2024年11月10日主日礼拝メッセージ「困難な日々を生き抜いていくために」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、ルカによる福音書21章29節〜36節。

新共同訳新約聖書152ページ〜153ページです。

21:29 それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。

21:30 葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。

21:31 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。

21:32 はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。

21:33 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

21:34 「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。

21:35 その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。

21:36 しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」

「困難な日々を生き抜いていくために」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

みなさんは、海に浮かぶ船を見たことがあるでしょうか。

これは、サンフラワーですね。

大分の港で見たことあると思いますが、今日注目したいのは、ここです。

ここに、なんかついていますね。

アップにすると、こんなかんじですが、これ何か知っていますか?ーそう、これは、錨です。

錨は、何をするための道具でしょう?

そうこれは、船が流されないようにするための道具です。

こんなふうに、錨を下ろすことで、大きな波が来ても、船が流されないですむんです。

逆に、もし、これがなかったら、どうなるでしょう。

船は、波に流されて、迷子になったり、転覆したりしてしまいます。

これは、私たちも同じだと思います。

この絵で言うと、船が私たち、海が私たちの人生、地面がイエス様です。

私たちの人生にも、時々、嵐のような時があります。

苦しい時、悲しい時、全然思うようにいかない時。

そんな時、私たちの心は、激しく動かされます。

どうしようどうしようって混乱したり、不安になったり、「もうおしまいだ」って、苦しみに飲み込まれそうになることもあるかもしれない。

そんな私たちに、イエス様は、「私を信じなさい」って呼びかけています。

イエス様を信じる。それは、錨を下ろすことと一緒です。

イエス様はどんなことがあっても、決して動かされることがありません。

そのイエス様に、錨を下ろして、つながっていること。

それが信じるって、ことです。

そうすることで私たちは、迷子になったり、転覆したりせずにすみます。

もちろん、信じていても、嵐が起これば、多少は、動かされます。

でも、イエス様を信じて、イエス様とつながっていれば、遠くに行かなくてすむ。

迷子になったり、転覆したりせずにすむ。

そして、また、もといたところに戻ってくることができます。

イエス様はそうやって、私たちをつなぎ止めてくださるお方です。

だから、イエス様を信じる者になりたいと思います。

嵐のような人生を、生きていくためには、イエス様のように、つなぎ止めてくださる方が必要です。

流されていきそうになる私たちを、イエス様は、守ってくれます。

だから、イエス様を信じたいと思います。

船が地面に錨を下ろすように、私たちも、イエス様を信じて、イエス様とつながって生きていきましょう。

お祈りします。

・序・・・困難な人生を生きる私たちへ

今日の箇所は、イエス様が、終末、神の国の到来について、語っておられる箇所ですけれども、

今日は、この箇所を通して、困難な日々を生き抜いていくための秘訣について考えてみたいと思います。

人生は、困難の連続です。

そんな人生を生き抜いていくための秘訣を、イエス様の言葉から、いただいていきたいと思います。

今日は、特に、3つのことを、覚えたいと思います。

困難な日々を生き抜いていくための3つの秘訣。

一つ目は、困難は神の国が近づいているしるしであるということ。

二つ目は、備えあれば憂いなし。

そして三つ目は、私の言葉は滅びない。

この三つの秘訣を、共に、心に留めていきたいと思います。

・①困難は神の国が近づいているしるし(闇の中に光が輝いていると信じる)

順番に見ていきたいと思いますが、まず一つ目、「困難は神の国が近づいているしるし」から話したいと思います。

29節~31節

21:29 それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。

21:30 葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。

21:31 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。

イエス様はよく、自然を用いて、大事なことを話されます。

空の鳥を見よとか、野の花を見よとかですね。

今日の箇所では、木を見なさいと言われています。

木に葉が出始めたら、夏が近づいたとわかるように、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい、とイエス様は言われます。

「これらのこと」とは一体何か。

それは、21章5節から、語られていることです。

そこには、神の国が到来する前に、どんなことが起こるかということが語られています。

読んでみますと、恐ろしいことが書かれています。

9節には、戦争とか暴動が起こるということが書かれています。

それから、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こるということも書いてあります。

また、キリスト者に対する迫害、神殿の崩壊についても書かれています。

25節からの箇所では、海がどよめき荒れ狂うとか、天体が揺り動かされるということも書いてあります。

とても恐ろしいことばかりですが、しかし、イエス様は、そのような出来事を見たら、神の国が近づいていると悟りなさいと、おっしゃっています。

戦争や暴動、地震や飢饉は、神の国が近づいていることのしるしだと、そうおっしゃっているのです。

神の国というのは、元来、神の支配をあらわす言葉です。

神様が支配されている世界。神様が支配されている領域。それが神の国であるわけですが、

戦争や暴動、地震や疫病は、そんな世界とは対極にある出来事です。

神様がいらっしゃるなら、どうしてこんなことが起こるのか。

神様は今、どこにおられるのか。

そういう叫びが、今まさに、世界中で、この日本でも、起こっています。

私たちの目には、到底、神の国が近づいているなんて思えないわけですが、

しかし、イエス様は、そういう現実を見たら、神の国が近づいていると悟りなさいとおっしゃるのです。

困難な出来事は、神の国が近づいているしるしであるということです。

このことを思う時、ヨハネ福音書の冒頭に記されています、「光は暗闇の中で輝いている」という言葉が浮かんできました。

「光は闇の中に輝いている。」

多くの場合、光と闇は対立するものとされますが、聖書が伝える光は、まさに闇の中でこそ力強く輝きます。

これは、私たちが経験する困難の中にも、神の光、すなわち希望が、確かに存在していることを示しています。

私たちの目には、困難な状況は、ただの闇としてしか映らないでしょう。

でも、イエス様は、その闇の中にこそ、光が輝いている、神の国のしるしがあると教えています。

闇の中に光がある。困難の中に希望がある。

イエス様の言葉を通して、その希望を信じることが、困難を生き抜いていく力となります。

「困難は、神の国が近づいているしるし」。

まずこのイエス様の言葉を、心に留めたいと思います。

・②備えあれば憂いなし(心の備え、体の備え、祈りによる備え)

二つ目は、「備えあれば憂いなし」です。34節、

21:34 「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。」

この言葉は、困難に対して、備えることの大切さを教えています。

同じように困難に直面しても、備えがあるのとないのとでは、大きな差が出るということです。

地震など、災害が起こった時のことを考えると、わかりやすいと思います。

地震に備えて、日頃から訓練している人は、いざ地震が起こった時、何をすべきか、瞬時に判断することができます。

逆に、何の備えもしていなければ、何をしていいかわからない。

混乱して、かえって、被害を大きくしてしまうことも、あるかもしれません。

病気もそうです。

日頃から、健康に気を使って生活をしている人は、いざ病気にかかっても、治りが早かったり、重症化せずに済むということがあるでしょう。

逆に、「放縦や深酒」、乱れた生活をしていれば、軽く済んだはずの病気が、重症化してしまうということも、あるかもしれません。

そのようなことにならないように、日頃から備えておく。

イエス様は、「心が鈍くならないように注意しなさい」と言われていますが、心と体は繋がっています。

日々の生活が乱れていると、心も乱れてしまいます。

心を大事にするためには、まず、日常生活を大事にしないといけない。

日常生活を整えることが、良き心備えとなり、困難に直面しても、被害を最小限にとどめることができるということです。

また、これに加えて、もう一つ重要な備えとして、いつも目を覚まして祈りなさいと呼びかけられています。

祈りは、神の前に立つ行為です。

イエス様はよく、祈るために、人混みを離れて、一人、山に行かれました。

今日の箇所の直後の37節にも、「日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた」とありますが、これも単に休むためというだけでなく、祈るためだったのだと思います。

そうやって、イエス様は、目の前の課題にとらわれやすい心を、神様に向けることで、冷静さを取り戻し、心の平安を得ていったのだと思います。

そのような祈りによる備えの時が、私たちにも必要だということです。

1日の中で、静まって祈るための時間と場所を整えているでしょうか。

日頃の祈りの習慣が、困難に直面した時に、私たちを神様のもとへと、導いていくのです。

体の備え、心の備え、そして祈りによる備え。

そのように備えることが、困難を生き抜いていく支えとなっていきます。

・③私の言葉は滅びない(信じる=錨を下ろす)

最後に「わたしの言葉は決して滅びない」というイエス様の言葉を覚えたいと思います。

信仰とは、錨を下ろすことだと、よく言われます。

イエス様という、決して動かされることのないお方に、つながっている。

決して滅びることのないと言われる言葉に、つながっている。

それが、信じるということだと。

そうすることで私たちは、困難なことがあっても、漂流したり、転覆したりせずにすむんだということです。

もちろん、信じていても、多少は動かされます。

錨を下ろした船だって、動きますよね。

風が吹いたり、波が起これば、多少は流されます。

でも、錨を下ろしていれば、ある一定のところまでにとどまることができます。

これが、大事なんだと思います。

どんなに私が動かされても、危険な場所まで行かないように、ちゃんとつなぎ止めていてくださるお方がいる。

どんなに私が動かされても、イエス様は動かされないから、大丈夫。

そう思えることが大事なんだと思います。

次の話を、完成させてください。

これは、前にも話したことですが、私が学生時代、実家で、柴犬を飼っていました。

サスケという名前でした。

サスケは散歩に行く時、いつもリードって言って、首輪にロープを付けて散歩にでかけます。

サスケは、そのロープをぐいぐい引っ張りながら、前に進んでいくんですが、見ていて時々、苦しそうだなって思うこともありました。

首輪もロープも何もつけずに、自由に、好きなように走り回れたら、さぞ喜ぶんだろうな、そう思っていました。

あるとき、両親が、サスケをドッグランに連れて行ってあげました。

何もない、ひろーい芝生のドッグラン。

そこで、ロープを外して、さあ行け!って、手を放した時、サスケは、どうしたでしょうか?

喜んで、元気いっぱい走っていくかと思いきや、なんと、父親のところから一歩も動かなくなってしまったんだそうです。

散歩の時にはいつも、グイグイロープを引っ張って、あっちに行きたい、こっちに行きたいって、引っ張っていったサスケが、手を放した途端、動かなくなっちゃった。

そのことを聞いた時、私は思いました。

ロープって、大事なのかもしれないって。

ロープで繋がれているって、なんか苦しそうって思っていました。

でも、サスケは、このロープから、安心をもらっていたのかもしれない。

ロープによって、つながっていられる。

どこに行っちゃうかもわからない自分を、ちゃんとつないでくれている人がいる。

そう思うからこそ、安心して、ぐいぐい引っ張っていくことができたんじゃないか。

私たちも、そうだと思うんです。

ちょっとした波でも、簡単に流されていってしまう。

どこにいってしまうかもわからない。

そんな状態では怖くて、行きたいところにも、行けなくなってしまいます。

つながっている。

つなぎ止めていてくださるお方がいる。

そう思えればこそ、安心して、より自由に、行きたいところに行くことができるんだと思います。

進んだ道が間違っていても、大丈夫。

間違ったと思ったら、イエス様のもとに、戻ってくればいい。

そして、そこからまた、やり直せばいい。

そう思えればこそ、私たちは、安心して、人生を生きていくことができるのだと思います。

私たちの人生は、いつも、うまくいくとは限りません。

時に、嵐のような困難に襲われることがあります。

でも、そんな時こそ、私たちをしっかりつなぎ止めてくれる存在があることを思い出したいと思います。

どんなに風が強くても、波が荒くても、私たちは決して一人ではない。

イエス様が私たちに寄り添い、私たちを守り、支えてくださっている。

ロープにつながれたサスケが安心して歩んでいけたように、私たちも、イエス様とのつながりがあるからこそ、不安や恐れを感じる時でも、安心して、進んでいくことができるのです。

このつながりは、ただの束縛ではなく、私たちに平安を与え、自由に前に進む力を与えてくれるのです。

「わたしの言葉は決して滅びない」というイエス様の約束。

この約束の言葉に、信仰という名の錨を下ろしたいと思います。

どんなに私たちが動かされても、イエス様は動かされない。

イエス様の言葉は、決して滅びない。

そのことに信頼し、イエス様とつながることで、どんな嵐の時も大丈夫だという、心の平安を、受け取っていきたいと思います。

・結論

今日は、困難な人生を生き抜いていくための、3つの秘訣を覚えてきました。

一つ目は、困難は神の国が近づいているしるしであるということ。

二つ目は、備えあれば憂いなし。

そして三つ目は、イエス様の言葉は滅びないということ。

ちょっと、覚えることが多いですが、どれか一つでも、心に留まることがあればと思います。

お祈りいたします。

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