2023年2月5日メッセージ「家族」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、マルコによる福音書3章31節〜35節。

新共同訳新約聖書66ページ。

3:31 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。

3:32 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、

3:33 イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、

3:34 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。

3:35 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」

「家族」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

今日の話は、イエス様と、イエス様の家族のお話です。

みんなは、イエス様って何人家族だったか、知っていますか?

聖書によると、イエス様は、少なくとも8人家族だったと言われています。

まず、お母さんのマリアさんと、お父さんのヨセフさん。

イエス様は、この2人の息子として、お育ちになりました。

このイエス様の下に、弟が4人いました。

名前は、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン。

さらに、妹たちもいたって、聖書に書いてあります。

妹たちについては、名前も、何人いたのかも書いてないので、正確にはわかりませんけれども、少なくとも、イエス様は、8人家族だったってことがわかります。

その家族が、イエス様を呼びにきたというのが、今日のお話です。

そのとき、イエス様の周りには、大勢の人たちがいました。

イエス様の噂を聞いて、病気を治して欲しいと思ってきた人もいました。

神様の教えが聞きたいって、きた人たちもいました。

面白そうって、見にきた人たちも、大勢いたと思います。

ともかくイエス様の周りには、たくさんの人たちがいた。

それで、お母さんも弟たちも、とてもイエス様のところには辿り着けないので、人に頼んだんです。

「ちょっとうちのイエスをこっちに呼んできてくれ」。

何のためでしょうか。

なぜ、イエス様の家族は、イエス様を呼び出そうとしたんでしょうか。

今日の箇所の直前には、こんなことが書いてあります。

21節「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。」

身内っていうのは、家族のことです。

家族が、イエス様のことを、取り押さえにきた。

そう、イエス様の家族が、イエス様を呼び出したのは、連れて帰るためだったんです。

「イエスは気が変になっている」って言われて、そりゃ大変だって、連れ帰るためにやってきたんです。

「病気を治したりとか、神の国の教えとか、もういいから、一緒に家に帰ろう」って、呼びにきたんです。

つまり、イエス様は、家族から、全然理解も、応援もされていなかったってことです。

ここで、イエス様どうしたか。

家族に帰れって言われたから、諦めて、帰っていったでしょうか。

そうではありませんでした。

呼びにきた人に、イエス様は言いました。

「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。」

イエス様の周りに集まっていた人たちを見て、イエス様は、そう言ったんです。

血も繋がっていなければ、名前を知らない人も大勢いたでしょう。

そういう人たちを見ながら、「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。」って言われた。

この言葉を聞いて、私ハッとさせられました。

そうか!血が繋がっていなくても、家族になれるんだって。

もちろん、血のつながった家族も大事です。

お父さんもお母さんも、兄弟姉妹も、当然、大事。

でも、イエス様のように、うまくいかないことだってあります。

そんな時には、周りに頼ったっていいってことです。

こっちにも、あっちにも、家族になれる人たちがいるってことです。

教会もそう。

教会も、一つの家族です。

家族の中にいるのがしんどい時には、こっちの家族に逃げたっていい。

血のつながった家族だけが、家族じゃないよ。

あなたには、もっとたくさんの家族がいるんだって、イエス様は教えています。

このことを、ぜひ、覚えておいて欲しいと思います。

お祈りします。

私たちは、今、この礼拝の中で、ルカによる福音書を続けて読んでいます。

順番でいきますと、今日は、ルカによる福音書8章19節~21節を読む予定でした。

そこには、今日読んでいます箇所のルカ版が、記されています。

ルカ版というのはどういうことかといいますと、今日読んでいます箇所を、ルカが、ルカなりに書き直したということです。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、マタイとマルコとルカは、共通の資料を用いて、書かれたと言われています。

現在の学説では、マルコによる福音書がオリジナルとなって、マタイとルカが、それに独自の資料を加えて書かれたと言われています。

ですから、この3つの福音書は、よく似ているわけですけれども、強調点が、微妙に違います。

特に、ルカは、行いとか、悔い改めを強調して書いていると言われます。

今日の箇所も、ルカ版を見て見ますと、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである。」と書かれています。

「神の言葉を聞いて行う」ということに、強調点が置かれています。

「神の言葉を聞いて行う」それはとても大事なことですが、

一方で、「神の言葉を聞いて行っていないと、家族になれないのか。

自分は、イエス様の家族になれているんだろうか」と、不安を覚える書き方でもあります。

これに対して、オリジナルのマルコによる福音書には、どう書いてあるかと言いますと、

ルカ版と同じように「神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」ということも、書かれていますが、

その直前34節には、「ここに私の母、私の兄弟がいる」と言われています。

家族の条件じゃなくて、まさにここに、私の家族がいる。

あなた方が、私の家族だって、イエス様はそう言われたのです。

私は、この言葉が、今日を生きる私たちにとって、とても重要な言葉だと感じました。

イエス様が言われた、この言葉を、今日は共に覚えたいと思って、この箇所を選ばせていただきました。

先ほども言いました通り、この箇所は、イエス様の家族が、イエス様を連れ戻しにくるという場面です。

この箇所を読んだときに、私は、イエス様でさえ、家族とうまくいかないことがあったんだと、少し、ホッとしました。

家族の中に問題がある、それで悩んでいるというのは、決して、異常なことじゃないということです。

相談の電話をくださる方の中には、家族関係に悩んでおられる方が、とても多いです。

現代の家族も、様々な課題に直面しています。

一つは経済的課題。

「子どもの貧困」ということがよく言われますが、日本では7人に1人の子どもが、貧困下にあると言われています。

特に、母子家庭の場合、貧困率は50%を超えていると言われており、これは、世界的に見ても、最悪の水準だそうです。

経済的な困窮はそれ自体で問題ですが、さらに虐待や孤立といった深刻な事態を招く主たる要因になっています。

子育ての課題や、介護の課題もあります。

特に最近は、ヤングケアラーの問題が、深刻になっています。

ヤングケアラーというのは、家族の介護やケアを担う18歳未満の子どもを指す言葉ですが、現在、中学2年生の17人に1人、小学6年生の15人に1人が「ヤングケアラー」だそうです。

1クラスに1人は、ヤングケアラーがいるということです。

先日見たドキュメンタリーでは、小学校高学年から、30年、親の介護をしてきたという方のことが紹介されていました。

青春時代のほとんどを介護に捧げてこられた。

修学旅行や運動会にも行けない。

進学も就職も諦めて、介護をされてきたそうです。

その番組を見て、そういう方がいるということを、私は、初めて知りました。

食事が出てくるのが当たり前、洗濯してくれるのが当たり前という家庭に育った私にとっては、あまりに衝撃的で、その苦労は、想像もできません。

気づかないだけで、自分の周りにも、そういう人たちがいたのかなと、

今もいるのかなと、思わされました。

そのような方々の多くは、周囲に相談できない状態だと言われています。

その理由は、様々あるようです。

そもそも、相談する暇もない。

どう相談していいかもわからないし、誰に相談していいかもわからない。

勇気をもって、相談してみたけれども、何も状況は変わらなかった。

むしろ、変な噂になって広がってしまって、嫌な思いをした。

バレたくない、バレたら馬鹿にされるんじゃないか、

支援を受けることが恥ずかしいことだと、そう思っておられる人もいるようです。

介護されている親御さんも、助けてと言えない。

とても辛いけど、辛いとか、助けてと言ってしまうと、自分の子どもを、児童相談所に連れて行かれてしまうんじゃないか。

親として、いられなくなってしまうんじゃないか。

そういう恐怖を抱えて、助けを求められないということもあるようです。

ヤングケアラーの中には、辛いし、しんどいけど、やってあげたいという方もいました。

ドキュメンタリーに出演されていた方が、おばあちゃんとお母さんを介護していた時間のことを、大切な時間だって言われていたのが心に残っています。

辛いし、しんどい、でも、やってあげたい。

お母さんと一緒にいたいし、この生活を守りたい。

テレビを見ながら、支援の前に、理解することが必要だと思わされました。

支援すれば済むという話じゃない。

ときに支援は、いろんなものを奪ってしまうことにもつながるのだと気づかされます。

大切な時間とか、家族の絆とか、出番とか、存在意義とか。

教会でも時々、「何もできなくって」って言われることがありますけれども、

やっぱり出番とか役割があるっていうのは、とても大事なことなんだなと、改めて思わされます。

私も、毎週こうして説教するのは、大変です。

でも、こういう役割が与えられていることで、満たされている部分が、確かにあります。

だから、説教は大変だし、支えてもらいたいけれども、奪われたくはない。

寄り添って欲しい、その大変さを、理解して欲しい。

私は、毎週、週末になりますと、妻に弱音を吐きます。

もうだめ、もうやめたい、自分は牧師には向いてないんだって言います。

そうやって、弱音を吐ける人がいることが、私の救いです。

そういう存在を増やしていく。

妻だけだと、妻に苦労が集中してしまいます。

苦労を一箇所に集中させずに回していく。

みんなで、苦労を分かち合っていく。

弱音を吐いたり、愚痴を吐いたりできる人を増やしていく。

そうやって、苦労を共有できる仲間を増やしていくことが、生きていくために、必要なんじゃないでしょうか。

イエス様は、まさにそういうことを、教えているんじゃないでしょうか。

イエス様は、周りに座っている人々を見回して、「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。」と言いました。

私は、この物語、イエス様が、家族になってあげた話だと、ずっと思っていました。

孤立の中にいる人たちに対して、イエス様が家族になってあげた話だと、ずっと思っていた。

でも、文脈的にはこの話、家族から孤立しているのは、イエス様の方です。

無理解な家族に連れて行かれそうになったイエス様が、群衆を家族と呼んだ話。

こっちの家族とうまくいかなくなったイエス様が、周りにいる人たちを、自分の家族と言った話なんです。

何が言いたいかというと、つまり、逃げていいんだということです。

血のつながった家族だけに固執しなくていい。

こっちでうまくいかない時は、あっちの家族に逃げたっていい。

周りの人たちを家族と思って、頼ったっていいということです。

現にイエス様は、そうされました。

群衆を家族と呼ぶことで、そこに自分の居場所を、求めて行かれました。

家族の問題は、家族の中で解決すべき。

そういう固定概念が、私たちを苦しめている、追い詰めている、ということがないでしょうか。

私自身、子を持つ父親として、日常的に、様々な不安を抱えながら生きています。

自分が倒れたらどうしよう。

妻が倒れたらどうしよう。

誰に相談したらいいだろう。

近くには、他に、頼れる家族もいない。

経済的な不安もあります。

そんな不安を抱えながら生きている人たちは、この社会にたくさんいるのではないでしょうか。

そもそも、家族がいない。

事情があって、家族と離れて暮らしているという方も多くいます。

今、一人暮らしをされている方は、全体の38%、3人に1人以上だと言われてます。

技能実習生や留学生もそうです。

そういう方々の中には、愚痴や弱音を言える人もいない。

何かあったときに、そもそも相談できる相手がいないという場合もあります。

そういう一人一人が、つながり合っていく。

苦労を背負いながら生きている者同士が、つながり合っていく。

解決するのでも、支援するのでもなく、まずつながり合っていく。

互いを受容しあっていく。

そんな、広く浅いと言いますか、細く緩やかな家族を持っていることが、大事なのではないでしょうか。

教会は、まさにそういう群れですし、益々、そういう群れになっていくことができるんだ。

イエス様は、そんなメッセージを、語りかけているのではないでしょうか。

お祈りします。

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