2023年5月28日礼拝メッセージ「風に吹かれて」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、ヨハネによる福音書3章5節〜8節。

新共同訳新約聖書167ページです。

3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。

3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。

3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。

3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

「風に吹かれて」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

・子どもメッセージ

みんなは、紙飛行機が好きですか。

私は、紙飛行機を飛ばすのが好きです。

風に乗って、スーッと飛んでいくと、気持ちが良いものです。

最近は、あんまりしていませんでしたが、久しぶりに今日、紙飛行機を作ってきました。

ちなみにこれは、ギネス認定の紙飛行機だそうです。

60メートル以上飛んだそうです。

ちょっと、やってみたいと思います。

流石に、皆さんの方に向かって飛ばすのは怖いので、こちらから飛ばしてみたいと思います。

さすがギネス認定の飛行機ですね。

気持ちよく飛びましたね。

作り方を知りたい方は、教えてあげますので、後で私に聞いていただければと思いますが、

これで終わったら、私は、単なる紙飛行機好きのおじさんになってしまいます。

なぜ、私が、この大事なメッセージの時間に、紙飛行機を飛ばしたかと言いますと、

それは、イエス様が、この紙飛行機のように生きなさいって、言っているからです。

ま、本当に言っているわけじゃないけど、私は、そう言っているように聞こえるんです。

イエス様はこう言っています。

「風は思いのままに吹く。

あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。

霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

今日のテーマは、この霊から生まれる、ってことですが、

霊から生まれた者、

神様が送ってくださる聖霊によって生きる人っていうのは、風に吹かれるように生きる人だって、イエス様は言っています。

風に吹かれて生きる。

紙飛行機が、風に吹かれて、飛んでいくように、

そんな紙飛行機のように、生きていきなさいってことです。

紙飛行機そのものには、飛ぶ力はありません。

何もしなければ、紙飛行機は、飛びません。

どうやったら飛ぶか。

私が投げて、さらに、風の流れにのっかると、遠くまで飛んでいきます。

風に逆らうと、すぐに落ちてしまいます。

どんなに力強く投げても、風に逆らっては、うまく飛びません。

紙飛行機が飛んでいくためには、風の流れにうまくのっかることが大事です。

同じように、イエス様は、神様が送ってくださる風、聖霊にのっかって生きていきなさいって、言っているんです。

自分の思い、自分の力で生きていこうとするのではなくて、神様に任せる。

神様の思いを聞き、それに身を任せて生きていく。

「大丈夫、私が一緒にいる。」

いつも、そう語りかけてくださる神様の声を信じて、身を任せて生きていく。

そうすれば、必ず神様が、私たちにふさわしい場所に、持ち運んでくださる。

イエス様は、そう言っているんだと思います。

神様の思いを、大事に生きていきましょう。

神様の声に、耳を傾けながら生きていきましょう。

そうすれば、必ず神様が、一人一人に相応しい場所に、連れて行ってくれます。

その神様を信じて、生きていきましょう。

お祈りします。

・ペンテコステ、教会の始まり

物事には、必ず始まりがあります。

人間で言うと、生まれた日から、人生が始まっていくわけですが、同じように、教会にも、始まりがあります。

教会は、どうやって始まったのかと言いますと、聖書には、イエス様の弟子たちが、聖霊に満たされて始まったと、記されています。

この教会の記念日を、聖霊降臨日とか、ペンテコステと言います。

実は、今日は、その記念日なのですが、

そんな記念日だからこそ、今日は、聖霊を受けるとか、聖霊に満たされるとはどういうことか、考えてみたいと思います。

弟子たちをして、教会の歩みを、開始させた聖霊。

どうやったら、その聖霊に、満たされることができるのでしょうか。

今日の箇所でも、イエス様は、霊によって生まれるようにと、私たちを招いています。

霊によって生まれる。

霊に満たされる。

一体どういうことでしょうか。

どうしたら、そのようなことが起こるのでしょうか。

残念ながら、その答えは、今日の箇所には、ありません。

こうしたら霊が得られるとか、こうしたら霊から生まれることができるというような答えは、ありません。

でも、霊から生まれた者が、どういう者であるかということは、語られています。

それが、先ほどから読んでいます8節の言葉です。

8節「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。

霊から生まれた者も皆そのとおりである。」イエス様は霊を、風にたとえられました。

ここに、霊によって生きるための、ヒントがあるように思います。

まず、イエス様が、霊のことを、風にたとえていることに注目したいと思います。

今、「たとえている」と言いましたが、実は、ここで風と訳されている言葉は、霊とも訳せる言葉で、

ギリシャ語でプネウマという言葉なのですが、

当時の人々は、それら二つのことを、同一のものと理解していたのではないかと言う人もいます。

風は霊で、霊は風だと、そう理解していたのではないか。

人々は、風を感じるたびに、それを、聖霊の働きとして受け取っていたのではないか。

そこまで言えるかどうかはわかりませんが、しかし、それぐらい、風と霊は、密接に関係しているということです。

風が目に見えないように、霊も目には見えません。

風が、目に見えない空気の動きであるように、霊も、目に見えない神様の働きです。

風が吹くように、霊もまた、吹くと表現することができるのです。

その動きは、私たちには、操ることができません。

風が、どこから来て、どこへいくか、わからないように、霊もまた、どこから来て、どこへいくのか、わからないと言われています。

つまり、私たちには、とらえられないということです。

風が思いのままに吹くように、霊もまた、思いのままに吹くのです。

最近は、夏に向けて、だんだんと気温が暑くなっていますけれども、そのぶん風が、ひんやりとしていて、心地よく感じます。

でも、私たちは、その風を、コントロールすることができません。

その強さも、方向も、私たちの思い通りにはなりません。

心地よく感じる風ならば良いのですが、時に風は、激しく吹きます。

昨年の台風の時には、教会の看板が根元から倒れて、その強さに驚きましたけれども、

そのように、時に、大きな被害を及ぼすほど、強く吹くこともあります。

それと同じように、霊もまた、私たちにコントロールできるものではないのです。

吹けと思っても吹かなかったり、

吹いたとしても、自分の行きたい方向とは逆だったり、

心地よく吹いて欲しいのに、時に激しく、強く、私たちを巻き込んでいくような、そんな吹き方をすることもある。

それが、霊であるということです。

そのように、霊は、私たちの思い通りにはなりません。

霊は、霊の思うままに、吹いています。

ですから、私たちが、霊の思いに、合わせなければなりません。

思いのままに吹く霊に、身を任せて生きる。

自分の力ではなく、霊の力によって生きる。

自分の思いではなく、霊の思いに任せて生きる。

それが、霊から生まれた者の生き様であると、イエス様は教えています。

大事なのは、霊の思いに任せて生きるということです。

このことを思った時に、私の中に浮かんできたのが、紙飛行機でした。

先ほど飛ばしましたけれども、

霊の思いに任せて生きるというのが、紙飛行機のように、生きるということだと思ったのです。

風にのって飛んでいく紙飛行機。

どこに飛んで行くかは、風次第。

スピードも、その方向も、風に任せて飛んでいく。

そんなふうに、私たちも、自分の力ではなく、霊に任せて生きていきなさい。

自分の思いではなく、霊の赴くままに、任せて、生きて生きなさい。

それが、霊から生まれた者の生き方だと、そう言われているように感じます。

だんだんと、ポイントが絞れてきましたけれども、

そうなってくると、大事なのは、霊の思いを知ることです。

霊の思いがわからなければ、霊の思いに合わせることも、霊の思いに任せることもできません。

どうしたら、私たちは、霊の思いを知ることができるのでしょうか。

ここで大事なのが、8節の「あなたはその音を聞いても」と言われていることです。

私たちは、霊をコントロールすることができません。

どこからきて、どこへいくかは、わからない。

けれども、その音を聞くことはできるのです。

風が吹くと、ビューッと、音が聞こえるように、霊の音も、聞くことができる。

実は、ペンテコステの場面でも、そのように書かれているんです。

今日の礼拝の最初に読んでいただいた箇所ですが、使徒言行録2章1節~2節。

そこには、こう書かれています。

2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、

2:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。

この時、弟子たちは、家の中にいたんです。

外で、直接、風に吹かれたわけじゃなかった。

家の中で、激しい風が吹いて来るような音を聞いたんです。

この「音を聞く」ということが、とても大事なのだと思います。

風の音を聞くように、霊の音を聞く。

霊の思いに、耳を傾ける。

それは、み言葉を聞く、ということではないでしょうか。

み言葉、神様が与えてくださる言葉、イエス様の言葉を聞くということではないでしょうか。

イエス様の言葉を聞き、その言葉を信じて、その言葉に任せて生きていく。

それが、霊の思いに任せて生きるということ、なのではないでしょうか。

私たちは、今日もこうして教会に集い、聖書を開き、メッセージを聞いています。

この営みが、霊の音を聞くということなのではないでしょうか。

み言葉に耳を傾けることによって、私たちは、霊の音に耳を傾けているのです。

そして、風向きを読むように、霊の向かう方向を、読んでいるのです。

紙飛行機を、風向きに合わせて飛ばすように、霊の向かう方向がわかれば、その向きに、心を向ければ良いのです。

そうすれば、自然と、霊は、私たちを、必要なところへと、持ち運んでくれる。

紙飛行機が、風にのって飛んでいくように、

私たちも、霊の向かう方向に心を向けることで、霊に持ち運ばれて生きることができるのです。

私たちは、紙飛行機とは違います。

自分の力で生きることもできますし、自分の思いで、生きることもできます。

でも、その力が、いつもあるとは限りません。

疲れを覚えたり、弱さを覚えたり、倒れたり、躓いたりすることもあります。

自分の思いも、変わりやすいもので、思うようにいかないことが起こると、不安になったり、迷ったり。

思い通りに生きるというのも、簡単なものではありません。

それでも、自分の力で生きるしかない。

ちゃんと、考えをもって、計画をもって、生きていかなきゃいけないと思い込み、苦しんでいる人がいるかもしれません。

そんな私たちに、イエス様は、もう少し力を抜いたらって、

神様が、相応しい場所に、持ち運んでくださるから大丈夫って、

そんなふうに、語りかけているのではないでしょうか。

霊は、私たちがコントロールできるものではありません。

吹かせることも、操ることもできません。

ですから、私たちを、どこへ導くかは、わかりません。

自分の思いとは違うところに、持ち運ばれるということもあるかもしれない。

でも、神様は、私たちの思いを超えて、相応しい場所へと、導いてくださるお方です。

だから、信じて、霊という名の風にのって、生きていきましょう。

今日私たちは、霊をコントロールすることはできなくても、み言葉を通して、その思いを知ることができるということを学びました。

み言葉に耳を傾けていきましょう。

そして、そこで響く霊の思いに、身も心も任せて生きていきましょう。

その時、霊が、私たちに力を与え、霊が、私たちを、生かしていくのです。

お祈りします。

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