2023年11月12日礼拝メッセージ「憐れみ深い人々は幸いである」

聖書をお読みいたします。

聖書箇所は、マタイによる福音書5章7節。

新共同訳新約聖書6ページです。

5:7 憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。

「憐れみ深い人々は幸いである」と題して、村田悦牧師に、メッセージをしていただきます。

・子どもメッセージ

今日は、最初に、一冊の絵本を読みたいと思います。

1、「しんせつなともだち」という絵本です。

前のスクリーンに絵本をうつしますので、どうぞ見ながら、聞いていてください。

「しんせつなともだち」

2、雪がたくさん降って、野も山もすっかり真っ白になりました。

子うさぎは、食べるものがなくなってしまいました。

そこで、食べ物を探しに出かけました。

3、「おや、こんなところにカブが二つもあった。」

子うさぎは喜んで、一つだけ食べて、一つは残しました。

「雪がこんなに降って、とても寒い。

ロバさんは、きっと、食べ物がないでしょう。

このカブを持っていってあげましょう。」

4、子うさぎがロバの家に来てみると、ロバは留守でした。

そこで、カブをロバの家にそっと置いてきました。

5、ロバは食べ物を探しに出かけていました。

ロバはサツマイモを見つけて、元気よく家に帰ってきました。

6、ロバが部屋に入ってみると、カブが置いてあります。

ロバは不思議そうに、言いました。

「これはどこからきたのかしら。」

ロバはお芋を食べてから、考えました。

「雪がこんなに降って、とても寒い。

ヤギさんはきっと何にも食べ物がないでしょう。

このカブを持っていってあげましょう。」

7、ロバが子ヤギの家に来てみると、子ヤギは留守でした。

そこで、カブを子ヤギの家にそっと置いてきました。

8、子ヤギは食べ物を探しに出かけていました。

子ヤギは、白菜を見つけて、元気よく家に帰ってきました。

9、子ヤギが部屋に入ってみると、カブが置いてあります。

「これは、どこからきたのだろう。」

子ヤギは白菜を食べてから、考えました。

「雪がこんなに降って、とても寒い。

鹿さんはきっと食べ物がないでしょう。

このカブを持っていってあげましょう。」

10、子ヤギが子鹿の家に来てみると、子鹿は留守でした。

そこで、カブを子鹿の家にそっと置いてきました。

11、子鹿は食べ物を探しに出かけていました。

子鹿は青菜を見つけて、元気よく家に帰ってきました。

12、子鹿が部屋に入ってみると、カブが置いてあります。

「これは、どこからきたのかしら。」

小鹿は青菜を食べてから、考えました。

「雪がこんなに降って、とても寒い。

うさぎさんはきっと何にも食べ物がないでしょう。

このカブを持っていってあげましょう。」

13、子鹿がウサギの家に来てみると、うさぎはお腹がいっぱいで、ぐっすり眠っていました。

子鹿はウサギの目を覚さぬように、そっと、カブをそこにおいて帰っていきました。

14、やがて、子うさぎは目を覚ましました。

目をぱちっと開けてみて、びっくりしました。

「やあ、カブが戻ってきた。」

子うさぎはちょっと首をひねって考えましたが、すぐにわかりました。

「ともだちがわざわざ持ってきてくれたんだな。」

うさぎさんがあげたカブが、ロバさん、やぎさん、鹿さんと渡って、最後に、うさぎさんに返ってくるという話でした。

この話が伝えたいことって、どんなことでしょう。

それはきっと、誰かにあげた優しさは、周り回って、自分のところへかえってくるってことだと思います。

うさぎさんは、雪がたくさん降った時、食べるものがなくって、とても困りました。

寒いけど、何か食べないと。そう思って、食べ物を探しにいきました。

そしたら、ラッキーなことに、カブが二つもあった。

うさぎさん、考えました。

「もしかしたら、ロバさんも、食べるものがなくて困っているかもしれない。

よし、一個持ってってあげよう。」

うさぎさんは、ロバさんに、カブを持っていってあげました。

うさぎさん、優しいですね。

自分も大変なのに、友達のことを考えて、自分の分を分けてあげた。

そしたら、ロバさんも、やぎさんに分けてあげた。

やぎさんも、鹿さんに分けてあげた。

そして、鹿さんも、うさぎさんに分けてあげた。

うさぎさん、戻ってきたカブを見て、言いました。

「ともだちがわざわざ持ってきてくれたんだな。」

この大雪の中、自分のことを思ってくれる友達がいる。

カブよりも、そのことが、嬉しかったんだと思います。

誰かにあげた優しさは、回り回って帰ってくる。

今日は、このことを覚えたいと思います。

そして、ぜひ、試してみてほしい。

自分のところに帰ってくるかどうか、誰かに優しさをあげてみてください。

誰かに優しさをあげるとどうなるか、ぜひ試してみてほしいと思います。

お祈りします。

・絵本との出会い

今日の聖書の箇所は、イエス様が語られた「山上の説教」の中の、「幸いの言葉」といわれる教えの一節です。

「幸いの言葉」には、八つの言葉があります。

「心の貧しい人々は、幸いである」とか、「悲しむ人々は、幸いである」とか、非常に考えさせられる言葉もありますが、今日はその中から、5番目の言葉。

「憐れみ深い人々は、幸いである」という言葉について、考えてみたいと思います。

イエス様は、「憐れみ深い人々は、幸いである」と言われます。

なぜ、憐れみ深い人々は、幸いなんでしょうか。

その理由として、イエス様は、憐れみを受けるからだと、言われています。

「憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。」

「幸いの言葉」は、とても有名な言葉で、私も何度も読んできましたが、この箇所だけを、立ち止まって考えるということは、これまでほとんどありませんでした。

「心の貧しい人々は幸いである」とか、「悲しむ人々は幸いである」という言葉は、なんで貧しいことが幸いなのか、なんで悲しむ人たちが幸いなのか、立ち止まって考えるということは、ありました。

あるいは、「平和を実現する人々は幸いである」という言葉も、本当に大事な言葉として、心に留めることが多い言葉ですが、それに比べると、今日の箇所は、正直、印象が薄いと言いますか、あまり考えてこなかった箇所でした。

そんな私が、この箇所について考えるきっかけになったのが、先ほど読みました「しんせつなともだち」という絵本でした。

あの絵本を読んだ時に、今日のイエス様の言葉が、ポーンと浮かんできたわけです。

イエス様が言われていた、「憐れみ深い人々は、幸いである」というのは、まさにこのことだったんじゃないかと、なにかこう、目が開かれた感じがしました。

そして、その時に、この箇所の大切さに気づかされていったわけです。

今日は、そのことを、分かち合わせていただきたいと思います。

・しんせつなともだち

先ほど読みました、「しんせつなともだち」は、うさぎさんの親切から始まります。

大雪の日に、食べ物を探しにいくと、ラッキーなことに、カブが二つもあった。

うさぎさん、考えるわけです。

「もしかしたら、ロバさんも、食べるものがなくて困っているかもしれない。よし、一個持ってってあげよう。」

うさぎさんは、ロバさんのために、カブを持っていってあげました。

このうさぎさんの親切が、思いがけないことに発展していくわけです。

今度は、カブを受け取ったロバさんが、やぎさんのことを心配して、やぎさんにカブを届ける。

同じように、やぎさんも、鹿さんにカブを届ける。

そしたら、鹿さんも同じように、うさぎさんにカブを届ける。

親切が親切を生み、そして、巡り巡って、うさぎさんのところにかえってくることになるわけです。

イエス様がおっしゃっているのも、こういうことなんじゃないかと思うわけです。

「憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける。」

人に対して憐れみ深く生きていれば、いつか、巡り巡って、その憐れみが、あなたのところにかえってくる。

カブがうさぎさんのところにかえってきたように、憐れみが、あなたのところにかえってくる。

だから、憐れみ深い人になりなさいって、そう招かれているのだと思うのです。

・憐れみ深い人とは?

この「憐れみ深い人」というのは、上から目線で、誰かを可哀想に思う人のことではありません。

「憐れむ」という言葉を辞書で調べると、「可哀想に思う」とか「気の毒に思う」とでてきます。

どうでしょうか。

憐れみを受けたいと思うでしょうか。

「憐れむ」という行為は、一歩間違うと、人を不快にしたり、傷つけたりしてしまいます。

一段高いところに立って、相手を見下ろしながら、「可哀想に思う」というのは、イエス様の言われる憐れみ深いということではありません。

イエス様が語る「憐れむ」というのは、第一に、人の痛みを深く感じることであり、それによって、何もせずにはいられなくなることです。

一方的に、可哀想だと決めつけることではなくて、人の痛み、苦しみを感じること。

そして、それによって突き動かされていくことです。

思い出されるのは、旧約聖書の出エジプト記に記されている神様の姿です。

神様は、エジプトで奴隷として苦しめられていたイスラエルの民を見て、こう言われました。

3:7 主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。

3:8 それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモ リ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。」

そう言って、神様は、モーセを遣わされるんですが、これこそ、イエス様の語る「憐れむ」ということです。

苦しむ人々を見、叫びを聞き、黙っていられなくなる。

傷んでいる人を見て、突き動かされていく。それが「憐れみ深い人」の姿です。

新約聖書で言えば、「よきサマリア人」。

追い剥ぎに襲われた人を見て、憐れに思い、近寄って傷の手当てをし、宿屋に連れて行って介抱した。

あの姿こそ、「憐れみ深い人」の姿です。

そうやって、傷んでいる人を見た時に、その痛みに共感し、行動していく。

そうやって生きていれば、巡り巡って、いつかあなたも、傷んでいる時に助けられるだろう。支えられるだろう。

だから、「憐れみ深い人」になりなさいって、言われているんです。

・憐れみ深くなるために

人間というのはやはり、自分に良いことがないと、なかなか動き出せないものだと思います。

「何も良いことはないけれども、それでも、憐れみ深い人になりなさい」じゃあ、誰も、憐れみ深い人になろうなんて、思わないでしょう。

必ず、幸いになれる。

憐れみ深く生きていれば、あなたも、ピンチの時に助けられる。

憐れみ深く生きるということが、幸いに通じる道なんだと、信じればこそ、憐れみ深く生きようという思いも、湧いてくるものだと思います。

でも、どうしたら、そのような人になれるのでしょうか。

憐れみ深くなると言っても、どうしたらなれるのでしょうか。

そのために一つ大事だと思うのは、憐れみを受けるということです。

苦しい時に、助けられるという経験を持っているというのは、とても重要なことだと思います。

以前、私は、財布を落としたことがあります。

皆さんも、経験があるかもしれません。

財布を落とすと、本当にパニックになります。

中に何が入っているかによっても違うかもしれませんが、私の場合、お金はほとんど入っていませんでしたが、免許証、保険証、クレジットカード、キャッシュカード、大事なものがたくさん入っていました。

あそこに落としたんじゃないか、ここに落としたんじゃないか、思い当たるところを探しても、見つからなくて、ショックで何をしても憂鬱でした。

でも、その日の夜に電話がありまして、私の財布を拾って、交番に届けてくださった方がいるということでした。

本当に感謝でした。とてもホッとしました。

そしてその時、私もいつか、財布を拾った時には、交番に届けよう。いや、届けたい、という気持ちになりました。

皆さんにもきっと、そういう経験があると思います。

そういうふうに、苦しい時に助けられた、憐れみを受けたことがあるという経験は、とても大事なことだと思います。

ただ、そういう経験があったからといって、必ずしも、憐れみ深い人になれるとは限らないでしょう。

助けられた時には感謝して、「今度は私が」ってそう思っても、時間が経つにつれて、その感動が薄れ、忘れてしまうということもあるかもしれません。

「恩を仇で返す」なんて言葉があるように、恩に報いるどころか、その想いを裏切ってしまうことさえあるのが人間だとも言えます。

聖書にもそんな話があります。

マタイ18章23節~34節に記されている悪い僕の話です。

到底返済できないほどの借金を、チャラにしてもらった。

帳消しにしてもらった。

にもかかわらず、自分に借金している仲間は赦さないという話です。

話の結末で、主人が僕にいうわけです。

「不届な家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。

私がお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。」

憐れみを受けたのに、与えない。

残念ながら、人間には、こういった側面もあるわけです。

・ガリラヤ湖のような人に

憐れみのバトンを止めてしまうのか、それとも繋いでいくのか。それは、私たち次第です。

以前紹介したことがありますけれども、イスラエルのことわざに、「死海のような人ではなく、ガリラヤ湖のような人になりなさい」ということわざがあるそうです。

ご存知のように、死海も、ガリラヤ湖も、イエス様が生きられたパレスチナを代表する湖です。

ガリラヤ湖は、死海よりも北側にあり、北方のレバノン山やヘルモン山から、ヨルダン川を通して、水を受けます。

そしてその水を、ヨルダン川を通して、死海へと送ります。

そのように、ガリラヤ湖の水は、常に流れておりますので、綺麗です。

そのため、多くの生物が生き、魚を釣ることもできます。

それに比べて、死海はどうでしょうか。

死海があるのは、海抜400メートル。世界で最も低いところにある湖です。

そこに流れ込んだ水は、どこにも行き場がありません。

死海は水を、ただ受け取るだけです。

貯まった水は、強い日差しを受けて蒸発します。

そのため、死海の塩分濃度は、どんどん濃くなって、その塩分は、海水の10倍の濃度にまで達しています。

これでは、生物は生きられません。

周囲も荒涼とした岩塩で覆われ、まさに死の海となっているわけです。

このことから、死海のように受け取るだけでなく、ガリラヤ湖のように豊かに与える人になりなさい。

そうすると、与えたあなたも、豊かに恵まれますよと、そういうわけです。

憐れみも、受けてばっかりでは、死んでしまう。

流していかなければならない。

隣の人へと、与えていかなければならない。

与えていくことによって、私たちは、ガリラヤ湖のように、豊かにされていくんだ。

これが、イエス様の言う幸いなのだと思います。

イエス様は、「憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける」と言っています。

皆が憐れみのバトンを繋いでいく時、巡り巡ってそのバトンは、自分のところに返ってくる。

しかも、沢山の人たちを幸せにして、返ってくるのです。

もし、この1週間の歩みの中で、誰かに憐れみを受けるということがあったなら、それをバトンだと思ってください。

憐れみのバトンを受け取ったと思ってください。

そして、そのバトンを繋いでいきましょう。

バトンが来るのを待っていなきゃいけないというわけでもありません。

カブを分けたウサギのように、自分が出発点になることもできます。

自分が出発点になって、憐れみのバトンを渡してみる。

そうするとどうなるか。本当にかえってくるのか。本当に幸いになるのか。

ぜひ、この1週間の歩みの中で、ためしてみてください。

そして、来週、その経験を、分かち合うことができたなら、これもまた大きな幸いだと思います。

楽しみにしながら、この1週間の歩みを、始めていきましょう。

お祈りします。

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