞かず、予定通り、ヘロデのところへ戻っていたら、イエス様の命が危険にさらされることになっていたでしょう。
予定変更によって、彼らは、思いがけず、イエス様と出会うことができ、イエス様を助けることができたのです。
・予定変更は、試練でありチャンスである
もちろん、予定変更によってもたらされるのは、恵みだけではありません。
不安や混乱も、あるでしょう。
予定を変更することで、博士たちは、ヘロデとの約束を破ることになりました。
それは、彼らにとって、大きなリスクでした。
夢のお告げと、ヘロデの指示、どちらの言葉に従ったらいいか、きっと、迷ったはずです。
マリアとヨセフもそうでした。
思いがけない告知は、二人を戸惑わせ、悩ませました。
そのように、やはり、予定を変更するということは、私たちにとって、大きなストレスとなります。
でも、そのストレスや戸惑いの中でこそ、私たちは、信仰の一歩を踏み出すことができるのではないでしょうか。
予定通りに進むことが安心や満足感を与える一方で、予定が崩れる時、私たちはより深く神様の御心を求め、神様の導きに従おうとするのではないでしょうか。
博士たちが星の導きに従ったのも、夢のお告げを信じたのも、自分たちの計画ではなく、神様の計画に目を向けたからです。
自分たちの計画を超えた、大いなる導きを信じて、彼らは、予定を変更して、進んでいったのです。
マリアとヨセフもそうです。
天使のお告げを受けて、マリアは、「お言葉通り、この身になりますように」と言いました。
ヨセフも、「恐れず妻マリアを迎えなさい」という天使の言葉を信じて、新しい一歩を、踏み出していきました。
そのように、私たちは、思いがけない出会いや出来事を通して、信仰を養われ、整えられていくのです。
予定変更は、確かに私たちにとって、大きな試練ですが、信仰の道へと踏み出すチャンスでもあるのです。
普段、私たちは、自分のたてた計画に従って、自分の予定、自分の想いで、生きています。
その予定や計画が崩れる時、それを、信仰の道へと踏み出すチャンスとして、受け取っていきたいと思います。
そして、信仰を持って、踏み出していきたいと思います。
振り返ると、ここ数年、私たちは、コロナウイルスに悩まされ、予定変更させられながら、歩んできました。
集まって礼拝することが、できない時もありました。
声を上げて、讃美歌を歌うことができない時もありました。
それは、私たちにとって、大変苦しい時でありましたが、
しかし、そのことを通して、新たに、開かれたこともありました。
今年も、行うことができました、クリスマスコミュニティコンサートもその一つです。
今年4回目を行うことができましたけれども、あのコンサートも、コロナ禍に与えられた出会いによって、始まっていきました。
また、集まって礼拝することができないというところから、苦肉の策で始めた、礼拝メッセージのオンライン配信ですが、それをきっかけに、教会に来てくださる方もいらっしゃいました。
また、今年は、臼杵教会や下関教会と、オンラインで、共に礼拝を献げることもできました。
それも、コロナウイルスによって開かれた、新しい道であったと思います。
この経験を、私たちは大事にしたいと思います。
思い通りにいかない時、
思いがけず、予定変更を強いられた時、
今日のメッセージを思い出したいと思います。
思い通りにならない時こそ、信仰の道へと踏み出すチャンスである。
そして、信仰の道を歩む者を、神様は、きっと祝福してくださる。
そう信じて、新しい道へと、踏み出していきたいと思います。
・結
2024年も、もうすぐ終わり、新しい年が始まります。
新しい年は、どのような年になるでしょうか。
多分、新しい年も、思い通りにいかないことがあるでしょう。
でも、思い通りにいかないことが最悪とは限りません。
たとえ、思い通りにならないことが起こり、計画が崩れてしまったとしても、それは、信仰の道へと踏み出すチャンスです。
博士たちがそうだったように、マリアとヨセフがそうだったように、神様は、私たちの想いを超えて、最善の道へと、導いてくださるお方です。
その導きを信じ、勇気を持って一歩を踏み出していきたいと、そう願います。
2025年も、神様が共にいてくださることを信じて、希望と信仰を持って歩んでいきましょう。
皆さんの新しい年が、思いがけない恵みに満ちたものとなりますように。
お祈りいたします。